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たゆたうひと






宿屋で夜を過ごすにおいての話である。

破壊者4人、男女比は3対1などという微妙なバランス。勿論1人1部屋あれば何の問題もないのだが、金銭面や宿屋の規模など様々な理由でやむを得ず2部屋確保するに留まる場合が多い。
そして往々にして同室に押し込められがちであるアルベルトとユーバーの間では、風呂に入る順番というものが話し合いによってきっちり決められていた。話し合いと言うとなんとも民主的かつ平和的な手段のように聞こえるが、軍師と人外という組み合わせの次点でどちらが主導権を握るかなど明白であろう。実際主導権どころか独壇場と表現した方が正しいかもしれなかった。
いつぞやの口上よろしく長々と、簡潔に言えば私が先でおまえが後だと告げられ、人外の方が丸め込まれてしまったのだ。最後の抵抗に「何故俺が後なんだ」と問うと、「私は血の薄まったような風呂に浸かるのは遠慮したい」などと実に簡潔でしかも尤もである、その分余計に癪な。先程までの捲し立てるような論理を聞いた身としては、お前さっきの長いのは何だったんだと言いたくなるような返事をそういえばもらったな、とユーバーはふと思う。
続けて、その血の薄まったような風呂が嫌な奴に入浴を妨害されては此方としてもどうしようもないのだがな、とも。

目の前の浴槽の中では、見慣れた赤毛の男がそれはもう安らかに睡眠を貪っていた。
縁に背中を預けて湯に沈むでもなく、肩から上だけを突き出した姿勢を器用に保っている様子は普段の振るまいを思い起こさせる。無防備なのか気を張り詰めているのかよく分からない寝姿だった。水分を帯びた髪は普段より幾分か凶悪に光って、と言うより寧ろぎらついてさえ見え、深紅と反射のコントラストが目を射る。ゆっくりとした呼吸に合わせて、仄かに上気した肌が上下。
ほんの少し口を開けた寝顔が普段の仏頂面からは想像し難いほどのあどけなさを残していて、普段からこんな顔ならばもう少し冷徹な印象も変わるだろうに。いや軍師としては冷徹で表情の変化に乏しい方が都合がいいのか、と思わず呟く。表情から全てが筒抜けになる軍師など誰があてにするものか。空しく反響して消えるそれさえ耳にしている者などいない。
今は深夜。平時アルベルトはさっさと風呂を済ませてそれから暫く活動しているタイプだから、それなりの時間こうしていたのではないだろうか。こいつの指先は疾うにふやけているだろうし、そろそろ起こしてやらないと自分が風呂に浸かれない。人の姿をした異形は血そのものや匂いこそ好きであれ、血でべたついた衣服や髪は嫌いだった。
この軍師ほどではないが、それでも人並み―ヒトでない身がこう形容されるのは変だろうか―ではあると自負している頭を巡らせてみる。残念ながら結局のところ人並みの頭は人並みらしく、数十秒の猶予を与えても2つの選択肢しか弾き出してはくれなかった。そしてこの場合どちらが賢明かなどと、火を見るより明らか、というやつである。
溜め息をひとつ。
その賢明な方の案を実行すべく、ユーバーは普段よりもう1つ濃い黒の上着(返り血を盛大に吸ったせいだ、)を風呂場の隅に脱ぎ捨て、その下に着ていた白いシャツの袖を捲ると浴槽の側へ身を屈めた。



「…」



正直不服、というかあまりいい気分はしなかったが、俗に「オヒメサマ抱っこ」と呼ばれるやり方で力の完全に抜けた体を引きずり出す。何が姫だ。持ち上げられても起きないような、こんな図々しくて豪胆な奴があるか。その仰け反る喉にまたひとつ呆れを込めた溜め息を投げる。
本来なら叩き起こして自分の脚で歩かせるものを、それでもわざわざ運んでやるのは、万が一軍師に頭を打たれて真っ先にルックから問い詰められるのは他でもない自分だからだ。
そう結論を出したはいいものの何処となく言い訳じみている気がして、ユーバーはどうにも処理しきれない感情と共に浴室のドアを蹴り開けた。がん。ノブが壁にぶつかる派手な音が響く。これは恐らく隣室の2人に聞こえてしまっているだろう。明日何か小言を言われるのだろうか。想像してげんなりした。
赤毛の男を抱き上げ後にした風呂場の隅の方では、黒い上着が何のものとも知れない血液を床へ滲ませている。後で洗わなければとげんなりの延長でつい過った思考に、随分所帯染みてしまったものだと悪鬼は3回目の溜め息を吐く。
自分でも多い自覚がある分まだましである、という言い訳は果たして通用するのだろうか。





*





目を開けると見慣れない天井が広がっていてぎょっとした。一瞬間を置いて、宿屋のそれかと理解する。
次いで、何故自分は寝室にいるのかと思い当たってアルベルトはがばりと起き上がった。辺りを見回す。誰もいない。その代わり、部屋に備え付けの浴室から、水の音がした。
あの物騒な人外が気晴らしを終えて帰ってきていたのか。とするとつまり湯槽から自分を救出してくれたのもあいつに違いない。別に自分は年頃の女でもない上に相手が相手なので、今更裸が云々と喚こうという気にもならない。それよりは珍しい事もあるものだという気持ちの方が勝っている。
幾枚かのバスタオルでぐるぐる巻きにされベッドに転がされただけの、みのむしか、そうでないならこれから何処かに捨て置かれでもするのかという自分の成りを見て、ああこれが限度だったのだなと苦笑した。こういう時アルベルトは自分の神経が実家にいた頃より図太くなっている事を実感する。良し悪しの判断は他人に丸投げというものではあるが。



「やっと起きたか」



頭上から声が降って、漸く自分を運んだその人が風呂から上がったのに気付いた。水気は切ったのだろうが、それでも右肩に流した長髪から盛大にはたはたと雫を落としながら、だるそうに壁に凭れている。
これ見よがしに怠惰な雰囲気を垂れ流しにしているのは気晴らしを楽しみすぎたせいなのか、それとも自分に対する当てこすりのつもりなのだろうか。どちらにせよ、こいつにしてはまた随分と可愛いげのある自己主張だな、とアルベルトは思う。



「どうした、だるそうな顔をして」
「風呂場で寝こけていた誰かさんを運んだおかげで腰が痛くてな」
「さて、お前はそんなにひ弱だったかな。その誰かさんじゃあるまいし」



どうやら、というか予想通り後者の方であったらしい。半ば自虐的につついてやると向こうは若干怯んだように思えた。しかしすぐに口元に緩く弧を描き、今にか口笛でも吹き始めそうな雰囲気を醸し出しはじめる。どうやらだらけた姿勢と共に迎え撃つ体勢も整え直したらしい、すがめられた双眸に軍師は、おや、とつられて背筋を伸ばした。みのむし状態では限度があるが。



「ふん、確かに人間1人で悲鳴を上げるような貧弱な体ではないがな。誰かさんはひ弱なくせに背だけはでかいから始末が悪い、…随分と抱き上げにくかったぞ」
「…抱き上げ…?」
「そうだ。こうやってな」



ひょい、とジェスチャーで再現されたそれはアルベルトに怪訝な顔をさせるのに十分なものであった。一気に赤い柳眉をしかめさせる事に成功した人外はほくそ笑む。軍師のこうも露骨な意思表現を見たことがあっただろうか?答えは、無いわけではないが珍しい事には変わりない、という微妙なものである。
次いで軍師はまだふやけた右手で目の辺りを覆った。失態だ。全身からそんな嘆きが滲み出しているのがユーバーには見てとれた。実際は普段との違いなど微々たるものなのだが、食えない無表情とそれなりの時間を一緒に過ごしているだけあって、些細な表情の変化の中に隠れた感情の起伏もそれなりには理解できているという自信があった。そもそもこいつは表情がない訳ではない、表に出さないよう努めているだけなのだから。
とはいえ他人に伝わってしまうくらいだ、本人は尚更自覚しているのだろう。人外はそれが可笑しくてくつくつと喉を鳴らす。相手をやり込めた事に悦を含んだ笑みを隠しもしない様は軍師の苦悶のそれと鮮やかな対照を成していた。



「なんだ、恥ずかしがっているのか」
「…」
「いい大人の男がまるで女子供のような扱いだからな」
「…」
「…オヒメサマ抱っこは初めてか」
「……まあな」



ぽつりと、一言だけの返事。その一言で満足したのか、金髪から水粒を滴らせながら悪鬼はにっこり――にやりでも、にたりでもなく、至極純粋で満足げに笑って寄越した。遅れて数秒、アルベルトが傍目にも分かる程の盛大な動揺をもってそれを受け止めた事で、ユーバーの笑顔はもうひとつ深くなる。






たゆたうひと




タイトルで雰囲気詐称もいいとこですね
風呂場で寝ている兄が書けたので満足です








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あきゅろす。
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