Live once again (終) 女達を倒してから、半分気を失いながら辿り着いた広間は既に、悪党どもの巣だった。 満身創痍だった体でろくな抵抗ができるはずもなく、押さえ込まれて「いい人質ができたぜ」と笑う声に、 自分が再び、最悪な罠にはまった事を知った。 痛みと後悔の間で、朦朧とする頭が、ぐいと髪を掴まれ上げられる。 そして目の当たりにした光景に、心臓が止まる思いがした。 (ツバサ) 目が合って、無事だったと安堵する間もなかった。 悪鬼のようにせせら笑う奴らの銃が、立ち尽くすツバサを標的に、銃弾を浴びせるのを俺は何もできず目に焼き付けていた。 (死んでしまいたい) そう、初めて思った。 俺はこんな弱い奴だったのか。動けない体を呪いながら唇を噛み切った。 惚れた女を守れず、足手まといになった上にその死を見せつけられる俺など、死んでしまえばいい。 ツバサの体に無数の弾痕が穿たれる。 残酷な光景に、心は血を流し、声の出ない喉は枯れるほど痛んだ。 血を失いすぎた体から、力が抜けていく。 ツバサの声を聴きながら、ああ、もう死ぬのか。そう思って最後に目に焼き付いた光景は、 彼女が抜き放った、この世のものとは思えないほど美しい、白銀に光る刃だった。 * * * * * 斬無に斬られた者は、「器」の下す命に従わなければ遠からず死ぬ。 斬無の風の刃(やいば)に斬られた傷は、「神之器」に仇(あだ)為す者が、受ける罰だからだ。 神罰で受けた傷は、逆らえばどんな治療をしようが塞がらず、死ぬまで血を流し続ける。 本来、私に他の生き物達は害意や殺意を抱かない。 いつも、人間だけだった。 器を壊そうと、怖れを抱かず、危うい境界を踏み越える生き物は。 だから斬無が斬れる、「悪しき事を考える」生き物は人間だけだ。 私に対して害意の無い娼館の関係者は、斬無の一振りで部屋中を乱れ飛んだ風の刃の下、誰も傷一つ負わなかった。 (「器」が命ず。ここで見たモノを誰にも語らず、悪心を悔い改め、生きていけ) たとえ混乱に耳を塞いでいても、痛みに気が遠くなっいても。 私の放った命は、彼らが負った傷跡から血を伝わり、その脳を直接揺さぶったろう。 逆らうなら--------神罰の下に死ぬしかない、と。 転げ回り、呻き、うずくまる男達を尻目に、人質の女達は逃げだした。互いをかばい合って負傷者を助けに走る。 目を動かすと端に、自由になった仲間の用心棒達と、彼らにかばわれ助け起こされる女将の姿が映った。 斬無を鞘に戻す。 白い刀身は一瞬で小さな獣へと変化し、元通りの姿の空海が、私の右肩に立ち上がり陣取った。 リーダーの男の近くへ、歩み寄る。 右足半分を失い、身体中に切り裂かれた男は、止まらない血にまみれながら-------笑っていた。 口を開きかけて、その端からはごぶ、と血を溢れさせる。 ああ、この、男は。「逆らうのか」 「・・・へへっ・・・地下最強、の女には、やっぱ・・俺達なんぞ、束になっても・・・かなわねえのか」 「死にたいのか」 仰向けに倒れた男は、痛みと止まらない出血にびくびくと体を痙攣させつつ、嗚咽のように続ける。 「選んだんだ・・よ。どんな、形でも・・・あんた、を・・・手え届かねえとこにいる・・あんたを、汚して・・傷を・・」 空気を掴むように伸ばされた血に染まった手のひらは、途中で力を失いびしゃりと血だまりに落ちた。 男は歪んだ笑みを浮かべたまま、その瞳をみるまに濁らせてゆく。 開いたままの目に触れて、そっと瞼を閉じさせた。 ああ、確かに汚れたし、傷もついたよ。 「けど、そんな事のために一つしかない命を使うな。・・・馬鹿が」 男は、私が私の意志で刃をふるい殺した、初めての人間になった。 大の男達が累々と転がり泣きじゃくる。 許してくれ、もうしない、助けてくれというむせび泣きが響き渡り、誰も使わない武器がそこかしこに転がる。 死んだ男の傍に倒れていたリヴァイを、膝上に抱き上げた。 もう意識は無い。酷い出血だった。何発も銃で撃たれていて、いたる所に深い切り傷がある。 リヴァイの傷から流れた温かい血が、抱き寄せた私の服に、染みこんでいく。 でも生きている。まだ生きている。 だから私は、リヴァイと目が合った時、斬無を抜く決意をした。 もしあの時、リヴァイが既に死んでいたら私は人質など眼中になく、男を素手で瞬殺していただろう。 視線を感じて目を上げると、泣きはらした女将が顔をくしゃくしゃにして腰を折り、跪いている私の頭に触れた。 ああ、この女性は。 わずかに震えているその手のひらに想う。 まだ私に、怖れつつも触れてくれるんだ。こんな銃に撃たれても死なないモノを。 「およし。この子は、もう・・・」 首を振った。 私はこの会場に入り一目見た時から、イリヤが既に死んでしまっていた事を知っている。 実の子を亡くし、それでも泣きながら立ちあがり私に声をかけてくれる女将さんの思いやりに、胸は熱くなったけど。 「いいえ」 「ツバサ・・!」 浅い、今にも途切れそうな息しかしていない、でも。 大切だった、穏やかだったこの4年間の平和を、私は今夜・・・諦めるから。 「絶対に、助けます。まだ生きているんです」 護身用のナイフを、脛につけたホルダーから抜き取って、それを首筋に当てた。 ざりっ、と軋むような感触と共に、ここ数年伸ばしていた髪は、私の手の中に切り落とされた。 「ツバサ!あんた、何をするんだいっ・・!」 「女将さん。お願いです。ここに調べが入ったら、あくまで被害者で何も知らないと主張して下さい。 そして見ず知らずの男の暴漢が、ゴロツキ達と争って、自分達は巻き添えになったと」 リヴァイを助けて、地下街の入り口を封鎖している奴らの仲間を倒して私は-----ここを、出て行く。 * * * * * リヴァイは、女将さんが用意してくれた部屋に、用心棒の皆が運んでくれた。 女将さんも、皆も怪我をした人達の救護を他の場所で一生懸命頑張っている。医師の先生も呼びにやったところだ。 「命」に逆らわなかったゴロツキや憲兵団の男達は、傷跡からの血は止まり気を失っている。 死者はイリヤと、リーダーの男以外、あの会場ではいないだろう。 急がなければならない。いつ不審に思った憲兵の仲間がここを見にくるかもしれない。 ベットの上で、リヴァイは今にも事切れそうに浅い呼吸を繰り返している。 (翼。先生は、言ってた。ボンゴレにいた時は仲間達を、死にそうな患者を、いつも必死で助けようとした。でも誰も助からなかった) (あの力で助けられたのは一度だけ、お前の母親ショーコだけだったと。だから命を分けることができる条件はきっと・・・) シャマル義兄さんだけが、知っていて私に、教えてくれた。 彼が「先生」と呼ぶ父さんのこと、「ショーコ」と呼ぶ母さんのこと。二人が死んでしまってから。 先代の神籬だった父さんは、私を身籠もった母さんが「風見の女は子供を生むと死ぬ」事を知っていて、それでも助けたかった。 母さんは、子供を産んでも、父さんや子と一緒に生きていたいと願った。 (条件は一つだけだ。心から愛している者だけ、神籬はその命を分け与えられる) (それは成功した。でも引き替えに先生は愛だけ欠けて、失った。後で俺に、そう話してくれた) 私は、リヴァイを手離すだけでいい。 私の中にそれがあるなら。私が「それ」を失うだけでいい。リヴァイは生きることができる。 リヴァイは自由に、表の世界にも、どこだって行ける。リヴァイは強いから、本当はもっと早く自由になれた。 私のことを心配してくれたから、彼は、地下街に留まってくれてたんだと思う。 初めて会った時から気にしてくれて、その後は幼馴染みみたいにそばにいたから、放っておけなかったんだろう。 もう彼を見るのも最後になるのだろう、と頬に触れれば薄く、目を開いた。 リヴァイの口が僅かに開くけど、声は出せない様子だった。 揺れる瞳に、安心させたくて手を握って、笑った。 私はうまく笑えているのかな。わからない。 「空海をおいていくね、リヴァイ」 私の声に応えて肩から駆け下りてきた空海は、リヴァイの枕元に立ち、キュウと鳴いた。 「この子は父さんの形見で・・・私の、カザミのブレスレット。手放さないでずっと持っててくれると、嬉しい。 空海。お願い、リヴァイを守って・・・絶対死なせないで」 黒いつぶらな瞳は、悲しげに瞬いてたけど。 空海は、キュウともう一度鳴くことで私の願いを了承してくれた。 永遠の別れじゃないことを、空海もたぶんわかってる。 何十年後かは判らないけれど、リヴァイが死んだ時、私のもとに帰ってくるだろう。 (リヴァイ) ずっと、君と一緒にいたかった。 幼馴染みみたい、でも良かった。普通の人間同士みたいに、笑いあっていられたら。 ずっと、君が怖かった。 君が私の異質に気づいて離れていくのを、本当は、先へ歩いていく君に、置いていかれることが怖かった。 だから良かった。 普通じゃない私を、たぶん見られてしまったけど。私は、それを失って、離れていくから、きっと君が離れていくより痛くない。 ・・・きっと、これで良かったんだ。 「生きて、リヴァイ」 一度も、したことは無いのに。方法だけは自然とわかるんだ。不思議、だね。 枕元に顔をよせ、血の気の失せた彼の唇に、そっと自分のそれを合わせる。 そして、命を吹き込んだ。 * * * * * * 静寂の中、意識が浮上する。 ああ、俺はまだ・・・生きているのか? 体のどこかで、枷が外れた感触は覚えている。それからは血が流れても、嘘のように体が動いて敵を倒せた。 けれど、それでも力尽きたはずだ。 俺は、守れなかったんだ。 ツバサは俺の目の前で、奴らに撃たれて・・・そして (・・・) 頬に触れる、柔らかな感覚に目を開ければ、ツバサが見下ろすように、俺を見ていた。 何故か、ツバサの髪は不揃いに短くなっていた。悲しげな目だった。 その服はやはりあの光景が夢じゃなかった事を証明するように、血まみれで銃弾の穴がたくさんあった。 混乱した。でも、俺は今、血が足りない。 考えたいのに、ぐらぐらと揺れる頭では、痛みと力の喪失に翻弄されて考えることまでできない。 (ツバサが生きてる。夢じゃないのに、生きている) 本当、に・・・? 見つめ合ったまま、乾いた口を開いても声をだせない俺を気遣うように、彼女は手を握った。 とても暖かいそれは、ツバサが生きてる、その実感が肌を通してなにより雄弁に俺にそれを教えてくれた。 「空海をおいていくね、リヴァイ」 何を、言ってるんだ・・? なんで、クソネズミをおいてくんだ。お前・・・どっかに行っちまうのか? 「この子は父さんの形見で・・・私の、カザミのブレスレット。手放さないでずっと持っててくれると、嬉しい。 空海。お願い、リヴァイを守って・・・絶対死なせないで」 おい・・・ツバサ。 おい。何言ってんだ。 どういうことだよ。何、遺言みてえなこと言ってんだよ。 「生きて、リヴァイ」 視線でお前をぐるぐる巻きに拘束できるなら、とっくにしてた。 折角生きていても、お前がいなくなるなんて、冗談じゃねえ。許さない。絶対に許せねえ。 馬鹿なことばかりほざくツバサを、どうにかしてやりたくて、でも息をするにも苦しかった俺は為す術もなく。 目を閉じてたお前が、ふいに俺の唇に落とした口づけを受けるしかなかった。 途端に、熱くなる。 心だけじゃない、体の奥までそれは届いて指の先まで、わけのわからない熱源に焼かれた。 ツバサの柔らかい唇から、俺の中にするりと落とされ満ちたそれは。 とてつもなく大きくて熱い、力の塊のようなものだった。 思わず目を閉じて、体が根底から溶かされていくような未知の感覚に耐えた。 そして、時間にしたら数秒だったろうそれが過ぎてから、俺は気づいた。 あれほど痛み、血が抜けるどうしようもない喪失感に動かすこともできなかった体が嘘のように、楽になっていた。 ゆっくり目を開けると、いつのまにかあれほど熱く溶け合っていた俺達の唇は離れていて、 ベットの傍に立ったツバサと、目が合った。 「ツバサ・・・?」 良かった。今度は声も、出すことができた事に安堵する。 まだだるくて、指先くらいしか体は動かないし、傷の場所は痛む。 けれど、先刻まですぐ傍にあって、まざまざと感じていた死の感触は遠ざかっていた。 「・・・おい。どうした?」 状況から、おそらくツバサが何かしてくれて、俺は命拾いしたような気がした。 そうとしか考えられない。理解は追いつかねえし、たぶん説明されても難しいだろうが、死ぬよりはよっぽどいい。 「お前、俺の、命を・・・助けてくれたんだろう?」 くそ、恥ずかしい。 それはお前から初めて俺に、キスされた事だって無関係じゃないってのを、こいつはわかってるだろうか。 何度も、お前に助けられてばかりというのは正直、男として情けねえ。 今だって顔から火がでそうだ。 うまく動かない手をようやく上げて気づいた。乾いた血で、手のひらはごわごわだった。 でも今は何でもいい、俺は、お前の言葉が欲しいと思っていた。 俺とお前が、確かに生きているという実感を、喉の乾きを癒すように欲して・・・けれど ツバサは、どこか無感動な表情のまま、その口を開こうとはしなかった。 「おい。ツバサ・・・?」 忍び寄る嫌な予感に、ベットの上で彼女へと手を伸ばした。 優しい彼女が、いつもみたいに笑ってその手をとってくれることを、きっと俺は期待していた。 ごほっ 唐突に、ツバサが咳き込んだ。口元を押さえた白い指の隙間から、鮮血が伝う。 俺は回復したはずの血の気が、体中からひくような思いに身震いした。 じわじわと、俺の目の前で、ツバサの胸元、肩、腕、あらゆる場所の傷跡から血が広がっていった。 再来する悪夢のようにそれを硬直したまま見守るしかなかった俺が声を絞り出そうとした、まさにその時、彼女の背後でドアが勢いよく開いた。 「はいはい、お医者の先生だぜ〜!待たせたな、重症の小僧。 ・・って、おおおおおっツバサ!おま、なんだよその傷!お前がそんなだって、俺、きいてねえよっ!」 「傷が開いただけです。・・・先生、リヴァイを診て。私はもう行くから」 くるりと俺に背を向けたツバサが、中年医者の肩を掴み俺の方へ突き飛ばした。 「ツバサ!」 俺を、ツバサは見ない。 それだけのことで、絶望で死にたくなる。 血を流して、背中しか見せないお前の姿に、二度と会えないような不安に胸が押しつぶされる。 「お前なあ、行くって・・・憲兵が、街の出口を封鎖してるんだぜ?そんな深手で、どうすんだよ!?死んじまうぜ」 診察鞄を床に置いて振り返る医者に、ツバサは金の袋を差し出した。 「ああ、金もいるけどさ」としっかり懐にしまう医者に、 「私は、死なない」 短く、強く。 ツバサは言い切って踵を返してドアの向こうに消えてしまった。 呆然と目を見開き、出るはずだった声は喉でひからびたように、こびりついて。その背中を止めることはできなかった。 それがツバサを見た最後、だった。 俺は、置きざりにされた。 きゅう 震えの止まらない俺の隣で、クソネズミが小さく、鳴いた。 街を封鎖していた憲兵達が、駆け寄ってくる。 胸の銃弾の跡も顕わに進む私の手には、何もない。全てあそこに置いてきた。 あるのは、素手の・・・凶器だけ。 「貴方たちに・・・恨みは無いよ。でも運が無かった。お互いに」 リヴァイに命を分けて、私の器は綻びたのだろう。傷は開き、血は流れ続けていた。 けれど前に、進む。 何かわめいてる兵士に撃たれても、かまわずに間合いを詰め、掌底を相手の急所に叩き込む。 手負いで素手の私に、手加減などできない。 容赦ない一撃に、心を金で売った兵士達が、冷たい石の床に次々と崩れ落ちる。 地下街の出口に立つ。 星のない夜空が、見えた。 ------シャマル義兄さんは、あの時、私をきつく抱きしめて、辛そうに顔を歪めて言っていた。 「だからな、翼。もし、誰かを心底好きになっても、お前はその力を使うな。 好きな奴に先に死なれる事と、愛を一瞬で失くしてしまう事の、どっちが辛いかなんて誰にもわからねえ。 人はいつか死ぬもんだ。その運命をねじ曲げれば、必ず、罰を受ける。それは「器」であるお前でも・・・同じなんだ」 あの人も、親愛という愛情を私に注いでくれていた。 それは尊い感情だ。測れない、金では買えない、奪えない、手の届かない空の星のように。 ツバサ、と。 最後に私の名を呼んでいたリヴァイの目も、義兄さんと同じ色をしていただろうか。 首をかしげる。 「・・・わからない」 私の中から一瞬で欠落した「愛」というものは、その周辺にこびりついた彼と過ごした記憶も、巻き添えにしたのか。 記憶の一部が剥がれかけているようだ。 彼と過ごした日々を思いだそうとしても、所々が明瞭ではなく、曖昧でぼんやりとしている。 (そのうち、記憶は思い出すだろうし・・・問題、ないよね) 私を呼び止めていた彼には悪いことをしたけれど、あの時は彼にかける言葉が何も、でてこなかったのだから仕方ない。 幸い私には、時間は飽きるほど与えられている。 どこか人里離れた場所に移動して、木のある場所で自然の気をわけてもらえれば、撃たれた傷も早く塞がって癒えるに違いない。 「・・・あれ?」 頬が、濡れている。 不審に思って手の甲でぬぐっても、まだ流れ落ちてくるそれは、私の目からこぼれている水だった。 -----この世界で初めて、泣いたのか。私は。 欠片も残さず、ぽっかりと失った「愛」を惜しむように、悼むように、涙はとめどなく内から流れていった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |