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The hope there




気まぐれだったんだ。

柄にもなく、地上の奴みたいな仕事をしてみようかと。連絡船の荷運びの仕事をしてみた。
子供にはきつい仕事のはずだが、幸い身体は人並み以上に丈夫だから平気だった。
雨の日や寒い日は人手も足りないから、身元が怪しくても雇ってもらえた。

あいつに仕事をしたと話せば、喜ぶような気がして悪くなかった。
夕飯を約束した日には、それで買った食材を土産に持っていってやるつもりだった。


でも、俺は約束を守れなかった。
体がだるくて動かせないんだ。

きっと、ツバサは心配してるだろうに。


・・・ごめん









熱くて痛くて。
息苦しい、はずなのに。

何故か体全体を、涼しい風が吹き抜けた気がした。


(・・気のせい、じゃない?)


薄目を開けた視界に広がるふわふわとした、柔らかな、黒。
覚えがある細い肩に頭をもたせたまま俺は、運ばれてる。

ハア、ハアと俺の苦しさが移ったように苦しそうに息を継ぎながら。
ツバサが、俺を背負って、歩いている。


「・・・っ」

喉は焼けたようで、掠れた声は音にならなかった。




* * * * *



バン、と何かを蹴破ったような音がした。

「急患です!先生、診て下さいっ」

「なんだお前・・ガキなんかしょって。いつもの色っぽい姉ちゃん達は一緒じゃねえのか。
おまけになんだその女装。すっげえ似合うが、とうとう用心棒辞めて商売換えしたのか?面白れえ〜」




鼻をつく、安物の煙草の臭い。それと混ざり合った薬のキツイ臭いが漂う中、
俺を背負ったままツバサはずかずかと部屋に入った。手も触れない背後で、扉が閉まる。

部屋の一角に寄せられたベットに気遣いながら横に寝かされ、シーツで優しくくるまれた。
ここの臭い空気は最悪だが、それもツバサが傍にいると思うだけでほうと息を吐けた。



面倒くさそうに近寄ってきた医者らしい中年の男が、俺の脈をとったり熱を測ったり診察を始めた。
ツバサがここを知っていることと男の口ぶりから、おそらく娼館が世話になっている地下街の医者だろう。


娼婦達が病気になった時も、医者へ一人で出歩かせるわけにはいかないから、監視を兼ねた護衛として
ツバサが付き添うのだと、以前話していた事を思い出す。

相変わらず口のきけないまま見上げた俺と、目が合ったツバサは安心させるように優しく笑った。


「あ〜今流行ってる奴だろうなあコレは。適当に栄養剤打っとくからしばらく休ませとけ」

「治るんですか、それで」


「運次第じゃね?だってここで、治療に使える抗体が手に入るわけねえもん。
地上の奴らなら憲兵が紹介する病院で金さえ払えば順番待ちで抗体打ってもらえるかもしれねえけど、
戸籍ない俺らは無理だぜ。なんせ奴らにとっちゃ、死んでくれた方が都合いいんだからなあ」


医者の言葉に、ツバサが沈黙する。

・・・ああ、俺もツバサも、ここじゃ戸籍なんかねえ。
医者の言う通り、地上の奴らにとっては「死のうとかまわないモノ」だ。




「先生。じゃあ・・・これ、何ですか」

灯火しかない部屋の中で、ツバサが奴の仕事机から何か透明なものを摘みとったように見えた。


「アンプルですね。これが抗体じゃないですか?空ですけど」

「あーそれね、昨日俺が使った奴。予防にも使えるからさ」


静かな声に、へらへらと医者の声が続く。


「医者が倒れちゃ、患者が困るだろ。だから一つだけ知り合いの同業者から闇で分けてもらった」

「その人はどこです」

「もう帰っちまったよ。諦めな」





狭い部屋に、打ち付けるような鈍い音が響いた。

不自然な形に、中年医者の白衣の袖口が縫い止められているのが、薄目に開けた視界に映る。


石造りの、壁に。
ツバサがいつのまにか手にしていたナイフの刃が、朧な灯りの下で煌めいていた。



「その人は誰で、今、どこにいるか教えて下さい。・・・先生」

俺が初めてきく、底知れない威圧を秘めた声だった。


「グリシャ・イエーガーだ!でもおい、シガンシナ行きの連絡船は今日の夕方の便で出航した頃だぜ?
間に合うわけねえだろ。・・・・おい!」




ツバサはわめく医者には目もくれず、袖からクソネズミを出すと俺の枕元に降ろした。

額に、そっと手の平が置かれる。
柔らかくて少し冷たいそれは気持ちよくて、苦しくて皺を寄せていたはずの目元が、ふっと緩んだ。



「待っていてね」


踵を返して出て行った背中に、何も応えられない自分が悔しかった。



「不便だわー無いわーなんで俺がこんな目にあうんだよ。シャツごと刺しやがって、脱げもしねえよ。
・・・まあ、すぐ諦めて帰ってくるだろ。

おーい、そこのガキ。お前、ツバサの何なの?身内か?
いっつも人畜無害そうに笑って淡々と仕事してるあいつがキレるなんて、初めて見たぜ?」





俺だって、知りたい

(お前の、知らなかった顔を知るたびに、苦しくなる)
(心も、体も、ぜんぶが熱くなるみたいな、この気持ちが何なのか・・・わからない)


お前にとって、俺は何なのか。
俺だって・・・知りたい。




* * * * *




地上に走り出た時、もう日は落ちかけていた。
船着き場は閑散として、客も船員も、まばらにしかいない。

長く伸びた橋桁を駆ける。
距離にして十数メートルだろうか。出港したばかりなのだろう、最終便のせいか混み合った船影があった。


橋桁に置かれた、もやい綱を引き寄せるための長い竿を拾う。

「よし」

軽くてしなる、理想の長さだ。
見回しても、船着き場で、船の姿のなくなったこちらをわざわざ見る暇人は誰もいない。


夕闇にまぎれて、水面へと跳んだ。
思いっきり竿を伸ばし、橋桁から離れた杭に打ち付けて反動を推進力に代えた。

しょせん、この竿は人に見られた時の目くらましだ。
たとえ闇に紛れても、私が空を飛ぶのを見られて憲兵にでも通報されたら、面倒なことこの上ない。


ヒュウ、と耳元で風が鳴る。
私の身体は、竿ごと軽々と川面を滑る船の屋根へ運ばれ、無事に着地に成功した。


そっと平らな屋根の上に竿を置き、隅からロープを伝ってデッキのある場所へ降りる。
ざわざわと混雑している中、たまたま目ざとくこちらを見た小さい子には、にこっと笑って手を振ってごまかした。


うん、手を振り返してくれた。可愛いなあ。

怪しい人じゃないよー
怪しい事はしてるけど。

ちょっとスカートはいてする事じゃなかったと、後悔はしている。



さあ、あとはお医者さんを探すだけだ。

「すみません〜イエーガー医師はいらっしゃいますか!お医者様のイエーガーさんはいらっしゃいませんか?」


何十人もの老若男女の中を、謝りながらゆっくりとかき分けて、
声をかけながら探し歩いていくと、ほどなく落ち着いた男性の声が返ってきた。


「お嬢さん。私がイエーガーだが・・・何か御用かね?」


振り向いた背の高い男性は、口ひげを生やした知的な紳士だった。身なりも良い。
あの藪医者の知り合いにしては、好印象な人物に、ほっと安堵の息ついた。


「申し訳ありません。地下街の医師の・・紹介で」

「ああ、あいつの。どうしましたか?具合でも悪いのですか?」

「はい。でも私ではなく知り合い、なんですが」



傍らの医療鞄らしきものを開けたイエーガー氏に、事情と、リヴァイの症状を細かく話した。

「わかりました。ではこれを持っていって下さい」

「ありがとうございます!」


代金を聞いて支払い、アンプルを受け取る。大切に胸元にしまいこんだ。
これでリヴァイの病気を、治すことができるだろう。


鞄を閉めるイエーガー氏の手元を見ると、同じようなアンプルが沢山入っているのがわかった。
私に渡されたものと、微妙に蓋の色が違うものがあるように見えるのは気のせいだろうか。
この医師は抗体でも、幾つか違う種類のものを持っているのかもしれない。


「私はこれから、同じような流行病が広まっているシガンシナに帰るところなんですよ。
皆・・・待っていてくれるのでね」

「先生を待っている患者さん達のためにも、道中、くれぐれもお体に気をつけてください。
今日は私の我が侭で、貴重なお薬を分けて頂いて、本当にありがとうございました」


お礼を言うと、優しげな瞳で微笑んでくれた。
良いお医者様に出会えて、私は幸運だ。



ちょうど、連絡船は夜闇の迫る中、やや狭まった川縁近くを航行している時だった。


「では・・・私、これを持って戻りますね」

「おや。次の停留所まで、かなり時間がかかるが?」

「大丈夫です。私、ちょっとした芸がありますので、お見せしますね」



民間の商船用だろう。飛び出した粗末な橋桁が、黒い水面を隔て船のデッキから数メートル脇に見えていた。
このチャンスを逃す手はない。



イエーガー氏を初め数人のお客が、混雑の中私がデッキの手すり上に乗るのを見ていた。
「姉ちゃん、危ないぞ!」と声をかけてくれた人に、微笑んで一礼する。
もちろん、イエーガー氏にも。


そして、スカートを靡かせながら一息に、連絡船から細い橋桁へめがけ、飛び移った。

ガスエンジンの音と共に、連絡船は背後をどんどん下流へと進んでゆく。
そして船上からはどよめくような歓声が湧いたようにだが、それも瞬く間に遠ざかっていった。




暗い岸辺で、小さくなってゆく船に向けて深く、お辞儀をした。
イエーガー氏に、心からの感謝を込めて。




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あきゅろす。
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