父、帰る!
いつものように学校から帰ってきたら、玄関に脱ぎ散らかした黒靴があった。
そういえば、と昨日きてたメールをようやく思い出して、慌てて居間に駆け込んだ。
「父さん!」
「よお、お帰り」
それはこっちのセリフだよ。いったい何ヶ月ぶりなのさ。
久しぶりにみる父さんは、ちっとも変わらない、ひょろっとした猫背で、
もさもさと伸びた髪に何食わぬ顔して、卓袱台の前で煎餅をばりばり食べていた。
ああ・・無精ひげ、伸びたなあ。
言ってやりたいことは色々あったはずだけど、顔をみたらほっとして、もういいやと思えてしまった。
俺って、単純すぎかも。
「ちゃんと、ご飯食べてた?」
俺は、どこぞのオカンか。
とりあえず、ありあわせのもので晩ご飯を作って、二人で食べた。
こうして父さんと食卓を囲むのも随分と久しぶりだった。
でも、ほっとした時間は長続きしなかった。
お茶を飲みながら、父さんが「話がある」と、真面目な顔で切り出したからだ。
「・・翼。お前に、小さな頃から男の子として生活させてきた理由は、覚えてるな」
「うん。まあ。母さんから・・・きいてたから」
風見の家系には、女にしか継がれない能力がある。かざみ・・ってそのまんまな名前の。
母さんも、昔、持っていたらしい。
どんな力か俺は知らない。それを持ってたという母さんは、俺が物心つく前に-----
「目に関する力、だよね?」
「そうだ。お前の母さんは、それで昔、権力者やマフィアに狙われてきた。
だが・・・失明して、その力を失うことでようやく追跡から逃げ切ることができたんだ」
俺の記憶の中で、母さんは、いつも瞳を閉じている。
でも、いつも、笑っていた。
母さんは家での家事はほとんど一人でできる人だったけど、買い物は小さい頃から俺の仕事だったんだ。
料理は母さんが慣れてたけど、掃除や洗濯、できることなら俺は沢山手伝った。
・・それはもううちの「日常」で、普通のことだった。
「でも、おかしくないか?俺、まだその能力とかの欠片も無いんだけど」
単に、視力が極端に弱いだけだ。不便なだけで、特に珍しくも無いんですけど?
すごく不審が顔にでてた俺に、ちっちっちと指を振った父さんが、いきなり指をさした。
「それはきっと、お前の女でも男でも自由自在っていう、変な体質のせいだ」
ちょっ・・おい、変ってなんだ、変って!
「そもそも戸籍を『男』で提出した親が、どういうつもりだよ!?」
「お前ときたら一応女だって自覚はあるくせに、これ以上ないってくらい完璧に野郎になりやがって・・!!
家の中くらい女の子でいてくれればいいのに、外面も内面も男で通すとはどういう了見だよ貴様〜っ
俺は、俺は、娘が生まれてチョー嬉しかったのに。『パパ』なんて呼んでもらって一緒に渋谷を
腕組んで歩いたりしたかったのにっ!翔子なんてな、もう何年も前から可愛い浴衣やらお前の
成人式の振り袖を買って『いつかあの子も娘らしくしてくれるかしら』なーんて楽しみにしちゃって、
みんな和箪笥の奥に隠してあるんだぞっ!」
口を挟む隙間もありゃしない。
父さん、目に涙がたまってる。いや感動のシーンじゃないよこれ。
・・そんなに欲しかったのか?娘が。
でもなあ・・一度男になりきると、外と内で使い分けるより男で統一してた方が楽だったのは確かで。
家に遊びにくる友達だっていたし、それに・・幼馴染みとか。
(そう、雲雀だよ、雲雀)
うちには、TPO無視、人の部屋は僕の部屋、って感じで勝手気ままに出入りする幼馴染みが一人いた。
だから自然と「外も内も」男で通すことに慣れきってたんだ。
だって、小さい頃は一緒に風呂に入ったことだってあるし、遊びにいった海で水着で泳いだこともある。
泊まっていくなんて小さな頃はしょっちゅうあって、今でこそ回数は減ったけど時々「泊めて」と
有無を言わさず上がり込んでくる。
(よく返り血まみれになってるから、とりあえず風呂に連行するのがお約束だ)
こんな状況で、どうやって「女」に戻れるというんだ。いや無理だろ(反語)
「ともかく!話しをそらすなよ。だから、その能力とやらが俺には無いんだから、問題ないじゃないか」
「今、欠片も無くても、いつ能力が発現するかわからん」
父さんは、空の湯飲みをことり、と卓袱台に置いて。
まっすぐに俺を見つめながら口を開いた。
「いいか、翼。お前のその体質のおかげで、子供の頃から「息子」として育てることができた。
だが・・・風見の家系は、男の体でいる限り、十代で身体が限界を迎える時がくる」
俺は、息を飲んだ。
それは----初めて聞いた事実、だ。
「限界って・・」
「心臓だ。どうしてか、風見の家系の男は、十代のうちに心臓疾患で全員亡くなっている。
俺も医者のはしくれだ、今まで随分調べたし研究もしてきたが・・いまだに治療策が見つからない」
返す言葉は、見つからなかった。
つまり、男の身体のままでいると、遠からず俺は、死ぬのか。
たった一つの僥倖は、元の身体は「女の子」だということ。
目先の難題は・・「世間的には俺は男」だということだ。
* * * * * * *
父さんの提案は、いずれは海外へ俺を逃がすから、というものだった。
母さんが死んでから、父さんは以前から考えていたその計画を真剣に検討しはじめたらしい。
思ったよりツテも顔も広い父さんの計画は、「男の風見翼」の死亡届をでっちあげて、女としての俺をこっそり海外へ移住させるというものだ。
・・・
あまりにもスケールが常人離れしてて怖い。
でも母さんと結婚した時も、かなりすごい不法行為をしたらしいので、もう何もつっこむ気がおこらなくなっていた。
俺の家って・・・けっこう、普通じゃなかったんだなあ。
「海外って。そんな突然・・言われても」
「こういう時のために護身術も、英仏伊語もお前には叩き込んでおいたから、生活の心配は無いはずだ」
見た目に反して、鬼のように頭のいい父さんにマンツーマンで語学を教え込まれた思い出が甦る。
ちなみに、護身術・というか操気術を教えてくれたのは父さんの親友の、並盛神社の神主さんだ。
(・・あの異常なまでの教育熱は、この日のためだったのか父さん)
「でも・・すぐには決心つかない、よ」
「中学くらいは、ここで過ごしたいか?」
「・・・うん」
雲雀に嵌められて入った並盛中学だけど、そもそも俺はこの並盛の街が好きだ。
子供の頃の思い出も、母さんとの思い出だっていっぱいある。中学に入って新しい友達だって、できはじめた。
小さな声で理由を言うと、父さんも「わかった」と言ってくれた。
でも、俺の体調を考えると、もう男になるのはできるだけ止めた方がいいらしい。
「普段は、できる限り、女のままで生活しろよ」
「う、うん」(できるかな・・)
父さんが用意する心臓の病気との診断書を学校にだせば、体育とかを休めるようになるらしい。
着替えの時が一番、ばれる危険が高いからそれはいいアイデアだと思う。
胸には病気を理由にしてサポーターをつけとけくといい、と鞄から取り出したそれを渡された。まあ父さんの特製品だけあって、よくできてる。
見た目はアンダーっぽくて自然だし、シャツの下にいつもつけてれば女だとバレないだろう。
「今までみたいにケンカはするなよ。無意識に男になって心臓に負担がかかる怖れがある」
「うん。が、頑張る・・」(ごめん、昨日やったばっかだよ父さん)
「もしお前に能力が発現して、しかも女と外部に漏れたら・・・もう、あの学校に通わせてやることは、できない」
にわかに、父さんの言葉が、ずっしりとこたえた。
-----そうか。
俺だけじゃない、父さんだけじゃない、周りの人にも、迷惑をかけるかもしれないんだ。
友達、街の知り合いの人達、そして---雲雀の顔が、脳裏に浮かんだ。
隠れるのは嫌だけど、少しでも長くこの並盛の街で暮らすために。
俺はがんばらなきゃいけないんだ。
父さんは、これを念のためにいつも持っていろ、と銀色の小さな筒に入った薬をくれた。
ペンダントトップの形だから、母さんの形見と一緒に胸に下げておこうと思った。
「翔子のいつも身につけてた奴だな。それ」
「うん。母さんが死ぬ前に、俺にくれたものだし・・つけてると落ち着くんだ」
なんか照れくさかったけど、正直に言ったら、思いの外柔らかく父さんは笑った。
「あいつも・・お前がそれを大切にしてくれたら、喜ぶよ。翼」
ハンサムでも、格好良くもない父さんだけど。
母さんのことを見るときや、口にするときは、すごく幸せそうな顔で、俺はいつも負けた気になるんだ。
世界で一番、母さんを好きなのは、やっぱり父さんなんだ。
きっと二人の思い出の中で、この形見のペンダントは大切なものだったんだろうと
------その時、俺は想ったんだ。
* * * * * *
父さんは、まだ研究の続きがあるからと、夜更けにまた研究所へ戻ってしまった。
自宅に泊まる時間も惜しいって、どんだけ急ぎの研究なんだよ。
(いや、たぶん俺がらみだから、あまり文句は言えないけど・・・)
普通の家庭で母さんが生きてたら、浮気を疑われても仕方ないシチュエーションだ。
父さんが置いていった洗濯物は、ちょうど乾燥機の中で乾いていた。畳むために日本間に運ぶことにした。結構量があったからだ。
・・・しかし。
すごいパンツの山。(研究所に洗濯機の一つも置いてくれよ、父さん)
「普通の年頃の娘なら、父親の下着って触るの嫌がったりするのかな?」
「でも君は年頃の娘じゃないんだから、関係ないよね」
今、ありえないツッコミが、俺の独り言に返ってきたんだけど。
ぐ、ぎ、ぎ、ぎ
父さんの柄パンを片手に持ったまま、嫌がる首をむりやり動かしてふり向くと、襖のとこに立ってる幼馴染みとばっちり目が合いました。
「ひ、ば、り〜勝手に入ってくるなって言ってるだろ?インターホン鳴らせよ!」
「今はワンドアツーロックが常識だよ。いくら古い日本家屋でも、ほぼ一人暮らしのくせにセキュリティが甘いんじゃないの?」
「いつのまにか合い鍵持ってる奴に言われたくない。しかも挨拶もなし。・・・もう夜中だし、帰れ」
「こんばんわ。お邪魔するよ」
うわっ、恐ろしいほど棒読み。
しかも帰る気ゼロ回答。
なんか抵抗する気も失せてくるほど、雲雀はいつも強引だ。
いまさらだけど俺って、押しに弱いタイプなのか?
・・・新聞の勧誘と押し売りには気を付けよう。
もう日付が変わりそうな夜中だ。
遅すぎるけど、お茶くらいとりあえずだそうと思って、立ち上がった。
(洗濯物は後で片づければいい)
「仕方ないな。ねえ雲雀、お茶のむよね?紅茶は眠れなくなるから、ほうじ茶にしとく?」
黙って後ろをついてきた雲雀が、ぽつりと呟いた。
「その様子じゃ、忘れてるね」
えっと・・何を?
正直いって、今日は他のことを考えられないくらい、人生の山あり谷ありで大変だった。
とっさに雲雀が何を言いたいのかわからないから、沈黙した。
ぽーん
ぽーん・・・
そのとき、壁の柱時計が0時を告げた。
「誕生日おめでとう、翼」
こつんと軽く、後ろから頭をこづかれた。
あ。
5月3日。
雲雀と2日違いの、俺の、誕生日。
だから、わざわざ夜中にやってきたのか。
-----母さんも、父さんもいない、一人ぼっちの誕生日にしないために。
「・・・ありがと、雲雀」
俺は、なんだか涙腺がゆるんで仕方なかったから、できるだけさりげなく目元をぬぐった。
13才の誕生日を迎えた俺は、きっと人生これから山あり谷ありなんだけど
幼馴染みのめったにない優しい一言で、重くて仕方ないと思ってた荷物が、少しだけ軽くなったような気がした。
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