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朱に染めて 地の底で




ここには誰もいない。
そんなはずは、無いのに。


でも確かに、いないのだ。
門の警備室の明かりもなく、以前僕を制止しようと呼び止めた警備員もいない。

バイクを路肩に停めて、門前に立つ。
研究所の建物もひっそりと凍り付いたような静寂に包まれ、人の気配は一切無かった。




* * * * *




体育祭の騎馬戦で、気が済むまで草食動物達を咬み殺した後、僕はその場を草壁に任せ、バイクを駆った。

混戦をものともせず、僕に近づいた小さな赤ん坊の影があったからだ。
一言「時間が無いぞ」と囁いて、すぐあの沢田とかいう男の傍の乱闘へ姿をくらました。


時間、ときいて翼とかわしたばかりの胸が詰まるような苦しさを思い出した。



(そうだ、僕にはあそこを訪れる理由がある。・・・小父さんを問い詰めてやらないと)



風見の小父さんと交わした賭けのことが頭を掠めなかったわけじゃない。
でも赤ん坊の言葉は、それを理由にしなくても、ここを訪れるきっかけになった。



(翼を、並盛から出て行くなんて、させない)



だから、翼とまた会う前に、翼と一緒に暮らしてるあの家に帰る前に、この研究所で小父さんと話しをしようと思った。


なのに、この様子は何なんだ。
平日のまだ夕方になったばかりの時間なのに、静かすぎる。


鉄格子の門扉を押すと、簡単に内側へ開いたことに眉をひそめる。
入るべきか一瞬迷ったけれど、トンファーの堅い感触を両手に確かめてからゆっくりと敷地内へと足を踏み入れた。





白と灰色の無機質な建物の中へ一歩入ると、知らない男が一人、そこに立っていた。



「・・・誰」



研究所や病院関係者とは思えなかった。
濃紺の背広姿で、恰幅のよい中年男だ。


「私は柳という者だよ、少年。君こそ、誰だい?」

「雲雀恭弥」


端的に答えながら、僕の頭の中では今の言葉と符号が一つ、合っていた。

翼が話すのを僕は聞いていたんだ。
柳、そういう名字の弁護士に、小父さんのつてで世話になっていると。



僕の応えに、男はわずかに首をかしげて呟いた。

「そうか。だが私が預かっているデータに、君の名前は無いようだ。
ということは、折角来て頂いたんだが、君に話せることは特に無いね」


柳という男に、特に不振な性質の匂いはしない。見たところ体術に長けている風でもない。
ただ、淡々と紡がれる言葉に不快感だけが募る。


こうして話していても、広いロビーと四方に伸びる廊下に、この男以外の人影は現れない。




「僕はここにいる風見の小父さんに用事があるだけだから。どいてくれる」

「ここには誰もいないよ、雲雀くん」


「そんなはずない。この間まで、小父さんはこの研究所にいたし、昨夜だって家に帰ってきてた」

「困ったね。・・・でも本当のことなんだ」



そう言って柳という男は、困ったように笑って繰り返した。

「ここには誰もいない。でも・・そうだね、中に入って確かめてみたらどうだね。
私はまだ仕事中だから失礼するよ。この鍵をかけて帰ってくれたまえ。鍵は後で翼くんに預けてくれればいい」


「どうして・・翼に」


既に背をむけて歩き出していた男は、当然といった口調で僕の疑問に応えた。


「何故かって?ここは今日から、翼くんのものだからさ」






−朱に染めて地の底で−




雲雀恭弥、そう名乗った少年は、私から鍵を受け取って、奥へと歩いていった。

彼のことを知らない、と言ったのは嘘だ。
彼が翼ちゃんに出会った時から、そのデータは集積している。

それは、彼が死ぬか、彼女から離れる時まで、続けられるのだ。



鍵を失い、空になった自分の手をみれば、年相応の皺のよったもの。

そういえば、あの方と初めてであったのは、私が物心ついた頃。
神木の前だったか。


(・・・・思えば私も、老けたものだ)


付き合いは、私が生まれた時からになる。

否、それは皆も同様だから特に言及するほどの事柄でもないかもしれない。
私があの方の枝の一つ、「柳」の家に生まれたから、という偶然にすぎない。


(さて。少年は、間に合うかな。少々・・・来るのが遅すぎた感は否めないが)


この研究所は、コンピューター制御の警備システムだから、その鍵は「扉」の鍵ではないと気づけばいいのだが。
だが気づかなければ、それはそれで運命だ。




(お前が新しい「柳」か。・・賢そうな奴だなあ)



木の幹には、「朱」と、刻まれていた。
けれど、その名で呼ぶことは、ついに一度も、無かった。

私たち枝達は、いつも主(あるじ)殿と呼び、親しんでいたから。



(なんだか、お前にはとても世話をかけそうな予感がするぜ。よろしくな)


ほんとに、そうですね。
少しは感謝して欲しいものですよ。

貴方には・・・世話をかけされられてばかりだった。


鞄から、爆薬を取り出す。

確かこれで最後だったはずだ。指を折り数える。
年をとると、記憶力が落ちるのは困るが仕方ない。

まあこのへんで良かろうと、適当に受付前のソファ上へ配置する。
小爆発の後は、通常の火災と見分けがつかないように燃え広がるタイプだ。

他の部屋にも、沢山置いてきた同じものも、私がスイッチを押すだけで僅かな時間差で連鎖反応して作動する仕掛けだ。



玄関から外へ出れば、もう闇が迫ってくる刻限だった。

薄闇の中に、ぼうと浮かび上がるのは、敷地の片隅、目立たぬ場所にひっそりと朱を散らしたような花が咲いていた。


そういえば、と思い出す。


海を越えたある国では、相思華、と呼ぶそうだ、と。
教えてくれたのは、貴方と一緒にこの花を見ていた翔子さんだった。

花は葉を想えど逢えず、葉は花を想えど逢えず、それは、子に命を継ぐと死んでしまう「風視」の命、のようだと。



(でも、私は。・・・翔子さんより貴方の方が、この花に似ていると、思ってましたよ)



毒をもつ花は、口にすれば彼岸(死)しかない、という名の由来もあったはず。
種を為さぬ三倍体ゆえに雄株、雌株の区別はない。

遺伝子的には全て同一だ。
遠くは大陸から伝わり、たった一株から、日本中へ増えていった花。


-------それは、貴方にこそふさわしい永遠の連鎖ではないかと、思えてならなかった



誰もいない守衛室前に入った。
カードキーで非常回線を開き、研究所の全ての窓、出入り口を封鎖する。


少年にも、5分くらいは猶予をあげるべきだろう。
腕時計を見た。

あと少しで、この花も建物も全てを、焼き払わなければならないのだから。





* * * * * *

 



「落ち着いたか?」


声をかけられて、ゆるゆると意識が浮上、する。

なんだろう。ぼうっとしてたのかな。
ちゃんと、椅子には座ってるんだけど。・・・あれ?


「保健、室・・?」

「ああ。お前、ちょこっと怪我してたしな。これからは怪我には注意しろよ。勘のいい奴なら気づくぞ」



目の前に、私と覗きこむようにしてたのは、シャマル。
さっき会ったばかりのオジサン?だ。

でもさっき「他人」から、「父さん達と親しい人、それでもって私の兄貴みたいな人」に格上げになった、はず・・・



無意識に手を顔にあげれば、絆創膏みたいなものに指先が触れた。

手当、してくれたんだ。



「ありがとう・・・」


というか、シャマルって新しくきた保健室の先生だったんだ。
今は白衣をひっかけてるから、それらしく見える。

でも、勘のいい奴ならって、何の話だろう。
いや・・そもそも、シャマルはさっき、なんか言ってた気がする。


あ、そうだ。

父さんが死んだ、とか言ったんだ。そんな馬鹿な。


「シャマル、父さんは出張かなんかに行ってて留守なだけだよ?不吉なこと言わないでよ。ただでさえ・・寂しいなって思ってるのに」


「いや、嘘は言ってないぜ。先生はな、昨夜、イタリアで交通事故にあったんだ。
道に猫が横切ったのを避けようとして、ガードレールに激突して、たまたま対向車線からきたタンクローリーに正面衝突、地元の救急隊が駆けつけた時は手遅れだったそうだ」



ぴく、と手が震えた。

でも、それだけだ。それだけ。だって


「へえ。・・・それで、父さんはどこにいるの?」


「どこって、だから死んじまったんだ。さっき、この学校にも一報が入ったぜ。
ショックがでかいだろうから、ここじゃ新米で手が空いてるオレが、お前を家まで送っていって面倒みてやることになってるから心配すんな。

先生の部下やら世話になってる弁護士もすぐお前んちに駆けつけてくれるそうだから、手伝ってもらって葬式は身内だけで密葬って形にすればいい。
今週いっぱいはお前、忌引きな。あ、遺体は燃えちまって、火葬同様になっちまったそうだから日本には持ってこれないそうだけど、仕方ないから我慢しろよ」


手の震えは、無くなった。

シャマルが「ほら」と、何かを差し出すから受け取った。
見覚えがある。さっき、もらった白い小さな箱だ。



「そっか。・・・こっちには、来れないんだ。じゃあ、私が会いにいくよ。どこ?」


「しつけえな、風見の跡取りは」

「翼でいいよ。シャマル兄さん」


「調子にのるんじゃねえよ。とにかくお前、これは無くすなよ。お前、翔子の形見をなくしたそうじゃないか。
まああれは、お前の手元にないほうが今のところかえって良かったかもしれないが、先生の形見を落とし物なんぞにしたら、シバくぞ?」



窓際の机で、足を組んでボールペンをくるくる回しながらシャマルがため息を吐く。
その目が、一瞬で見開いた。

私が、その首を片手で掴んで目の前に立ったから。



「調子に乗らないで、は私のセリフだよ」


指で押さえた首の経絡へ、微量の気を叩き込む。
両耳の三半規管を過度に振動させて、狂わせる技だ。

物凄い船酔いに一気にかかった感じになっただろう。
目眩、吐き気、脳をゆさぶられるような不快感を感じたはずだ。彼は見る間に表情を歪ませて、その場に膝をついた。



(シャマル。あなたの事は、嫌いじゃないよ)

でも、なめられるのは嫌いだ。
本当のことを、知りたいんだ。真実を。


この身体は、どうなってる?
どうして眼が急に見えるようになったの?

さっきは、本気で私を殺そうとしてたんでしょ?
どうして、今度は守ってくれるみたいに、言うの。

どうして・・・父さんが死んだなんて、見え透いた嘘を。



「うちの父さんはね、優しくないわけじゃないけど、猫を助けて事故るような人でじゃない。
轢いてるよ、自分や家族を護るためなら躊躇いもなく。そういう人なんだ。だからそんな見え透いた嘘には騙されない」


シャマルの足下に見つけた私の鞄に、さっきの箱をつっこんで、保健室を後にした。

嘘どころか、ホンモノをげろげろ吐いてる音が後ろで聞こえたけど、全部、放っておいて。





* * * * * *                                                 




風見の小父さんを捜して、僕はエレベーター前まで来ていた。

あの柳という人間が去り際に「所長室なら地下だよ」と言っていたからだ。
受付前に案内図があったから、ついでとばかりに確認する。


「 所長室  UG88 」


・・・なんなの。
この変な表記。


普通地下なら「B×階」とかのはずだ。
地下にできた階のことを英語でbasementというからだけど、今までこんな表示の仕方は見たことがない。

でも確かに、案内図の一番下には小さく、そう書いてあって。

一番近いエレベーターに入って、押しボタンを見ると、B1、B2、B3の次に、唐突にある「UG」の文字。


(88って・・・そんなに深いはず、ないだろう)



どこの秘密基地だ。馬鹿馬鹿しい。
あれは誤表記だったんだろうか。それともこのUGという階の、88号室という意味か。


どこか薄気味悪いような予感はある。

それでも、僕はあの柳が所長室、と事もなげに言ったのが気になっていた。
小父さんがここの所長というのは初耳だけど、あり得ないことでもない。

この前ここへ来た時も、周囲の医者も警備の人間も、あの人の指示一つで僕に道を開けた事を思い出す。


少しの躊躇の後で、「UG」のボタンを押した。
表示面がぽう、と淡い黄色に光ると、僕を乗せたエレベーターの箱は静かに下降しはじめる。



上方の階数表示がチカチカと「B1」「B2」とゆるやかに通過していくのを、何となく眺めていた。
その時



ドオンドオンドオン



地鳴りのような、振動と爆音。

激しくエレベーターの床が揺れたから、とっさに低い姿勢をとる。
トンファーも取り出し、いつでも攻撃に備えられるような体勢をとって、考えを巡らした。


(地震?・・・いや、違う)



爆音の発生源はほぼ真上だ。

とても近い。
しかもまだ続いている。
次々と、耳を揺さぶるような爆音が箱の中を貫通していく。

ズズズズ・・・と、地鳴りのような音が木霊して、不気味に鼓膜を揺する。



頭上のパネルが「B3」の位置で光った。それが、ふっと消える。


ヒュ、と空気が擦れたような音。

今までと比べものにならないスピードで、僕を乗せたままエレベーターは急降下していった。







落下の衝撃は、思ったほどじゃなかった。

ドン、と堅い音はしたけれどそれは最下層に到着したという合図みたいなもので、怪我一つしなかった。



何となくだけれど、これは事故とかじゃないように思えた。
「UG」というボタンは、もとから「こういう」仕様だったのだと。


気の弱い人間だったら、こんな急降下には耐えられなくて気絶の一つもしてたかもしれない。

そのくらい、急激な下降だった。
ちなみに真っ暗だ。電源は切れたのか、非常ボタンだけが赤く浮かび上がってた。


「開」のボタンを押したけど、扉は開かない。

でもさっきの爆音といい、非常ボタンなんか押しても、助けなど来ないだろう。
それが漠然とわかってたから僕は。


非常ボタンの下に「通話」と表示されたインターフォンに触れた。



「風見の小父さん。・・・ここにいるんだろ、開けなよ。話がある」



一拍程の沈黙後、手に触れていた冷たい扉が音もなく両側へと開いたことに、僕は思わず口角を上げた。


小父さんは、「賭けに負けたらここに来い」と、確かにそう言った。


僕は、負けたから来たわけじゃ・・・ない。

でもあの小父さんは約束は違えない人だ。
だから、「僕がここに来た」時のために、どんな状況でも何らかの手がかりを残すなり準備しておく人だと思い、それが正解だったのだ。



(こんな要塞めいた研究所だったことは、流石に予想外だったけどね)




UG88。
床に朱色でペイントされたエレベーターホールから伸びる2本の白い廊下。
その両側には、ずらっと並んだ沢山の扉。

エレベーターの外に出てから、昇降ボタンを、試しに押してみた。

エレベーターの扉は開いたままだ。何度ボタンを押しても、反応は無い。
帰りは、ここを使えないという事だろう。



長い廊下を奥へと歩いていくと、「所長室」と書かれた部屋が、突き当たりにあった。

前に立つと、入り口のいくつかのパネルが自動で点滅して、扉が開く。



部屋の中には、沢山の人工の植物があった。

正面に巨大なパネル。
複雑な電子機器が周りを埋め尽くしている。

そのすぐ前に置かれた机に座っていた人影が、いつもみたいに人をくった笑みを向ける。



「やあ、雲雀くん。初めてだよね、私の研究室に来るのは。
なんだか秘密基地みたいで楽しいだろう?これこそ男のロマンだよなあ・・・あ!そうそう、ところで賭けに負けた気分はどうだい?」




僕は開いたままの扉の前から、返事の代わりにトンファーを投げつけた。






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