Calling(後編)
「いってえ・・・後になって効いてきた」
保健室は。独りきりだと、ひどくがらんと空っぽな印象を与える。
ベットを背に堅い床の上で、足を伸ばして座りこんで、オレは遅ればせながら翼に一発くらっった顎を撫でさすった。
(ハハハ、ごめんごめん、キスしたなんてそんなの嘘に決まってるだろ)
(・・っ、山本のアホウ!ごめんで済むかっ)
寝起きにしては割と威力のある拳をお見舞いしてくれた、オレの「友達」は。
真っ赤な顔で、口を押さえて上目遣いに睨みつけてきて、そんな顔がすごくそそるなんてことに気づきもせず。
(でもオレ、お前が雲雀となんでもなくて、恋人でもないなら安心した)
(なんでさ。そんなこと・・・)
(だってオレは、お前のことが好きだから)
オレにとっては、二度目の告白だった。
それでもたぶん、翼にとっては。初めてだったんだ。
やっぱり最初のそれは「友達」の好意としか受け取られていなかったんだと、その言葉を告げた瞬間にオレも悟った。
(でも・・・良かった。今度は、伝わった。)
翼は、耳まで赤くなって、黙り込んで。
荷物を掴んで飛び出していってしまったけれど。
(逃げられたけど。・・・振られたわけじゃない)
殴られた顎はじんじん痛む。
でも別に腫れたり切れたりはしていない事を指先で確かめた。
ゆっくり立ち上がる。
今日は体育祭でクラスの大将に選ばれちまったツナの、練習に付き合う予定だ。そろそろ合流しないと約束に遅れてしまうから。
オレは、翼が本当は女の子なのに男として通してきたという事情を知ってる。
だから翼にはちゃんと伝わったはずだ。
オレが、翼のこと「異性」として、好きなんだという事を。
翼の事情も知らずに「ただ」傍にいただけの幼なじみの雲雀とは、違う「男」だと。
無防備に寝てた翼に、キスしたかったのは嘘じゃない。
でも唇を無意識に避けたのはオレの最後の矜持だ。
少なくとも気持ちを伝えてからじゃないと何の意味もない行為だから。だから触れたのは、本人にも見えないだろう場所だけ。
(でも、もうこれからは容赦しないぜ)
気持ちは伝えた。
ちゃんと、君に伝わった。
あとは押して押して落ちるまで、お前を追いかける。
隙さえあれば、キスだってする。何でもするから
(オレを、見てくれよ)
------Calling(後編)------
結構遅くまで仕事が片付かなかったから、家に帰ったのは暗くなってからだった。
鍵を開けて、一歩入って、異変に気づいた。
体調が悪いから、委員会の仕事を休ませた翼は、先に戻ってるはずだ。
なのに、明かりがついてない。
内鍵を閉める音が、しんと静まりかえった空気に妙に反射して響く。
かまわず中へ入った。
暗くても幼い頃から通った家だ。僕が迷うことなんて、この家ではあり得ない。
奥のリビングにたどり着く。
続きのダイニングのテーブルには、もう夕食が用意されてたけど、手をつけた様子じゃない。
そして翼は、リビングのソファに横になって眠っていた。
(・・なんだ)
心配して、損をした気分だ。
まだ本調子じゃないから、そこで寝込んでしまっただけのようだ。僕はほっと緊張を解いた。
リビングの明かりをつけると、ラグの上に鞄も投げ出してあるのが見えた。
自分の部屋にも戻らずに、そのままリビングで休憩してたんだろう。
そばに膝をついて覗きこんだけど、よほどぐっすり眠っているのか、目を覚ます気配はない。
(寝かしておいてあげたいけど、一応、起こさないと)
制服を着たままで、ネクタイだけゆるめた格好だ。
まだ冷え込む季節じゃないけど、何もかけないでこんな場所で寝て、体調がまた悪くなったらどうするのさ。
さっさと起こして、食事と風呂をすませたら翼のベットに連行だ。
(具合が悪そうなら、夜中に気持ち悪くなったりしないように、一緒の部屋で眠ればいいし)
翼が隣で寝てたら気にならないわけじゃない。
だけど、別に布団が一緒なわけじゃないから変じゃ・・ない。
そう、当たり前だよそんな事。
「・・翼」
いつものように、僕が、何気なく手のひらで柔らかな頬に触れた、その時
「っや、まもと!?」
翼が叫んで、弾かれたみたいに飛び起きるから、反射的に手を引く。
「・・・翼」
なぜ、どうして、いつもみたいに君に触っただけだ、僕が触っただけなのに、どうして君は
「どうして、山本武の名前を呼んだの」
叫んだ瞬間、翼は一瞬硬直してた。
怯えるみたいに。
僕からとっさにそらした顔を、肩を掴んでこっちに向かせる。
それで僕は間違いに、気づいた。
「なんでも、無い。・・・ちょっと間違っただけ、だよ」
怯えてたんじゃ、なかった。
翼は照れたように顔を赤くして、自分でも自覚してるんだろう、恥ずかしげにまた下を向いた。
なんなの。
・・・それ。
「間違いって、なんの事?それに・・どうしてそこで照れるのさ」
「て、照れてるんじゃないよ!今日、保健室で休んでたら、山本が様子をみにきてくれて・・その時は雲雀が起こしにきたのかなって、勘違いしたから。
なんか混乱してつい、名前がでたんだ」
翼が、もごもごと言い訳めいたことを呟きながら照れ隠しなのか、無造作に肩にかかってた髪をかきあげる。
開いた襟周りから、白い首筋が覗いて。
僕は思わずそちらに視線を奪われた。
そして。
思考が止まった。
紅い、キスマークが一つ。
後ろから覗かないとわからない、肩に近い場所にあるそれは一瞬で目の奥まで焼き付いた。
「・・・ねえ。翼」
自分でも、おかしなくらい、穏やかな優しい声だったと思う。
汚らしい泥をかきぜるような嫌悪感。
果てもなく上がる熱と、膿んだ痛みが胸の奥から噴き出していくみたいなどろどろした感覚。
それを全部、他人事みたいに感じながら。
「寝込みを起こされるなんて、無防備だよね。いくら男同士でも、質の悪い奴なら悪戯くらいされてるよ?
・・・それでも君は呑気だから、全然起きないに決まってるし」
「な、失礼だな!気配は感じたけど、どうせ雲雀かなって・・・
思い込んでたんだから仕方ないってば。キスは結局しなかったって言っ・・・・・あ」
「・・・へえ」
「・・・ばばば馬鹿げてるだろっ!勘違いだったし、からかわれただけだからっ!」
「・・・」
「ほら、雲雀だって馬鹿だって思ってるんだろ?笑ってるし!」
指摘されて、ようやく気づいた。
・・・そう。嗤ってったんだ、僕。
「翼。・・・風紀を乱すなって、君が委員になる時、僕はちゃんと教えたよね」
「えっと、そうだっけ・・・ちょちょちょどーして掴んでくるんだよ、なんだなんだこの体勢っ」
ソファから上半身起こしたままの姿勢で全く無防備だった翼の両手首を、拘束した。
上に持ち上げてしまえば僕の方が腕力もあるから、翼が手加減なしで振り払うことは難しい。
「なにって。・・・二度と風紀を乱せないように、お仕置きするだけだよ」
言うと同時に、噛み付いてた。
馬鹿な君が、愚かな隙をつくって、僕の知らない間に、僕の知らない場所でつけられた印に。
「いっ・・・」
それなりに痛かったんだろう、翼の声が耳元できこえた、でもソファに押しつける力を僕はゆるめない。
だって、翼が無知だから。
君はどうせ全然、気づいてないんだ。
よりにもよって山本武の前で寝こけるなんて、僕の前で君を呼び捨てにする男に、僕の知らない間に悪戯されて、
それでも気づかないでいつも傍にいる僕と間違えたりして、キスしてないなんて口先だけの言葉に簡単に騙されて。
誰がそんなの信じるんだ。
君は馬鹿だ、そして僕も馬鹿だったんだ。
こんなに簡単に奪われるなんて思いもしないでいた。
山本武がつけた印なんてわからなくなる。
僕が何度も、じんわりと噛みしめたそこは小さな紅い印なんてかき消されて。「僕」で上書きされた。
悔しさと、満足感が入り交じったような熱に頭がぼうっとなってる。
そっと口を離して「それ」を見つめていたら、僕を抱きかかえるようにソファに押し倒されてた翼が、僕の後頭部を撫でていた。
いつのまにか腕の拘束を外していたらしい。
それだけ、僕に余裕が無かったのか。
「もう、ごめんって。雲雀。・・落ち着いた?」
なんだか最近、こんなに翼に近づけることは無かった事に、遅まきながら気づいた。
今更だけど、好きだって自覚した後は意識してしまってできなかったのに。
今は翼に抱きしめられてる格好で、僕はといえばキスのようなことを・・・・そりゃ、噛み付いただけだけど。
ああでも、君の首筋からは甘い体臭みたいな匂いもするんだ。
この状況は。・・・まずい。
当初の目的を果たした僕は、速攻で翼から離れた。
「まだ、ほんとは懲らしめ足りないけどね。これくらいで赦してあげるから、感謝してよ」
あっさり解放された君は、拍子抜けしたみたいに首をかしげてたけど、全部君のせいだから。
それは間違いないんだからそんな不思議そうな顔しないで欲しい。
僕はどうして、
君を好きになったんだろう。
理由なんてわからない。
それに、理由なんてどうでもいいと僕は思ってしまうほど。
------君を近くに感じるたびに、僕は自分自身を追い詰めていく。
* * * * *
今日は体育祭だ。
私は風紀の仕事で早起きする必要もなかったし、雲雀は「今日は校外の見回りを朝のうちに片付けてくるから」とかいって、朝ご飯を食べるとさっさと出かけていった。
昨夜の珍しく甘えたがり?な態度が嘘みたいに、あっさりした幼馴染みの雰囲気に、ほっとする。
私にとって、雲雀は家族に近い存在だ。
父さんが不在の今は、誰よりも心のどこかで支えてもらっている。
だから、雲雀がごく当たり前のように傍にいてくれることに、「普通なのが一番幸せだなあ・・」と学校までの道を歩きながら、しみじみかみしめていた。
・・・もちろん、山本のことは、「普通」じゃなかった出来事、だし。
これからどうしようか迷ってる・・けど。
(真面目に告白、してくれたんだから・・・ちゃんと、考えて返事、しなくちゃ)
考えてみたら、「女の子」としての私を、初めて好きになってくれたひと、だ。
そう考えたら、また、ぼっと顔が熱くなる気がした。
静まれ静まれ。
要点はそこじゃないよ、要するに山本に、どう返事するかなんだけど。
(うーん・・でも、今のところ私に、恋愛感情は無いよね。たぶん)
じゃあ、丁寧にきちんと、ごめんと言うべきなんだろう。
できれば今まで通り、友達でいたいとも伝えたい。
山本は中学に入って初めて友達になってくれた人なんだから。
「・・・ちょ。このひとごみ、何?」
昇降口前で、思わず疑問符が。
体調も良くなって、いつものように、登校したら。下駄箱の向こうの廊下に、すごい人だかりができてる。
靴をはいて、がやがやと騒がしい人波に混ざったら、見慣れた銀髪を見つけた。
「極寺君!おはよう。ところで、これ・・・なんの騒ぎ?」
「風見っ!」
私を振り向いた時の極寺君の声は、いつもの彼らしくなく小さなものだったけど。
どうして?
みんなが見ていたのは、掲示板らしい。
いつもはスポーツ大会のポスターや図書館の新刊のお知らせ、購買の新商品のチラシなんかを貼る場所だ。
そこには真新しい校内新聞の一面の見出しがあって
「秘密の関係!? 野球部のエース、直球勝負!!」
・・・・・え。
そんな写真、いつ撮られたかなんて。
・・・・決まってる。
アングルはたぶん、窓からだ。反射する窓ガラスが写ってる。
誰かが、校舎の外からカメラで、保健室を覗いてたんだ。
昨日。
あの、時に。
それは、保健室のベットに寝てる私と、その上に腕をついて顔を近づけてる山本の写真、だった。
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