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時が、満ちて


身体がすごく、重かった。
少し熱っぽい。ベットの上で、何度も寝返りをうつ。・・風邪でもひいたかな?
腰も痛いような気がする。それになんか、お腹も


・・・ああ


この感覚は、二度目だ。
去年、初めてその日がきた時、母さんがお赤飯を炊いてくれたっけ。
それから数日後に、母さんは



(どうして血を流さないと、女になれないんだろう)


それからずっと私は
「これ」がこわかった。

無意識に失うことを怖れて、心が、体が、血を流すことを拒んできた。




−時が、満ちて−




寝苦しかったのに、いつのまにか熟睡してたらしい。
夢のない眠りから、ゆっくりと意識が浮上する。


ふと、風が吹いた気がして薄く眼を開けると、暗い部屋の中、枕もとにいつのまにか父さんが立っていた。


くたびれたワイシャツ姿。上着を抱えて、今帰ってきたんだろうか。
こんな、夜ふけに。


「・・おかえり・・なさい、父さん」


夢を半分みている気がして、口もうまくまわらなかった。
自分の声じゃないみたいな、かすれた声に応じて、父さんがへらりといつものように笑ったから、やっと安心した。

眠くてしかたなくて、起き上がることはできない。


ふわり、と父さんの手がおでこに触れて、そのまま頭を優しくなでられる。
少し体温が低い、ひんやりした大きな手のひらはとても、気持ちよかった。

更に眠気がつのって、身体が沈み込むような気さえする。



(こんな風にされたの、随分久しぶりみたいな感じ)


小さな頃は、よくこうしてもらったっけ。
一緒にいた雲雀は撫でられそうになるたびに、大抵すごく嫌そうな顔してふいっと逃げてた。

どうしてかな。こんなに、気持ちがいいのに。


「・・洗濯物、もってきた?・・替えの下着とか・・箪笥に入ってりゅ、から・・」


ああ、私は完璧に寝ぼけてる。ろれつがまわってない。
でも父さんのことだから、また研究所に寝泊まりしっぱなしで、大量のパンツを持ち帰ったに決まってるんだ。
明日は頑張って洗たくしなきゃ。


父さんは嬉しそうに頷いてくれたから、なんだか私も満足した。
もう眠くて、目を開けてられそうになかったけど。


おでこに触れていた父さんの手が、ゆっくりと離れていく。
目を閉じる時も笑顔だった父さんは、ほんのすこし寂しそうに見えた。



* * * * *




静かな夜、だった。

何かの気配に、寝床にしてた部屋から廊下へと出る。
寝付けなくて、起きていたのは偶然だけど。

翼は二階の寝室で熟睡中だろう。僕は足音をたてるようなへまはしないから起こしてしまう心配もいらない。



何かが、二階から階段を降りてこちらへと移動してきた。
それはよく知っている、人間の姿で。


「小父さん。・・・帰ってきたの」


風見の小父さんは、いかにも仕事帰りといった感じの着崩れたワイシャツ姿で、僕と同様に足音も立てず気配もなく廊下を歩いてくる。

やあ、とでも言いたげな感じで、僕へと片手を上げる。
少し猫背で、シニカルないつもの笑みを浮かべてるのが薄暗がりの中でもわかった。


そのまま、僕とすれ違う。


(・・・?)


なんだろう。
何か、同じような記憶がある。
思考をめぐらせて、ふと気がついた。



(翔子小母さんが亡くなった、あの日)


棺の前で、呆然としてた翼を放っておいて、小父さんは、どこかへ出かけていった。
こんな風に、廊下で僕とすれ違って。逆の方へと歩いていった。


「翼をおいて、どこに行くのさ」


それは反射的に、でた言葉だった。
寝ているだろう翼を気遣ったのか小さな声になったけれど。


(あの日も、僕は本当は、小父さんに言ってやりたかったんだ)


大人なんてどうでもいいと思いながら、それでも
泣いている翼を、放っておく親を許せないと心の中で思っていたんだ。



すれ違ったばかりの小父さんは驚いたみたいに僕をふりかえって、いきなり手を伸ばして
こともあろうに僕の頭を、撫でてきた。

あまり突然だったから、つい僕も反応が遅れて、大雑把な手つきでガシガシ頭を撫でられてから我に返った。


「・・・止めなよっ」


乾いた音と共に、手をはたき落した。

それでも小父さんは、こりてないみたいで、薄く笑ってる。
その唇が、ゆっくりと動いた。


「君があの子のそばにいてくれて、良かったよ」


眼尻をさげ笑んで、小父さんは玄関からでていった。
僕の問いかけにはとうとう、答えないままで。




* * * * *



(まずったなあ・・・)


こぽり、と泡立つような音が、喉の奥で鳴る。
無理して声帯を使ったらこのざまだ。


背延びして、突っ張ってる彼がどうにも構いたくなって昔みたいに頭を撫でようとチャレンジしたら
思いのほか成功してこっちがびっくりした。

まあ速効、手をはたかれたが。



玄関からでると、月が白く石畳を照らしていた。
平和な街にふさわしい、静かな夜だ。


よれよれとおぼつかない足取りで、道を歩いていく。
手にしてた上着が邪魔だなあと思ったが、捨てるのも面倒なので持ったままだ。


さきの街灯の下に、男が一人、立っていた。

俺を待っていたんだろう。ふらりと寄りかかっていた電柱から離れてこちらに歩いてくる。



「先生。・・・探しました」


昔の面影はあまり無い。
不精ひげなんて生やしやがって、すっかりおっさん臭くなった奴からは初めて会った頃、ぴちぴちだった表情の微塵も残っていない。

イタリア男らしく、粋にきこなしたスーツ姿はシャレてきまってるが、高級なオーデコロンでも隠せないものが風にのって鼻孔をつく。


濃厚な、血臭。

日の光の下ならば、奴の濃紺の上着の所々に散っている黒い斑痕の正体は素人にもわかるだろう。

俺の胡乱げな視線にやっと気づいたのか、奴は目を見開いて背筋を伸ばした。


「すみません!・・・このへんで、先生のお宅の様子を窺ってる怪しい奴等がいたのでつい。
始末屋に頼んだんで、もうすぐ綺麗にさせますから」


(いや、今更俺も、三十路も過ぎた男を叱ったりしないって)


街灯の光から離れた草むらや影の部分に、黒い何かがごろごろと転がっているのが見えた。
呻き声すらきこえない。家にいた時も不審な音はきこえなかったから、よほど手際よく倒したんだろう。

この男の操る小さな凶器は、闇の中ならなおのこと、獲物を逃がすはずもない。



俺がやれやれと首をふると、今では伝説の殺し屋、なんて呼ばれてるトライデント・シャマルは、注意深い観察眼で俺をみた。



「声。もう・・・駄目ですか」


御名答。指でマルを作ってやる。
もし今の俺がこいつを叱りたくても物理的に無理だ。


「目は・・・・?」


俺のことより、お前のほうがやばそうだ。

なんだよ、そのうるうるした目は。水分で土手が決壊寸前だぞ?
何より男の涙目なんて見たくねえ。




----------なんだ。そこのガキ。・・・泣いてんじゃねえぞ

----------泣いてなんて、いねえよ!おっさん!

----------うんうん。それは鼻水だよな。    


--------・・・へ?


--------男の目から涙なんてでるもんじゃねえよな。
    でるとしたら、鼻水だ。
    目と鼻は繋がってるから間違ってでてきたんだ。
    かっこわりいもんな〜イイ男が泣いてるなんてよお


--------・・・ふん。そうさ、これ、は、鼻水だぜ!






(なんかしょっぺえ思い出だな)

シャマルもあの頃はそばかすだらけの可愛いといえる御面相だったんだが・・と俺は感慨にふけりながら、東の空を指差した。

日の出まで。
もって、そのくらいだろう。


うっとうしいことに、またシャマルの野郎の目が潤みだした。

だから鼻水たらすなって。
お前も黙って立ってりゃ、けっこういける面構えになったんだからもったいない。
そんなんじゃ、カッコよくねえだろ?


オレは、怖くはないんだ。
ただ強いていえば・・・一つだけ


「先生、オレは・・・嫌です」


そういえば、翔子が妊娠した時も、こいつは嫌だとかわめいてた気がする。
昔っから、こいつは翔子が大嫌いだったからなあ・・・

まあこいつなりに、俺を慕ってくれたからこそ、だったんだろうが。



(でも「嫁の前なんだから空気読めよ」と、ウザかったこともあったな)


俯いてしまったシャマルの、暗い髪の頭にぽんと、手をのせる。

そうだな。
こうして、好きなものに触れられなくなるのなら


(それって、この俺でもけっこう驚くくらい・・・さびしい事かもしれない、な)






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