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還らない日々

風の噂で、あいつが日本へ戻ってきたと、耳にした。
ちょうど仕事の折り合いがついたから、帰国した。


奴の家は、ほんの一息で会える距離にある。
うちとあまり年の変わらない子がいるのはわかってたから、
恭弥もついでに連れていった。


久々に会うあいつと、昔と変わらず美しい奥方は、笑顔で出迎えた。
ぼさぼさの髪と相変わらずの食えない口調に、自分もまだ若かった頃を思い出す。

そして、二度と開くことのない奥方の閉じられた瞳に
戻れない場所まで、互いに歩いてきたのだということを知った。



* * * * * *



その子は、思ったよりもずっと可愛らしかった。
自然と顔がゆるみ、らしくないと思ったが。

「こんにちは」と話しかけ、そのまま何とも感慨深く眺めてしまった。



(・・・この子が、それか)


小さな体に、末恐ろしい程大きな、内在した気を感じる。
吸い込まれるほど美しい瞳の奥には、果ての無いほどの深み。




この子に愛された者は、世界の全てを掴む可能性を得るだろうが
この子に溺れた者は----滅びと紙一重の地獄を見るだろう。





人懐こい「翼」という子は、恭弥に話しかけ、一緒にどこかへ遊びに行った。

珍しいことだ。
恭弥は、昔から反抗的で子供らしさに欠けているところがある。

滅多に他人に気を許さない、気難しい性質のあの子が、
子供とはいえ初対面の子に大人しくついていくなど初めてみた。



「恭弥くんは、きっと翼といい友達になれるなあ」

「・・・友達、か」


それ以上には、なれない。
そうした意味を、含ませる。

あいつは、ただ笑っていた。
否定など、する必要も無い、と。





* * * * *




二人で酒杯を傾けていると、恭弥がふいに戻ってきた。

「父さん。・・・僕、ここに泊ってもいい?」



二度、驚いた。
私の隣で、奴がひょうひょうと「いいとも。どーせ近所なんだし。なあ、雲雀?」
と言うからあまり考えないまま頷く。



「じゃあ。僕、家からきがえとってくる」

恭弥は嬉しさと照れを含んだ表情でぷいと顔をそらし、走っていった。




「・・・驚いたな。恭弥が子供にみえた」

「お前んち、どういう家庭だよ」


「普通だが」

「いま史上最大の空耳が聞こえたぜ。全米が泣いた。まあ、俺にはただの生意気なガキだけどな」


「お前にとっては、相手が80の老人でもそうだったろう」

「まあ違いねえなあ。でも、変わるんだぜ、俺だって。わかるだろう?」




わかっているから。
直接確かめるために、ここへ来た。

「奥方の、希望だったと聞いた」



差し向かいで杯を干す男の後ろには、先刻の子を抱いた夫婦二人が笑う写真が飾ってある。
子など、つくるはずのなかった、この男に初めてできた-------家族。


「だって、翔子が生みたいっちゅーんだもん。まあ、ふつうだろ?泣けるくらいさ」


その代償に、何を支払ったのか
私は、知っている



「期限は」

「10年ってとこか」

長いようで短い。
それでも明日の天気でも話すように。

男はあぐらをかいたまま、昇りはじめの月を見上げた。





「名をつけられた時、なんとなく予感はあったからな。いまだにピンとこねえが、悪くない」

「ただの人間なら、当たり前のことだ」


私の言葉に、嘘を突かれたように顔をあげ、破顔した。

「そうだな」




「・・・怖いと、思うものか。お前のようなものでも」

「どーいう言い方だよ、それ。まああれだ、正直、俺には怖いって感覚はこれからもずっとわからんだろうな」



それでも、と言葉を継いで

「怖くはないが。お前と一緒に酒を呑むこともできなくなるんだなって思うと、
自分でもびっくりするくらい、ショックだ。お前はそう思わないか?雲雀」



自覚が無いのだ、この男。

自分が男も女も区別なしの、無意識の天然たらしだということに。
あの可愛らしい子が、この欠点を継いでいないことを祈ろう。



「・・・どうかな」


その答えは
胸の中へひっそりと落ちて









--------それから10年が過ぎ

奥方の訃報を外国でうけとり、弔電を打った。





そして春、あの時の子は、恭弥と同じ中学に入ったらしい。


「翼は、他の中学に行くつもりだったみたいだけどね。僕がそんなの許さないよ」

珍しく自分から私に電話してきた恭弥の声は、心なしか楽しげだ。

いや・・実際、楽しみなのだろう。
これからあの子と過ごす、学生生活が。



「仲良くな」

言葉少なく答えると、


「言われなくても、そうしてるよ。じゃあ」

と、無愛想にいって切られた。




だから私は、余計なひと言を言わずにすんだ。



「お前達が一緒にいられる時間は、とても短いのだから」






止まっていた時間は走り出し、留めることはもうできない。

切れた電話ごしの独り言が
遠い日本に届くことは無いことに、安堵した。




* * * * * *



「月はイタリアも日本も、一緒だな」

「・・ああ」

「俺達は、ここに帰ってきて、よかったよ。・・雲雀」




いまも胸に残るのは
古く懐かしい 友の声




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あきゅろす。
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