セントポーリア
プロローグ
「…綺麗な、字だね」
「………」
はじまりは、ある春の日の話。
惣院高校では、一、二年次に芸術科目の選択授業がある。
音楽・美術・工芸・書道の中から一科目を選択し、週に一度二時限分の時間をとって学ぶこの授業は、生徒たちにとっても“息抜き”という意識が強い。定期試験の成績には、影響しない科目だからだろう。
瀬戸詩織(せと しおり)は、惣院高校で書道の専門教師を務めて二年目になる。
…前述した通り、芸術選択の時間は生徒たちにとっては“息抜き”。全体的に緩やかな空気が流れる中、詩織は書道室の畳の上を静かに歩く。
真面目に書に向かっている生徒は、ほんの少数。半紙に水墨で描かれた謎のキャラクターにクスリと小さく笑い声を漏らすと、それを描いた生徒は慌てた様子で半紙を隠した。
時間までに、何か一つは“文字の作品”を書いて提出してね、と小さく注意して、隣の生徒の作品に目をやる。
「……!」
小さく息を呑む。
…全体的にぐだぐだとした空気の流れる中、彼の周囲だけは特異な空気が張り巡らされていたから。
小さな半紙に、綴られた文字。周囲の様子など気にせず、彼なりに書いたものだと思われるそれに、詩織は目を奪われた。
「…綺麗な、字だね」
「………、先生」
ぽつりと呟いた詩織に振り返った彼は、淡い金色の髪にターコイズブルーの瞳が特徴的な生徒。
その日本人離れした美貌は、母親が元モデルのイタリア人であるかららしいと、職員室の噂に聞いた。今期より生徒会の副会長を務めるらしい彼の名前は、確か…。
「峰岸(みねぎし)、君?」
「…はい」
2年Aクラス、峰岸ソール。
確かめるように名前を呼んだ詩織に僅かに不思議そうな眼差しを向け、彼は再び半紙へ向き直った。
彼が書に向かう姿勢を、後ろから見守る。
…形だけ見ればとても綺麗な字に見えたが、よく見ればなかなか味のある個性的な“書”に感じた。
「綺麗な字だけど、少し癖があるんだね」
「…え?」
呟いた詩織を、再び振り向いたソールの青い瞳が窺う。
けして悪い意味で言った訳ではなかったので、詩織はふるふると首を振った。
「一見歪んだところなんてない綺麗な字に見えるんだけど…、書いているところを見てると、筆の癖が強いのが分かるんだ。綺麗なのに、真っ直ぐじゃなくて、少し曲がってる…」
「……」
「…でも悪い事じゃないんだよ。それも、キミの字の個性だから」
「…俺の、個性」
「そう、キミの個性」
久々に趣のある字に出逢えて、詩織はにこりと微笑んだ。
ソールの整った容貌が、ぱちり瞬き不思議そうに詩織を見上げる。
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