セントポーリア
4
隣から雨水につんつんと肩を突かれ那智の表情が引きつるが、再びデスクワークに戻るのも嫌だったのだろう、月代が差し出すクリアファイルを手に取った。
「…ま、まぁ、あの人見回りとかで風紀室いない事も多いし…。必ず遭遇するとは限らない…」
自分に暗示をかけるかのようにぶつぶつと呟く那智に、生徒会メンバーは一様に生温い視線を向けた。
それにしても、“遭遇”とは……風紀委員長はモンスターか。
おそらくは、那智にとってはそうなのだろう。キーボードを叩きながら、ソールは思った。
この特殊な男子校で何でもかんでも“萌え”に変換する那智が、唯一忌避して恐れる存在。…それはおそらく、特別な意識の裏返しだ。この歳にして、彼は自分自身の恋愛感情には愚鈍なようだから。
(…余裕があったら、観察も楽しいんだけどな)
一人で赤くなったり青くなったりと忙しそうな那智は、雨水に早く行けと突かれて生徒会室を出て行った。
「…いってきまーす」
「行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振って部屋を出る那智を見送ると、再び作業を再開した雨水がはぁ、と息を吐いた。
「……静かになったね」
「雨水、割と普通にヒドいな」
まぁ、チラリとソールも思った事だが。
呟かれた声に思わず素に近い口調で返すと、雨水が肩をすくめる。
「俺は静かに仕事したいタイプなんだよ」
生徒会役員の中では、おそらく那智と一番親しい癖に、言っている事は結構酷い。…否、親しいが故のその扱いの荒さだろうか。
「まぁ、それには俺も同意だけどネー」
「……静かなうちに、さっさと仕事を進めるぞ。何の為にアイツを外に出したと思っている」
「ははっ、月代も大概ヒデェ」
役員の中でも、最も“静かに仕事がしたい”タイプだろう月代の言葉に、ソールは言いながらおかしそうにケラケラと笑った。
誤解が無いように言っておくが、月代も雨水も、もちろんソールも、那智が嫌いな訳ではない。ただ、忙しい時にあんまり騒がれたくないだけだ。
黙々と仕事をし出した他の二人に倣い、ソールも議案作成を再開した。
(……、あー)
真面目に仕事をするのもたまには必要な事だとは思うが…、なかなか終わらない作業を目の前にすると、どうしても次第に思考は逸れていく。
先程気分転換と称して、顔を見に行って来た。…けれどまだ、あんな細やかな逢瀬では全然足りない。
(…詩織さん)
面と向かって、名前を呼んでしまいたい。けれど、まだそうするのには早計か。
(もう少し。…まずはあの人に、こっちの名前を呼んで貰うのが先か)
…仕事なんて早く片付けて、彼に会いに行きたい。
婚約者に入れ込む雨水のような思考に、ソールは思わず自分でも笑ってしまった。
(……慌てない、慌てない)
歳上で鈍いあの人を落とすには、ゆっくりと…遅効性の毒のようにじわじわと、心を侵蝕していく事が必要なのだ。
(そのうち、…俺が居なくちゃ、やっていられないように、ね)
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