セントポーリア
引いては寄せて
いつしか、彼の存在が自然と目に入るようになっていた。
生徒総会も近付いてきて、生徒会は繁忙期。隙をみては放課後の書道室に顔を出してくれていたソールも、ここ二週間程はご無沙汰だ。
書道科目の専門教師である詩織が彼に接触するのは、週に一度だけある書道の授業時間中だけ。
それが本来の形だと言ってしまえばそれまでなのだが、それだけではどこか寂しいと感じてしまうくらいには、詩織はソールと過ごす放課後の時間を恋しく思っていた。
授業中ではのんびりと書に向き合いながら、他愛のない話をする事も出来ない。
芸術科目特有の緩やかな空気の流れる書道室でやる気の無さそうな生徒たちに苦笑いしながら、詩織はふと部屋の隅に席を取った彼に視線を向ける。
その空間だけ他とは切り離されたような、張り詰めた凛とした空気。彼の纏う気配は、初めて言葉を交わした春のあの日から変わっていない。
(……あっ)
ふと顔を上げる、見惚れる程に整った容貌。ターコイズブルーの澄んだ瞳と視線が絡み合うと、彼はふっと凛とした気配を緩ませて微笑んだ。
「…!」
その笑みのあまりの綺麗さに、思わず小さく息を呑んだ。
驚いた様子を見せた詩織に、ソールの笑みが悪戯めいた色を載せる。
「(センセイ)」
唇だけを動かして、いつものように詩織を呼ぶ。
他の生徒には分からない、自分だけに向けられた呼び掛けに、何故か心臓がトクリと跳ねた。
「(……り…ん)」
(…え?)
続けるように声無き呼び掛けを紡いだソールに、詩織はぱちりを瞳を瞬かせる。
それはあまり見た事のない唇の動きで、彼が何と言ったのかが詩織には分からなかった。
悪戯っぽい彼の微笑みが、何故かざわりと胸を乱す。
「……峰岸君?」
教室の隅にいる彼に近付き、周りの生徒に聞こえないよう声を落として囁きかけると、ソールは瞳を細めた。
「…どうしました?」
「どう…って、さっき、“センセイ”の後にも何か言ってたでしょ? でも僕、何て言ったのか分からなかったから…」
「あぁ」
先程彼が唇だけで囁いた言葉は、何だったのだろうか。
詩織がそう訊くと、ソールはクスリと笑う。…ほんの少し、意地悪く。
「…ナイショ、です」
「え?」
「さっき何て言ったのかはナイショですよ。…そのうち、教えてあげます」
「えぇ…?」
そんな応えが返ってくるだなんて予想外で、詩織は思わず困ったような声をあげてしまった。
詩織の声が聞こえたのか、周囲の生徒が此方を振り向いたので、慌てて首を振って誤魔化す。
振り向いた生徒たちが再び各々の作業に戻ったのを見て、ほ、と息を吐くと、クスクスと笑ったソールが詩織の肩をつつく。
「…ホラ、授業中ですよ、センセイ」
「う、うん…」
ソールに促され、釈然としない気持ちながら、詩織は再び室内の巡回を再開する。
…先程、ソールは自分に向かって何と言ったのだろう。同じ疑問を、胸の中で転がしながら。
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