ジプソフィラ
2
「ネズミでもいるんかいな…?」
冗談めかして呟いてみても、違和感は消えなくて。
雪羽は勉強机から立ち上がると、リビングと繋がる扉を開けようとノブに手を伸ばした。
……が、それは触れる直前で奥へと遠ざかってしまう。ドアが引かれたのだ。
「え…?」
有り得ない事態に、雪羽は目を丸くした。
だって、自分は一人部屋なのに。誰かが扉を開ける筈なんて、ないのに。
お坊ちゃん学校である此処は寮の玄関はオートロックで、セキュリティも万全であった筈だ。なのに、何故。
…何故、自分の目の前に人が立っているのか。
「…なんで…?」
呆然と、呟いた。
半開きのドアに隠れた人物は、自分よりも遥かに長身らしい事がわかった。けれど陰に隠れた顔は、よくわからない。
雪羽が訳が分からずに立ち尽くしていると、半開きだったドアが完全に引かれた。
そうして露になった相手の姿に、雪羽は更に混乱する。
「──アンタ…!?」
…二週間程前、遠目でみたその姿。
それなりの距離を挟んでいても、美しいなと漠然と思った男。
生徒会長である須藤月代が、其処にいた。
雪羽の部屋を背にして、雪羽の目の前に。
「なんで…!?」
二度目となるその言葉。
混乱と驚愕を色濃く含んだそれに、目の前の男は妖艶に微笑んだ。
…以前一度視線を絡ませたあの時と、全く同じ表情で。
瞬間、あの時と同じ正体不明の戦慄が雪羽の躰を駆けた。
それなりに遠かった前回とは違い、今回は極近い距離で。…意味も分からず動悸が、鳴る。
「ッ! 何っ!?」
訳の分からない感覚に意識を奪われているうち、雪羽の躰は月代に簡単に捕われてしまっていた。
細めに見えて意外としっかりとした腕に抱えられ、雪羽は部屋の奥、自分のベッドへと運ばれていく。
ぽふん、投げられた衝撃はマットが受け止めてくれたが、精神的な衝撃は一体何が受け止めてくれるのか。
混乱の余り抵抗という言葉さえ浮かばない雪羽は、ベッドに倒れ込んだ自分の上に男が覆い被さって来ても、目を見張るしかなかった。
…遠目から見ても思ったが、本当に綺麗な男ではある。同性ではあるものの目の保養になりそうなくらいだが、残念ながら今の雪羽にはそんな心の余裕も状況の猶予もない。
夜空を思わせる黒色の瞳が細められ、やや薄い形の紅梅色の唇が囁く。
「…雪羽、」
……戦慄が、駆ける。
低くやや掠れた声に名を呼ばれ、雪羽は混乱の余りショートしそうな思考のまま彼を見返した。
美しい顔は、妖艶に微笑んでいる。
答えられずにいる雪羽を見て月代はまた笑みを深め、距離を縮めながら囁いた。
「…抱かせろ」
距離が、ゼロになる。
思考が、ショートする。
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