ジプソフィラ
平穏、崩落
「ただいま〜…、って誰もいないけどさ」
今日も平凡な一日を終え、寮の部屋へ戻る。
特待生である雪羽は、学生寮の最奥である一般室よりも一回り大きな特別室が与えられている。3LDKの最早マンションの域的に豪華な。
そしてしかも、同室者のいない一人部屋ときている。
生粋の庶民である身としては立った一人にこんなに大きな部屋は不要、寧ろ畏れ多いくらいなのだが、部屋替えして欲しいとまでは言えずに編入してから今日まで約一ヶ月間この部屋で生活している。
「…せめてルームメイトでもいりゃいいのにな」
こんなに広い部屋、一人だと余計に寂しさが際立つ。
誰に言う訳でもなしに呟きながら、雪羽は教科書やノートの入った重たい鞄を部屋の床に軽く投げた。
…普段ならば教科書類は置き勉していてもいいのだが、六月も終わりに近付いた今は期末試験の直前。雪羽は特待生の身として、上位の成績を維持しなければならない。
軽い気持ちで編入してしまったとはいえ、いきなり成績を落としては体面も悪いし、推薦してくれた恩師の面子も潰してしまうだろう。…それは何だか、後味が悪い。
「…ま、夕飯食ったら、ぼちぼちやるとするか」
一人部屋の寂しさを埋めるように予定を音にして呟き、雪羽は制服から部屋着に着替えてから無駄に広いキッチンへ向かった。
* * *
「…っと、ん〜っ」
実家から送って貰った幼い頃から馴染んだ勉強机に向かっていた雪羽は、一度大きく伸びをした。コリをほぐすように首を軽く一周回し、ついでに部屋の壁に掛けられた時計を確認する。
「ん、十一時か…」
七時半に夕食を食べ終えてから、三時間半。まぁ、集中して出来た方だろう。
シャープペンを持ったままの手で肩を軽く叩き、雪羽は小さく欠伸をした。
「…ここで一息入れるか、それとも今日はそろそろ寝ちまうか…」
雪羽は呟いて、椅子に座ったまま躰を捻って後ろのベッドを眺めた。
…部屋は無駄に有り余っているのだが、雪羽はリビングと勉強部屋兼寝室としているこの部屋以外は活用していなかった。活用する程の荷物もなかったからだ。
実家の部屋もこのくらいの広さだったし、部屋では精々寝起きと勉強と読書くらいしかしないので充分だ。
「…あぁ、でも本が増えてきたら書斎にしちゃうのもアリかもなぁ…」
読書全般は好きなので、書斎など結構憧れだったりする。一介の高校生が持つには、なかなかの贅沢じゃないか?
どうせ余ってる部屋なんだし、などとつらつらと雪羽が考えていると、ふと部屋の外で物音が聞こえた。
「……?」
カタン、という微かな音。端部屋の此処は、周囲の部屋の物音は聞こえない。だから確かに、これは自分の部屋の中でたった音だ。
風の悪戯、などと片付けてしまうのは簡単だが、何故か雪羽はそれが生き物のたてた音のように思えた。
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