アスファルトに咲く花 彼等にとって途方もなく平和な時 「痛っ…!」 「どうした?」 ふと指を押さえて顔を歪めた唯人に、向かいでノートに視線を落としていた龍治が顔を上げる。 「指が少し…切れてしまって…」 そう言って、右手の人指し指を持ち上げ示す。そして左手で持ち上げたのは、先程まで読んでいた本。 …薄い紙の端は、角度によっては鋭い刃と成りうる。ページを捲る際にちょうど指を掠めてしまったのだ。 唯人のやや色白な指先に、赤い線がじわりと滲んでいる。微かな痛みに、唯人は苦笑いした。 「…本で切れたのか」 「…はい」 「……貸せ」 苦笑いする唯人に対し、龍治は渋面だ。 唯人が手にした本を睨るように見、片手を差し出す。 「……………、どうする、つもりですか?」 唯人は龍治が差し出した右手ではなく、ポケットの側で待機する左手を見ながら訊いた。 …その手の中にはカチカチと音をたてる、シルバーのライター。 「燃やす」 「いや、駄目ですよ。此処を何処だと思ってるんですか? 図書館です、火気厳禁ですよ」 「唯人を傷付けたんだ、存在ごと抹消してやる」 「火事になったら危ないじゃないですか」 どこまでも本気の声で表情で無茶苦茶を言う龍治に、唯人も真顔で首を振る。 …そしてそんなやりとりに「ツッコむ所はそこかよ!」と、心中で激しくツッコんだのは閲覧室に居合せた一般生徒たちである。 …そう、期末試験を直前に控えた今、図書館の閲覧室には自習をしにきた勤勉な生徒たちが多くいる。いつもは余裕のある机椅子も、ほぼ満員御礼だ。 そんな中、六人掛けの机を二人だけで占領した龍治と唯人は、周囲の意識(視線ではない。直視出来る者が少ないからだ)を集めている事に気付いているのかいないのか、珍妙なやりとりを続ける。 「唯人は俺の“モノ”だ。手を出すヤツは許さねぇ」 「“ヤツ”、と言っても相手は本ですよ? …それに、原因は俺の不注意ですから」 「関係ない、貸せ」 「…お貸ししたら燃やすつもりなんでしょう? 駄目ですよ」 唯人は手にした本を、龍治が届かない様に後ろ手に隠してしまう。 天下の[神龍]を相手取り、堂々と拒絶を口にする平凡な生徒。聞こえた龍治の焦れた舌打ちに、閲覧室の空気が凍りつく。 「…唯人、」 「龍治先輩、ブリザード吹かせてますよ」 低く冷めた声を、あしらうようなこれまた冷淡な声。 …季節はもう梅雨時を過ぎ、本格的な夏へと移り変わる時期だというのに。 寒い。寒すぎる。…いつの間に日本は、美船高校は極圏へと姿を変えたのか。 幻のダイヤモンドダストが舞う中、龍治の据わった目付きを真顔で受け流していた唯人が不意に息をつく。 「…心配してくれるのは嬉しいですけど、こんなの怪我のうちにも入りませんから。それに、龍治先輩の方がいつも色々と怪我してるじゃないですか」 「それとこれとは…」 「別じゃありません。…先輩、自分の事には頓着しないんですから…」 龍治のマジ睨みを受けても平然のしていた顔が、不意に泣き出す直前のよう歪む。 これには龍治も驚いたのか、纏っていた凍れる空気を捨てて腰を浮かせる。 「唯人、」 「…俺だって、龍治先輩が怪我したら心配なんですよ? なのに先輩、いつも受け流すじゃないですか。それなら俺だって、それでいいでしょう?」 拗ねた、幼子の様な理屈。…本来の唯人の性格を考えると有り得ないそれだが、今この閲覧室には唯人の性格をよく知る人物は龍治以外にはいない。 眉尻を下げ、小さく唇を尖らせたままうつ向く唯人に、椅子から立ち上がった龍治がそっと手を伸ばす。 「……悪い」 …バツの悪そうに呟かれた謝罪の言葉。 県下最強とも呼ばれるチームの副長を務め、幾人もの人間を畏れさせ、敬服させる男が、小さな少年の髪を撫で許しを請うよう眉を下げた。 …有り得ない光景に、その場の空気は再び凍りつく。 「…本当に反省してますか?」 しかしあろう事か、少年は[神龍]の謝罪を疑う。 唯人は自分に触れてきた指に自らの物を絡ませながら、拗ねた表情そのままに龍治を見上げる。 「…あぁ」 「…俺にも、先輩の心配させてくれますか?」 「あぁ」 なら、許してあげます、と唯人は龍治の手をとって頬に寄せた。 ……どうやら収縮したらしい二人の問題だが、閲覧室の生徒たちの硬直は未だ解除される事はなかった。 絶対零度の後に、これでもかという程に甘く熱い空気。…しかもそれを発しているのは、学校中の誰もの畏怖を集める存在と、同性の一般生徒。 …動ける筈もなかった。 「唯人、貸せ」 「…だから、本は……」 「違う、手だ」 「え?」 後ろに回した手を出す様に迫られ、唯人はきょとんと目を丸くした。…大きな黒の瞳が溢れそうで、どこか愛らしい。 唯人がおずおずと右手を彼に差し出せば、龍治はそっとその指先を口に含んだ。 「あっ…」 (((〜〜〜〜〜〜!!!))) 不意打ちに漏れた唯人の吐息混じりの声と、硬直した生徒たちの声無き声が重なる。 …ほぼ無音状態に近い閲覧室の中に、ぴちゃぴちゃという何処か淫らな水音が響き渡る。 「せんぱっ…」 「…消毒だ」 ちゅく、濡れた音をたてて唯人の指を解放し、そんな風に呟く龍治。 白い肌をすっかり朱に染めた唯人が、困りきった様に言う。 「…もうほとんど、血なんて止まってましたから…」 「…俺が、したかったんだ」 何が悪い?、とでもいう口調に、唯人は反論の言葉を呑み込んだ。 代わり、龍治の手を払って傍らの鞄を掴む。 「…帰りましょう、龍治先輩」 「あぁ」 頬が赤いまま歩き出した唯人の鞄を、追い付いた龍治が奪って肩に担ぐ。 それでも唯人は振り返らず、馴染みの図書司書に一礼して図書室を出て行った。 …当事者が出て行った後の閲覧室だが、硬直しきった空気は暫く続いていたという…。 また彼等にとって、途方もなく災難な放課後! ------------------- 7777Hitのキヨミ様のリクで、『龍治×唯人の人目を憚らない甘々』をお送りしました。…キヨミ様、二ヶ月もお待たせすみませんでした!orz …え、でもこれ、甘々…?ι とりあえず人目は全く憚ってないみたいですが(笑) …てか、唯人も龍治も現在連載中のキャラと全く違いますから…(^^;) 唯人の視線嫌い設定がどっか吹っ飛んでる…(笑) しかも設定上まだくっついてる訳ではないです、これ(ぇ) …距離はかなり近付いてますがね。 どうでもいいプチ解説になりますが、タイトルの『彼等』は龍治と唯人ですが、結びの『彼等』は閲覧室に居合た不幸な一般生徒たちの事を指します(笑) 対比させたかったのは、最初から決めてたのでw ← それでは、なんとも微妙な物品ですが、7777Hitのキヨミ様に捧げます。キリリクありがとうございました! →08.5.26. 薄衣砂金 ≫ [戻る] |