7.先生の恋人
「今夜?」
僕は階段の最後の一段に足を掛けたまま固まった。
先生の声。
いつもの気だるげな、どうでも良いような声とは少し違う。
廊下の終わりで、誰かと話しているらしい。
相手の声が聞こえないということは電話だろうか。
誰と?
「・・・ああ。」
優しい声、というわけではない。
でも、とにかくいつもと違う。
今は授業中で、僕は足りないプリント取りに来ていて、先生はたぶん授業がないのだろう。
職員室は先生のいる廊下を通らないと行けない。
何気なく通ればいい。
先生がいるのは職員室とは逆の方向にある小さなバルコニーだ。
ドアが少し開いてるから声が聞こえるけど、気づかないふりで通り過ぎればいい。
そうは思っても足は動かなかった。
人気のない廊下はしんと静まり返って、先生の低い声さえ良く聞こえる。
「・・・愛してるよ。」
――――
身体が一瞬で凍りついたようだった。
そのまま固まっていると、ピ、と電源切ったような音がして、
フッと笑った声が聞こえた気がした。
「―――馬鹿な女」
低い囁き。
笑いを含んだ。
でも、そこに込められた感情がなにか、そのときの僕には全くわからなかった―――
* * *
僕の想いが報われることはない。
先生はいつか誰かを見つけて、僕のいない人生を、その人と歩むのだろう。
そう、ずっと思っていた。
でも、考えてみれば先生の年齢からいって結婚していないほうが珍しい。
独身だ、ということは他の先生が漏らしていたことだから確かだけど、恋人ぐらいいてもおかしくないのだ。
恋人。
さっきの電話の相手がそうなのだろう。
『愛してるよ。』
そんな言葉をさらりと与えてしまう相手。
先生はもう、ともに人生を歩む人を見つけているのだ。
大人の、女の人だろうか。
先生は趣味がいい。
スーツとか、構内ではいているサンダルとか、さりげない小物が全部シックで、先生に合っていて。
本当に大人の男の人という感じで格好いい。
きっと先生の恋人も先生の魅力を引き立てるような綺麗な人なんだろう。
誰かのと交わって伸びる先生の道。
先生は僕よりずっと先にいて、僕の道は先生の道からずっと離れたところを通っている。
今はたまたま交差しているけど、それもかすっているに過ぎなくて。
先生はずっと前にいて僕を見ない。
前を向いているから、遥か後ろで先生を見詰めている僕の姿に気づくことすらない。
僕はやがて諦めて違う道を歩き出すのだろうか。
自分に用意された、先生とは接点のない道を。
今はこんなにも先生を見ているのに。
先生と自分との接点に必死でしがみついているのに。
でも、先生のこの道はすでに誰か女の人と交わっている道だ。
先生とその人との道だ。
僕はそこを横断することさえできない。
先生の道に足跡を残すことすらできない・・・
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