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53.夜の空


期待しちゃだめだよ。


痛い思いをするだけ。


わかってるだろ?









「孝博から聞いたけど、かなめくん、アルバイト始めたんだって?」

別れ際、芳巳さんはそんなことを聞いてきた。

「はい、『桜』というお店で・・・」

「ああ! そこなら知ってる。行ったことあるよ。へぇ〜、あそこで働いてるんだ。」

「はい」

「じゃあ、今度お邪魔させてもらうよ。久々にマスターのコーヒー飲みたいしな。」

「え、」

先生が来たときのことを思い出してしまい固まると、芳巳さんは「なんだよ」と僕の顔をのぞき込んだ。

「いえ、・・・お待ちしています。」

「よし。今日は突然悪かったね。じゃ、また」

「はい」

ひら、と手を振って芳巳さんが去って行く。

駅前、帰宅時間の人混みの中。

僕は一人、芳巳さんの背中を見送る。

活力に満ちた背中だ。

今この時を生きている人。

そんな風に思うのはおかしいだろうか。

僕だって、今この時を生きている筈なのに。

自転車のハンドルを握る、赤くなりつつある指先を見ながらそんなことを思った。





帰り道、自転車を漕ぎながら空を見上げる。

6時近い今の時間はすでに空は暗い。

けれど灰色の雲がかかっているため、星は見えない。

久しく空なんて見上げていなかったことに気づく。

・・・いつから見ていなかったのか考えようとして意識が逸れたのか。

パッパー―

突然耳に飛び込んできたクラクションの音にブレーキを踏む。

大型トラックが目前を通り過ぎていった。

赤信号を渡りそうになってしまったらしい。

心臓がどくどくと音を立てる。

冷や汗がにじむ。

轢かれそうになったからではない。

思い出したからだ。

空を見上げた記憶を。



家に・・・家に帰らなければ。




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あきゅろす。
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