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50.鎖


眠る。

そして還る。

僕の居場所はここではないから。

あの喫茶店も・・・明るい教室も、孝博も、母さん、父さんも。

クラスの友人も・・・先生も。

全部嘘。

本来なら僕に与えられるものではなかった。

僕は還るのだ。

あの人のもとに。

それは決してなくなりはしないのだから。

あの人・・・あの憎悪。

あの恐怖。

僕は所詮――なのだから






「館斐!?」

「・・・なに?」

顔を上げると、机の前に立っている赤井が心配そうに僕を見下ろしている。

「何ってお前、大丈夫か? 寝不足?」

半分正しい。

心配されるほど注意力散漫なのは、寝不足もあるけれどそれだけではなかった。

「うん、なんか久々にゲームやったらはまっちゃった。」

「ちゃんと寝ろよな〜、って俺も人のこと言えないけどさ」

赤井の隣に立つ辻井の視線を感じる。

けれど今は、誰にも意識を向けたくなかった。

「赤井、お前次の数Uあたるだろ。大丈夫なのか?」

「え!? やべぇ、忘れてた。・・・つか今どこやってるんだっけ」

「お前な・・・教えるから教科書出せよ」

「うおお、お前いい奴・・・!」

辻井と赤井が離れていく。

「お。館斐、しんどかったら保健室行けよ」

「はーい・・・」

僕の返事を期待せずに赤井の背を追う辻井。

・・・毎度の事ながら、聡い。

僕は前の授業の道具が広げっぱなしになった机を見下ろしてため息をつく。

夢、夜、そして夢。

昨日、喫茶店で先生に会ってからこちら、不安が少しずつと大きくなっていくのだ。

それが怖くてたまらない。

逃げたくてしかたがないのに、何から逃げていいのかわからない。

そんな焦りに囚われて、日常のすべてのものが疎ましく感じてしまう。

けれど、日常の中にいなければ呑み込まれてしまいそうで。

「起立」

いつの間にか次の授業の教師が入室していた。

いつもと同じように授業が始まる。

着席をしてから教科書を取り出そうとするけれど、忘れてきたらしい。

机の中をいくら見ても問題集もノートもない。

仕方なく違う授業で使うノートを広げ、そこに目線を落とす。

当てられたらどうしようとか、そんなことすら考えられない。




「お邪魔しまーす。」

昼休み、最近日課となった孝博の声。

それまでどんよりと淀んで麻痺したようだった頭に、チリ、とした何かが走った。

孝博は当たり前のように僕の机の前に椅子を持ってきて、大きなお弁当を広げ始める。

赤井、辻井、中井もやってきて、5人でお弁当を囲む。
いつもの、当たり前の。

「紀、少しでもいいから食べな。」

赤井たちが会話している間に、孝博が言う。

そう言われてみれば、箸を動かすのを忘れていた。

機械的に口に運んだご飯はまるで泥のようだった。

外界の汚物。

「・・・ちょっと、トイレ行ってくる」

立ち上がった僕と、孝博の目があう。

やっとのことで伝言して、走り出さないように注意しながら教室を出た。

足早に廊下を進む僕の隣に孝博が並ぶ。

「・・・何」

「・・・今日は帰った方がいい」

「大丈夫だよ」

「全然そう見えない。お前、昨日から変だって。」

「そう? 風邪引いたのかも」

「紀、」

ちりちりと、

「・・・・・・」

「紀、こっち向け」

ちりちりと、する。

人の多いトイレを避けるうち、新館の方に来ていた。

昼食時間最中の今は人気がない。

孝博に腕を掴まれた瞬間、僕の中で何かが破裂した。

「うるさいな!」

劣等感、嫌悪、苛立ち、怒り。

言葉にするならそのような感情を、何故か孝博に感じてしまう。

気の毒な孝博。

僕などと幼なじみであったばかりに。

「紀、」

呼ばないで欲しい。

名を呼ぶ声が、胸の中のどろどろとした部分を外側から掻き毟る。

「孝博、暫く一人にして。」

孝博の目を見て言う。

僕の目に、孝博が何を感じ取ろうが、どうでもいい。

「・・・お願いだから」

ずるい言葉。

謙虚さのかけらもない、ただの強制の意味を込めた、ずるい台詞。

「・・・・・・わかった。・・・今日は先、帰るから。」

「うん」

よく心配なんてできる、と思う。

こんなに嫌な奴に。

こんなにどろどろとした人間に。

そんな価値なんてないって、わかってるくせに!






前なんて見てなかった。

ただただ、胸の中の汚いモノごと全部吐き出したくて、半ば走ってトイレに向かっていた。

ドッ

カシャンッ

突然の横からの衝撃で身構えることすらできないまま僕は床に投げ出された。

「ッ悪い、」

その声に心臓が一瞬止まる。

滝沢先生。

床についた手のすぐそばに眼鏡が転がっている。

ぶつかった衝撃で落ちてしまったらしい。

反射的に拾う。

「館斐?」

呼ばれておそるおそる顔を上げる。

そして、


僕は何かがブツッと切れる音を聞いた。




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あきゅろす。
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