43.アルバイト
『喫茶店 桜』。
それが加納君のお父さんのお店の名前だ。
強面のマスターや、木を基調とした落ち着いたレトロな店内の様子とはかけ離れた名前。
唯一、木版の上に溶け込むように桜色を重ねて、その上に『桜』と書かれた表の看板がその名を主張している。
「お待たせいたしました。モカブレンドをお持ちしました。」
初勤務の日、僕はおそるおそるお客さんの前にカップを置いた。
白いシャツに黒のズボン、濃緑の腰巻型のエプロン。
慣れない仕事着が落ち着かない気分にさせる。
文庫本を読んでいた女性は顔を上げ、「どうも」と本に栞を挟んで机の上に置いた。
「ごゆっくりどうぞ」
頭を下げてその場を離れる。
カウンターの端っこでこっそりと息を吐いた。
さすがに緊張する。
学校帰り、まだ早い時間のためカウンターに二人とテーブルに一人いるだけで店内は静かなものだ。
カウンターの客はマスターが対応してくれると言うので、僕はテーブル席の対応をしている。・・・といっても、今日のところは今のように空いている時間のみだ。
ゆくゆくは一人で店番ができるように、と言われているため、接客以外にも覚えることは沢山あった。
「館斐くん」
「はい、」
マスターに呼ばれると背筋が伸びる。
僕は慌ててカウンターに入った。
「お先に失礼します。」
「おつかれ」
午後9時30分、僕はマスターに挨拶をして店を出た。
「はあ」
疲れた。
お店から離れたところで歩みが遅くなる。
まるで鉛のように体が重く感じる。
初日で、教えてもらっている時間がほとんどだったというのにこの疲れようで、これからやっていけるんだろうか。
――加納君はすごく楽しそうにやっていたな・・・
見学しているうちはすごいなあと思うだけだったけれど、実際にやってみると自分との差に落ち込むしかない。同じ年なのにえらい違いだ。
けれど、引き受けた以上弱気になっている場合ではない。
とにかく、やるしかないのだから。
「でも・・・疲れたなぁ・・・」
その日、僕は普段の三倍の時間をかけて家路についた。
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