19.母
その日、家に帰ると母さんがいた。
40も後半だというのに僕よりも元気な彼女は、専業主婦を嫌って普段はパートの仕事をしている。
はじめは父さんの収入を助けていたんだというけれど、僕が知っている限りでは彼女の収入は我が家の娯楽に費やされている。
父さんと母さんの間にどんな取り決めがあるのかはわからないけど、僕は娯楽に費やされるほどの余裕が出るくらい父さんに甲斐性が付いたということなのかな、と勝手に思っている。
そんなわけで、母さんが平日の4時に家にいるのは珍しいことだった。
「ただいま。今日は早いんだね。」
朝の食事とお弁当は僕が用意しているので、母さんが今朝仕事に向かったことは確かなはずだ。
「かなちゃんお帰りー。やだ、言ってなかったっけ? 今日はバイトの子が土曜日に予定入っちゃったってことで午後から交代したのよ。おかげで今週は土曜も出勤なんだけどね」
趣味のパッチワークに励みながら、楽しそうにぼやく母さんの後ろを通ってキッチンに飲み物を取りに行く。
季節の変わり目の安定しない気候にはほとほと参る。
ここ二日少し涼しかったからと安心していたのに、今日は真夏日並みの暑さだ。
「何か飲む?」
「アイスティー、シナモンとミルクのお願い〜」
「・・・了解〜」
冷蔵庫に常備されている麦茶を飲むついでに、と思ってきいたのに、本格的に紅茶を入れる羽目になってしまった。
凝り性の母さんに付き合わされて紅茶の類は一通りきちんと淹れられるようになってしまい、それ以後僕がいる時に母さんがお茶を淹れることはなくなった。
明らかに計画のにおいがするけれど、そこはそれ。逆らえず。
たまに感じる父さんの同情するような視線を慰めに、今日も今日とてケトルを掴む。
「かな、最近なんかあった?」
「え?」
水を注いだケトルを火にかけてから食器を用意していると、母さんが声を掛けてきた。
カウンター越しに振り向くが、こちらに背を向けたままパッチワークに勤しんでいる。
「何かって?」
そんなこと聞かれた覚えがなかったのでいささか面食らって、僕は手に持ったポットを調理台に置いた。
母さんはふと手を止めると振り返った。
僕と目が会うと、ふっと笑う。
「なーんか最近うきうきしているように見えるから。彼女でもできたんじゃないかと思ったのよ。ほら、言っちゃいなさい、できたの?」
「・・・うきうき? そんなつもりないんだけどな・・・。彼女もいませんよ。」
「じゃあ彼氏?」
ポットの横に置こうとしたカップが滑ってガチャンと音を立てた。
「ちょっと、それ高いやつだからね。割らないでよ」
「・・・母さん、」
やばい、動揺しすぎた。
呆れた様子を取り繕ったけど、本当に焦った。
なんてことをいうんだ、このおばさんは。
「ほらほら、お湯沸いてるわよ。止まってないで動きなさい。」
「はいはい」
急いで茶葉を取り出しながら、隠れてため息を吐く。
普段は黙ってるくせに、口を開くと油断ならないんだから、こんな人が常に身近にいるのにこんなにわかりやすい反応してたらばれててもおかしくないんじゃないか、と思わずにはいられない。
いや、いろいろと。
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