14.沈下、沈澱
夏恒例の家族旅行。
その終わり方のことを、僕は良く覚えていない。
浜辺で襲われたのは覚えているけれど、気がついたら宿泊しているペンションで、旅行の最終日だった。
その前日の朝、芳己さんが意識のない僕を運んできてくれたらしい。
家族の皆は僕がいなくなったことにすら気づかなかったらしく、芳巳さんの訪問に驚かされたようだ。
彼は『浜辺で眠っていましたよ。』とだけ言って帰っていき、僕はそれから丸1日眠り続けていたらしい。
おそらく芳己さんが助けてくれたのだろうと思う。
運ばれた僕は、特に外傷があるようには見えなかったようなので、いろいろと始末までいてくれたのだと。
多分、そうだろう。
身体はだるいし帰る準備には追われるしで、前日には帰ってしまったろう彼にはお礼も何もできなかったけれど。
彼のおかげで母さんも父さんも、孝博のおばさんもおじさんも、僕の無謀を怒り呆れはしても特に心配とか気遣いといったようなものはなく、僕も反省の意を示すだけで終わった。
感謝してもしきれなかった。
ただ、孝博には知られてしまった。
芳己さんに運ばれてきた時点で微熱があり、親たちがすぐに出かけてしまったので孝博が看病してくれたのだが、服を替えようとしたときに見てしまったと。
僕の体に残るいくつもの擦り傷。
そして、よく見ればわかる、殴られた後。
母さんの説教を逃れて部屋で荷造りをしている僕に、彼はいつにない真剣な表情で『何があった』と訊いた。
それはとても誤魔化せるような目ではなく。
強姦された、と言った。
その瞬間の孝博の顔は見ていない。
見られなかった。
手の中の丸めたTシャツに視線を落として、彼の言葉を待った。
暫くの沈黙の後、『芳己さんにか』と訊かれ、僕は思わず噴出して、慌てて否定した。
知らない男だ、と。
たぶん芳己さんは浜辺で倒れている僕を見つけたんだろう、と。
孝博は、
僕を抱きしめて、『馬鹿野郎』と言った。
『お前も、その野郎どもも、馬鹿野郎、だッ・・・』
と。
言って、くれた。
直後からの記憶がなかったせいか、身体の痛みもだるさもそれほど辛くなかったためか。
自分でも驚くほど浜辺でのことは気にならなかった。
『強姦された』
その事実だけが僕の中に残っている。
日常の中で孝博だけがそれを知っていて、彼がなんでもないことのように受け入れてくれたのもあるだろう。
『たいしたことないって、思っとけ。』
あの日、震える声で叫んだ孝博は、抱きしめる腕はそのままに、静かな声で言った。
それ以来、彼はそのことに触れない。
何もなかったように笑って、怒って、僕を小突いたり引っ張りまわしたり。
そうやって『たいしたことない』ことだと、僕に言ってくれているのだ。
だから僕は『強姦された』という事実だけを過去においてこうして笑っていられる。
それは僕の中の『悔しいこと』の中に分類されている。
それだけのことだと。
そう、思っている。
* * *
「かったりぃな・・・」
「あー、明日から授業だもんなぁ」
「あっちぃしよー。全然涼しくなってないじゃん?」
「だよなぁ。この暑さで授業すると思うとそれだけで力が抜ける・・・」
全開に開けた窓から外を眺めながら嘆いている。
9月、新学期というのに暑さは最後の足掻きのようにその勢いを増し、今日もじりじりと身体に纏わり付いてくる。
校門を出れば大通りだと言うのに、蝉の声は威勢がいい。
暑いくせに風もなく、まさにうんざりするような天気だ。
誰もいない校庭を、じりじりと太陽が焼いている。
「うぇ・・・」
それを見ているだけで暑さが増し、視線を空に逃がした。
空はどこまでも青い。
「アー・・・クーラーほしー・・・」
隣にいた奴が額の汗を自分のシャツで拭いながら力のない声で呻いている。
確かにこんな高温で風も何ない天然サウナのような教室に、40人前後の生徒を詰め込んで勉強させようとするほうが無理と言うものだろう。
「こういう時、公立の学校に入ったことを後悔するよな・・・」
本当に。
というより、僕の場合はこの学校が私立ではなかったことを、だろうか。
先生がいて、僕が通うこの学校が。
夏はまだ続きそうだ。
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