月の雫 太陽の欠片
*エピソード・2
萌と出逢ったのが偶然なんかじゃなくて、運命であると思ったのは、ずっとずっと後だった。
それまでの俺は、偶然は神様の気まぐれで起こるのだと思っていた。
それが、運命だと理解するまでに時間がかかりすぎてしまったのかもしれない。
もっと早く気付いていれば、萌を失わずに済んだのだろうか。
目を閉じて、ぼんやりと思い出すのは萌の笑顔じゃなかった。
俺は、萌を泣かせてばかりだったんだ。
何度、萌の頭をポンポンと撫でて、何度、頬を伝う涙を拭っただろう。
今でも、指先に涙の冷たさが残っている。
目を閉じて、もう一度、想う。
萌は、恋人でもない。
友達でもない。
だけど、
ただの教師と生徒という簡単な言葉では、済ませたくなかったんだ。
萌は、俺に何を求めていたんだろう。
萌の見る未来に、俺は存在したのだろうか。
エピソード
2
「井上?」
「・・・トーシロ。待ってたんだよ」
駅の改札口で、人波に押された萌は、少しだけ笑った。
「昨日はサボってゴメンナサイ」
「あァ・・・ちょっと心配したけど」
隣で、萌の視線は足元を向いたまま動かなかった。
長い、沈黙。
時間は夕暮れ時で、駅のホームはざわついているはずなのに、俺の頭の中は真っ白な無音だった。
それは、俺が何か話さなくてはと必死に言葉を探していたから。
昨日のような不甲斐ない俺では仕方なくて。
必死に探した言葉は萌の心を、癒やすことが出来るだろうか。
こんな陳腐な言葉じゃ、駄目なことは解っている。
それでも、何か言ってやりたい。
「気の済むまで落ち込め。這い上がれない落とし穴なんてねェ。例え奈落の底に落ちても、俺が引き上げてやる」
「トーシロ、」
「やっと、コッチ向いた」
そう言った俺を、萌はちょっと驚いた顔で見た。
「俺は井上の先生だからな。コーヒー買ってくる」
俺の精一杯の慰めの言葉だ。
でも嘘は無かった。
本当に守りたかったんだ。
"俺は先生だから"
「トーシロ」
「んー?」
「ヒーローみたい」
「ヒーローか。悪くねェな」
そんなカッコいいものじゃない。
お前が、泣いていても頭を撫でてあげることしかできない。
「あの、さ。私が乗る電車は来ちゃうけど、トーシロの方の電車が来るまで居てもいい?」
萌は、俺の方に向き直って言った。
「いいけど・・・」
「ヒーローにお願いがあるの」
「ナンだよ・・・金は貸せねェぞ?」
冗談を言ったけど、本当はドキリとした。
さっきまでオレンジ色に染まっていた空は、いつの間にか紺色が混ざり始めていた。
▽
電車は通り過ぎ、ホームは人が疎らになって少し静かになった。
空の色はすっかり紺色に染まって夕方から夜になったことを告げた。
「ごめんね、トーシロ」
「あン?」
「こんなの、迷惑?」
「迷惑とは思わねェさ。俺は先生だから、生徒のお願いを聞くのは当然だろ?」
萌は俺を見て、微笑った。
"俺は先生だから"
何かの警報みたいに、このフレーズが何度も頭の中に響く。
「それで?お願いって?」
「うん・・・」
「ん?」
「・・・・メアドを教えて欲しいの」
萌は、俺から視線を逸らして恥ずかしそうにして俯いた。
(は?)
「何で、俺の?」
「トーシロはヒーローでしょ。困った時の為」
「俺はヒーローである前に先生だから。井上に教えたらクラスみんなに教えなきゃなんねェよ」
萌は「そっか・・・」と残念そうに言った。
「本当に困った時しか使わないよ・・・」
萌に淋しそうな影が落ちた。
俺には、細くて小さい萌を影が飲み込んでしまうように見えた。
「・・・赤外線、」
萌が、とても淋しそうに見えて俺は、気を許してしまったんだ。
「うんっ、赤外線!」
萌は、コートのポケットからジャラリと携帯を出した。
携帯には、ミニーマウスのストラップがジャラジャラとぶら下がっていた。
「ミニーマウス、好きなのか?」
「うんっ」
萌は、受信準備をしながらニコリと笑った。
「じゃあ・・・送信」
「受っ信ーーー!」
俺たちは、携帯を近づけて赤外線通信をした。
「ありがとう。トーシロ」
「駅のトイレにメアド、書くなよ」
萌は、携帯をパチンと畳んで「書かないよー」と笑った。
「トーシロのメアドを御守りにしよーっと」
萌は、携帯を握り締めた。
「俺のメアドにゃ、何の御利益もねェよ」
「トーシロが、いつも傍に居てくれる感じ。何か頑張れる」
俺は「そうかよ」と言って萌の頭を撫でた。
萌は「うん」と言って笑った。
それは、俺の好きなあの笑顔だった。
萌が、俺のメアドを御守りにして安心できるなら、俺は萌の笑顔で安心できるんだ。
だから、どうか。
笑顔を絶やさないで。
悲しい顔を見せないでくれ。
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