キミのためにできること ▼二人の距離 俺たちは、食事を済ませて店を出た。 太陽の光を照り返す舗道に、思わず目を細める。 「土方さん、」 「ん?」 「私、このまま記憶が戻らなくても、別にいいと思っているんです」 萌は、ポツリと言った。 「どうして?」 「土方さんも、近藤さんも、他の隊士の皆さんも、記憶が無くなる前と変わらずに私と接してくださっていて・・・」 気が焦る。 続きを聞きたいような、聞きたくないような。 「つまり・・・私の記憶が無いということ以外は、何も変わっていないんだと思うんです。それなら、このままでも、いいかなァって」 そうか。 萌は、進もうとしているんだ。 「それに、私・・・、とても幸せです、今」 ゆっくりと自分の意志を確認するように話す萌の大きな瞳は、曇っていなかった。 「無くしてしまった記憶よりも、この先の人生がもっと楽しくて幸せだったらいいなァ・・・って」 「もし・・・」 前に進めない俺は、どうしたらいい? 「無くした記憶の中に、大切なことがあったら・・・」 俺を、置いて行かないでくれ。 「いつか、思い出せたら・・・いいなァ」 「そうか」 萌は、少し遠くを見てフワリと笑った。 俺も、前に進みたい。 この先に続くお前の人生を一緒に、歩みたい。 喜びも悲しみも分かち合いたいんだ。 「土方さん、」 「ん?」 「土方さん、私を助けて下さってありがとうございました」 「あ・・・いや」 「例え記憶が無くても、毎日とても楽しいです。こんな幸せな毎日を過ごせるのは、土方さんが助けて下さったお陰です」 胸が、痛んだ。 いつまで、この嘘をつき続ければいいんだろう。 「きちんとお礼を言っていなかったなと思って」 萌は、また俺の隣をピョンピョン跳ねるように歩いた。 ▽ 「近藤さん、おはようございます」 「おはよー、萌ちゃん。昨日はトシに美味しいもの、ご馳走してもらった?」 「はい!でも、土方さんはコーヒーしか召し上がらなくて・・・今度は、近藤さんも一緒に行きましょうね」 「そうだね」 朝から、萌のキャピキャピした声が響いた。 隊士たちが萌に「おはよー」と声をかけると、萌は「おはようございます」と挨拶した。 萌は、今日も元気だ。 「土方さん、おはようございます」 萌が、俺に気づいて駆け寄ってくる。 そのまま、胸の中に抱き込みたい。 「おう、」 「昨日は、ご馳走様でした」 「あァ」 萌は、ペコリと頭を下げた。 「また・・・一緒に、行き・・・行こうな」 「本当ですか?」 「あァ、もっと美味い飯屋に連れて行ってやるよ」 「はい!楽しみにしていますね」 小さな約束をした。 萌からしたら、単なる社交辞令にすぎないのかもしれないけれど。 俺にとっては、大事な約束だ。 そうやって、これから萌の無くした俺たちの時間を埋めていこう。 そうやって、二人の新しい思い出を作っていこう。 春には、河原に咲く桜を見て。 夏には、夜空を彩る花火を真下から見上げて。 秋には、空を流れる雲を追いかけて。 冬には、はらはらと舞う雪を数えて。 そんな風に、作っていこう。 いつものように、萌を探す。 「井上、さん」 俺は、まだ萌と呼べずにいた。 口にしてしまったら全てが溢れ出てしまいそうで。 「土方さん、お疲れ様です」 萌は、柔らかい笑顔を見せた。 その笑顔が、二度と曇ることのないように。 少しでも、お前に近づけるように。 俺も、前へ。 そう、決めたんだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |