三國5 P 呂蒙の葬儀が終わって間もなく、関羽を討たれた怒りにまかせて劉備が攻めてきた。 戦場は夷陵。 呂蒙の跡を継ぐような形で軍師となった陸遜は、誰よりも先に夷陵の陣営に入り、寝る間も食べる暇も惜しんで策を練っている。 甘寧は、陸遜のことを気に入らなかった。最初は自分の頭の中で戦を描いているように見えたのだ。しかし、しっかりと全軍を把握し、個々の力が最大に発揮できる場所や状況を作り上げる力を持っていると知り、今やすっかり信頼している。 それに陸遜は、呂蒙を一緒に看取った戦友のようなものなのだ。 甘寧はぼんやりとする時が多くなった。 かと思えば、突然陣営の柵を双鉤でぼろぼろに破壊して、今まで以上に予想のつかない行動に、周りの兵たちもしばし緊張しているようであった。 夕暮の夷陵で、甘寧は己の幕舎の中で時を過ごしていた。 懐から布を取りだす。 布の包みを一枚一枚そっと開いてゆくと、ひと房の髪があった。 凌統の髪だ。 甘寧は、眉間に皺を寄せながら、じっと見つめた。 “愛してるよ。” 妙な言葉だ。 愛している。 俺を? 俺はどうだ。 凌統は気に入っている。それは奴の喧嘩を見て、血が騒いだからだ。 抱いたのは、体温を貪りたかったからじゃねえか。あいつから来たんだ、丁度よかった。 ・・・なら、どうしてこんな只の髪をずっと持ってるんだ。 合肥であいつが死にかけてた時、どうしてあんなに必死になったんだ。 (・・・惚れてるってことじゃねぇかよ。) 甘寧はがく然とした。 納得すればする程、そうとしか思えない。以前ならば、そのまま凌統を幕舎へ連れて来て、奴が気絶するまで抱き潰していたかもしれない。 しかし、呂蒙という大切な者を失って、呂蒙の思いを背負って生きることを知った甘寧は怖くなった。 今まで突っ走ってきた中で、気に入った物や好きな者は作らないようにしていた。けれど、どうしても気にいる者は出て来て、しかし、全て“愛される”ことを避けてきた。 “愛されて”も、どうにもできないのだ。誰かのために戦うことなどできない。今まで自分の快楽のために戦ってきた自分が、誰かのための戦うだなんて、どうやったらいいのか分からない。 それでも、甘寧の頭の中で、凌統の言葉は呪いのように鳴り響く。 愛してる、愛してる・・・。 樊城に降りしきる雨とともに己の足元に落ちた言葉は、泥濘となってずぶずぶと甘寧の足を飲みこんで行く。 留まれと。どこにも行くなと、ここで戦えと束縛するのだ。 甘寧は足に纏わりつく目に見えない泥を振り払う代わりに、頭を振った。 (誰かのために戦う?分からねぇな。・・・そんな戦い、した事がねぇ。) (俺は俺の喧嘩をするために、突っ走るしかできねぇ。) (例え、何も手にできなくてもよ。そういう男になっちまったからな。) (例え、この孫呉も一時の止り木でしかなくてもよ・・・。) (もし、乱世が終わって、暴れることができなくなったら・・・?) (・・・凌統がくたばったら・・・?) それこそ、世界がないも同然じゃないかと息を飲んだ。 ふいに笑い声が聞こえた。 幕舎から少し顔を出して外を見ると、陣営の中で他の兵とともに何かを話ながら笑っている凌統がいた。 全部無くしたってのに、なんであいつは笑っていられるんだ。 甘寧ははっとした。 その時になってやっと、凌統の後ろに沢山の轍の跡が見えた気がした。今まで、凌統は沢山の者の思いを背負って生きてきているのだ。 自分とは違い、常に何かのために・・・。 そんな男のどこが汚れていようか。 もう一回、あの言葉を凌統の口から聞けば何か分かるだろうか。 甘寧は一人、凌統のもとへ近づいた。 丁度凌統は兵たちと話を終えて、別なほうへつま先を向けた所であり、足早に近づく甘寧と目があうなり怪訝な表情をした。 そんなものおかまいなしに、甘寧は凌統に向かって口を開く。 「なあ、お前。もう一回、あれ言え。」 「何をだい?」 「愛してるって。」 凌統は目を丸くした。 が、すぐに目を泳がせて、甘寧と視線を合わす事なく横を通り過ぎて行った。 「悪いね。俺、これから軍師殿のところにいかなくちゃいけないんだ。」 引き止めようとした甘寧の手から、凌統の腕はすり抜けていった。 Qへつづく [*前へ][次へ#] |