三國5 J それから急いで建業に運ばれた凌統は、10日眠り続けた。 目を覚ましても、暫くは話す事もままならず誰も面会できなかった。 それでも、邸の老いた女官は横たわる凌統の髪に櫛を入れに毎日やってくる。 凌統は、女官の手を借りながら寝台の上に身を起こして、髪を梳かれながら窓の外を見た。 「公績様、できましたよ。」 「ああ、ありがとう。」 「ふふ。ちゃあんと御髪も伸びてきましたね。」 髪を梳かし終わって嬉しそうに微笑んだ女官に、凌統は苦笑いを向けた。 いつもならそこで再び寝台に横になる所なのだが、今日は暖かくて過ごしやすいし、身体の調子もいい。もう少し外を見ていたくて、しばらくそのままでいることにした。 小さく頭を下げた女官を見送り、凌統は再び外に目をやる。 溜息をついた。 少し前に邸に閉じこもっていた時のようだ。 あの時は窓辺にいたが、今は寝台の上から動けない。 しかし、不思議とあの時の景色は色づいて見えて、窓辺を横切る鳥の声もよく聞こえる。 窓から入ってくる風も心地いい。 けれど、それでも心は晴れない。 一度見舞いにやってきた呂蒙は、何も考えずに養静することだと言ってくれたが、そうはできなかった。 とはいえ、うまく考えることもできない。 外の青空をぼんやりと眺めながら、もう一度溜息をついた。 ふいに鈴の音が聞こえた。 空耳かと思ったら、窓辺からひょっこりと甘寧が顔を出したではないか。 「・・・・・・甘寧?」 「おう。」 「何しに来たんだよ。俺を笑いに来たのか?」 「あ?お前が目ぇ覚まして、おっさんが逢いに行ったって聞いたからよ。様子見に来ただけだ。」 「・・・・・・あっそう。」 というと、甘寧は窓枠に手をかけ、そのまま部屋の中に入り込んで来た。 勝手に入るなと言いかけたが、甘寧の足は床に付くことはなく、そのまま窓枠に凭れるように座り、外を見ている。 その表情はどこか嬉しそうで、何とも落ち着かない。 しかしそれよりも、凌統は自分自身が甘寧と普通に話していることに驚いた。 「・・・殿は無事みたいだね。」 「おう。」 「これで殿が死んでたら、あんたを殺してたよ。」 殿まで殺したのか、ってな。 寝台の上の毛布をぎゅっと掴んだ。 ひとつ言葉にすれば、次から次へと溢れてくる。 「あいつ等の命・・・父上から預かったんだ。でも結局俺は、みんなに何もしてやれなかった。戦が終わったら、酒を酌み交わそうぜって言ったのに・・・。はは、もう遅いっつーの。」 「・・・。」 甘寧に言ったところで、奴は何も知らないのに。でも、もう、己の汚れきった過去を知っているのは・・・甘寧ぐらいなのだ。 みんな居なくなってしまった。 人は脆い。ましてやひと時の夢など、夢見る身体がなければ無いも同然だ。 それなのに自分がくれてやったのは・・・。もっといい夢を見せてやりたかった。例えば天下の片鱗とか・・・。 皆全て、己の弱さから生まれた代物に飲まれて消えてしまった。 「あいつ等にもっとかけるべき言葉はあったのに・・・一人になっちまった。仕方ないか、相当のことをしたんだ。・・・なああんた・・・俺に反吐が出るっていったよな。やっぱあれ、もっと言えよ・・・。」 凌統が話している間、甘寧はじっと凌統を厳しい表情で見ていた。そして、凌統の言葉が途切れ、暫く経ってから窓枠から床に足を踏み入れた。 づかづかと寝台にやってきて、土足で横たわる凌統に馬乗りになる。 「ちょっ、何すんだあんた!」 曇った表情をしている凌統の顔を勢いよく両手で挟み、じっと眉間に皺を寄せ見つめる。 凌統はいきなり近づいてきた仇に戸惑い、身構えようにも身体が上手く動かない。声を荒げるぐらいしかできなかったが、目の前に迫る甘寧の顔は真剣そのもので、肩を竦めながらも見つめ返す。 「お前、強ぇじゃねえか。」 「・・・。」 「合肥でお前が戦ってるとこ、初めて見たぜ。」 「・・・。」 「俺はお前と早く喧嘩したくてうずうずしてんだ。とっとと傷直せ。」 「そりゃ分かってるっての。だからさ、「しっかし、まだ面倒なことで悩みやがって。」 「・・・何だと?」 「面倒だ、面倒だ!お前の野郎共は殿を守ったお前と一緒だ。あいつらはお前を守って死んだ。そのお前が生きてんだ。それでいいじゃねえか、殿もああいってたしよ。またああなるのが嫌なら、とっとと傷を直して俺と喧嘩しろ。」 「・・・・・・それとあんたとの喧嘩がどうして繋がるのか、訳わかんねぇんだけど。」 「それから、やっぱお前、お前が思ってる以上に汚れてなんかいねぇぜ。」 「・・・。」 「お前より汚ねぇ奴は五万といるってこった。・・・ったくよ。次の戦は濡須口だ。お前も従軍しろよ。勝負しようぜ。」 「ちょ、ちょっと、あんた俺の話を聞けよ!だからどうして・・・」 すると、甘寧は凌統の唇を掠め取り、笑った。 「気に入った。」 「・・・・・・は?」 「俺はお前を気に入った。」 「・・・・・・・・・何言って・・・」 「好きだってこった。」 その言葉を聞いて、凌統は頭を強く打たれたような衝撃を覚えた。 何だって?仇に好意を持たれる?そんな馬鹿な話があるか。死神に好かれるようなもんじゃないか。 そうだ、いつも俺が何かを失う時傍にいるのは、こいつ・・・。 これ以上、出鱈目(でたらめ)な現実はもううんざりだ・・・! 凌統は、自分に未だ馬乗りになっている甘寧をどけようと、腕を突っぱねた。 「どうしてあんただけが、俺に残ってるんだ・・・。」 「あ?」 「どっかに行ってくれないかい・・・。これ以上、掻き乱さないでくれ。俺の心なんか、知らないくせに・・・!」 本当は、いつかの夜のように甘寧を殴りつけたいが身体が言う事を利かない。凌統は甘寧から顔を背けるのが精一杯だった。 そんな凌統を見ながら、甘寧は黙って身を起こし、窓から外へ出た。 「・・・だから、知るわけねぇだろ。」 それでも、あの時に見た武は本物だったのだ。 諦めまいと、甘寧はその場を後にした。 Kへつづく [*前へ][次へ#] |