三國4 泡沫のあとに1(パラレル要素あり) 江を流れて辿りついた南の地一帯は、既に晩夏であるというのに梅雨時のように湿気を帯びて暑い。 その気温と湿気は夜になっても変わらず、甘寧は兵達を連れて景気づけも兼ねて村の酒場に転がり込んだのだ。 「この酒美味ぇな!」 「そうでしょう。なんせ、甕ごと酒を江の水で冷やしてますからね。」 垂れ流す汗をそのままに、忙しなく働いていた店員の男が得意げに言い、甘寧にもう一杯どうですと上手く進める。甘寧は満足気にそれを貰った。 この村は江沿いにあり、南方ともあって独特の文化を形成していた。 まず水と縁が深く、食も米が主流であり、肴をとっても米を潰して焼いたものや、見たことのない魚など、江の上流からやってきた甘寧にとっては初めて見る代物ばかりであった。 そんな場所に、最近別の水賊連中が縄張りを広げてきているらしい。 そこで、錦帆族としてその名を中華に轟かせていた甘寧に、この地を治めている太守から直々に討伐の命令が下ったのだ。 水賊でしかない甘寧に縋ってくるなど、中央の人間はどれだけ無能かとも思ったが、それだけ己の腕を買われている証拠、甘寧は討伐に成功した暁には、たんまりと恩賞を要求しようと思った。 相手の水賊は、ずっと南からやってきた南蛮の賊たちで、目が合っただけでも民の首と胴を切り離し、女子供は捕まえて売り飛ばすか慰め者として使うだけ使い捨てるということを好む連中という噂だ。 甘寧も同じ賊ではあるが、人の命よりも物を奪ったり、他人が盗んだものを元の鞘に納めたりすることばかりを稼業としていた。だからこそ、中央から警邏まがいの仕事が振ってくるのだが。(ただし、中央の注文に疑問がある場合、それすらも跳ね除けている。) ただ、噂は噂でしかない。まずは面を拝んでやろうと、杯の表面にできた水滴の冷たさを感じつつ杯の中の酒を喉に流し込むと、兵たちの声が聞こえてきた。 「でもよ、さっきのババアが言ってたのはマジな話らしいぜ。」 「ええ?迷信じゃねえの?それとも何か?お前そういうの信じるタチなのかよ。」 「ンなわけねぇだろ、あのババア自体妖怪みてぇだったし。」 「う〜ん。しかしよ、そんなのが居たら、俺等の中にも見たことある奴の一人や二人、いそうだけどな?」 「あっそうだ!兄貴!兄貴は見たことありますか?」 兵の1人が甘寧の顔を覗き込むようにして話を振ってきた。 「あぁん?何をだよ。」 「人魚ですよ、人魚!」 その兵の話によると、この村の入り口付近に怪しい老婆がいて、江には人魚が住んでいると叫んでいたのを聞いたらしい。気味が悪かったが、この酒場であの老婆についてと伝説とを他の民に聞いたところ、あの老婆はずっと昔から居て、人魚の話も、この辺りの民たちの間に伝わる古い伝承なのは間違いないそうだ。 しかし、民のうち誰一人として人魚を見た者はなく、伝承がずうっとこの地深くに根を這っているのは、関係する習わしが存在するから。 稲の穂を軒先に吊るしていると翌日には無くなっていて、その下に水溜まりができているとか、江の岩の上に魚の尾のような足を持った男が居て、その次の日は大雨になり江の水かさが増すとか。 この店の、甕ごと酒を江に冷やすというのも、昔人魚が人助けをした時の、人魚への礼にと始まった習わしなのだそうだ。 「くっだらねぇなあ。」 甘寧は全く信じず、鼻で笑い飛ばした。 己の目で見たことが全ての甘寧にとって、伝承などはただの伝承にすぎなかった。 「おいおいおい、お前らそんな話を肴にしてたってかぁ?」 「ち、違いますよ!でも、なあ?」 「ま、そんな妖怪みたいなのがいたら、っつーのはあるかもしれねぇけどよ。」 「でしょ?夢があるってもんでさぁ!」 「馬鹿野郎。ンな追いかけても掴めねぇと分かってるものより、目の前のことを何とかしやがれ。」 甘寧はそう言って眉間に皺をよせ、近くの焼いた魚を一つ口にした。 敵の江賊は思ったよりも喧嘩が上手かった。 まず敵の戦術を見誤った。 数が多い。人も船も武器もだ。 小回りの利く小さな船を何艘も用意し、江の入江にそれらを潜ませて、蜂のように次々と襲いかかってきたのだ。武器は小型に作られた弓を沢山用い、鏃には軽い毒が塗ってあって、射られた味方は体が麻痺して江に落ちて行った。それからやや小さな分銅をいくつか用意していて、何人かでそれを船に投げれば船に穴が開いて沈む。 こちらが応戦すれば、入江に逃げ込み、時にはそちらへ誘い込んで身動きを止め、確実に、一艘ずつ沈めていった。 甘寧はこのままでは埒があかないと、覇海片手に敵の船から船へと単身突撃し、とうとう敵の親玉が乗る船を見つけたが、横から飛んできた弓矢を足に食らって江に落ちてしまった。 船から落下する寸前に見えたのは、散り散りになった味方の船。 灰色の水に飲み込まれながら、己の浅薄さを思い知った。 (クソが・・・) (調子に乗っちまった結果か・・・。) こんな負け戦は久しぶりだ。 きっと、奴らは調子に乗るだろう。 水の抵抗に足掻こうにも、矢を受けた足から体全体が痺れて動けない。なんとか首を水中に出そうと口を開いたら、大量の水が口に流れ込んだ。 溺れる感覚。 流れた先は九泉か。 それが運命ならば、仕方がないか。 甘寧は冷たい渦に巻き込まれながら、瞳を閉じた。 意識を失う寸前、水の泡に大きな魚の尾のような、髪の房のようなものが見えた気がした。 2へつづく [*前へ][次へ#] |