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第9話 5
 形兆はベンチに座っている香澄に手を差し伸べた。
 見上げる香澄は目を見開いて硬直した。ややあって、自分の手を持ち上げようとしてかすかに腕を動かす。
 はっと気付くことがあって、形兆は差し伸べた手を顎にやった。香澄はびくりと肩を竦ませて、浮かせた手を膝に戻した。

「いや、つうか、上澄み程度のことしか喋るな。それ以上のことはいらねぇ。興味ねぇし」

 話の流れから言って、秘密を打ち明けられたら形兆も打ち明けねばならなくなる。
 目的の為であればどんな手段を問わない形兆だが、形兆そのものの人格は規律や約束を重んじるタイプである。単に――規律などなりふり構っていられないぐらい、父親の件は切実で重要だというだけで。

 ん、と形兆は香澄を見た。香澄はピンと背筋を伸ばして固まった状態で、形兆の様子を伺っている。
 形兆はもう一度手を差し伸べた。

「なにしてんだよ。ほら」
「う、うん――」

 促されるまま、香澄は指先を形兆の指先に置いた。
 形兆はうっと体をこわばらせる。形兆の手に手を重ねたまま、香澄が首を傾げる。

「虹村くん?」
「お前な……そういう意味じゃねぇ。缶だよ缶!」
「あっ、そっそういうこと? 今飲むね」
「わかるだろ、普通」
「わかんないよ、普通。そんなに恥ずかしがらないでよ」
「恥ずかしがってなんか――……ねえよ」

 言葉をつまらせながら否定する形兆に、香澄はくすっと笑った。

「いきなりわたしに抱きついてきたくせして、手つなぐのは恥ずかしいってよくわかんないなー」
「は?」
「風邪引いたときに、後ろから。けっこーびっくりしたんだからね、わたし」

 香澄はいたずらっぽい目で形兆を見上げた。
 眉をしかめた形兆は風邪を引いた時の記憶をたどる。
 確かに、熱に浮かされた時に後ろから香澄を抱きしめた気がする。いや、あった。思い出してしまった。
 うろたえる形兆に香澄は苦笑した。

「熱でどーかしてたのはわかるから、気にしてないよ。ノーカンだよノーカ……あぅ……」
「……ノーカンだ。どっちもな」
「う、うん」

 香澄は頬を染めて頷いた。形兆も頬が熱くなるのがわかった。
 唇の接触事故も、形兆の抱擁もどちらも事故で、回数に入れるべきことではない。
 ちらりと視線を香澄にやると、香澄も形兆を見ていた。視線があって、どきりとして二人同時にそっぽを向く。
 喋りだすタイミングも話題も掴めずに黙り込む。
 そよ風が、立ったままの形兆と座ったままの香澄の頬を撫でた。ひんやりとした夜風が木の葉を揺らして心地いい。

「きっとね、わたしのことを知ったら虹村くんはわたしを軽蔑すると思う」
「……そうかよ」

 ――俺のことを知っても、お前は俺を軽蔑するだろうな。
 そう言おうとして、形兆は口をつぐんだ。
 売り言葉に買い言葉のような、不毛な返しはしたくなかった。

「わたしは悪い子だから……」

 香澄の呟きは風にさらわれて消えていく。香澄はココア缶をきゅっと握った。
 吹き抜ける風に木の葉が舞いあがり、かさかさと地面に音を立てる。

 香澄は静かに髪の毛を押さえた。揺れる髪が光の環をこぼし、その奥にあるピンクスパイダーの『耳』がかすかに姿をあらわす。
 服の袖から青あざが垣間見え、形兆の口の中に苦味が広がった。
 もどかしかった。香澄の事情など知らない。輪郭だけがうすぼんやりと見えている気配がするから、余計に内情が掴めなくてイライラする。

 虚空を見つめる香澄の額を、形兆は容赦なく小突いた。でこピンされた香澄が痛がりながら額を押さえ、おろおろしながら形兆を見上げる。
 形兆はクエスチョンマークの浮かぶ表情を見下ろして悪態をつく。

「さっきの言葉聞いてたか。上澄みしか話すなって言ったろう。勘違いすんなよ、お前が好きだから聞いてるわけじゃあねぇんだよ〜ッ!」
「うん、そうだね、ごめんね」

 香澄は困ったように苦笑した。形兆はその表情を見ているとむずむずする。

「普段は心でも読めんのかっつーぐらい鋭いくせにどうしてお前はへんなところでにぶ――心?」

 言いながら、形兆は自分で戸惑った。
 心。
 心が読めるぐらい――鋭い。
 どくんと心臓が脈打つ。自然と形兆は一歩香澄から距離をとった。香澄の腕の届かない位置で、かつバッド・カンパニーが最大限力を発揮できる地点まで後ずさる。
 心が読めるのだとしたら――香澄の察しのよさに説明がつく。
 形兆すら気付かぬ間に億泰の心の機微に気付くのも、形兆が限界を迎えそうになったときに限ってひょっこりと現れるのも。
 思えば香澄は、笑みをこらえようとしてこらえきれず声をあげて笑うのは、いつだって形兆が思いとは裏腹の言葉を言ったときだ。

「お前……まさか」

 喉が渇いて、唇がわなわなと震えた。それから先、言葉は発せなかった。
 心臓が痛いぐらいに脈動して、指先の神経がチリチリと痛みを持つ。


 心を読まれているのだとしたら、すべての隠し事は無意味となる。親父を殺す目的も、人を殺していることも、すべて暴かれているのか。
 形兆の胸中を暴いたその上で香澄が、近づいてきているとしたら。
 それは――まさか弓と矢を。

 しかし、それは単なる疑念だった。
 確証などなにもない。察しのよさに説明がついても、時折の鈍感さに矛盾だって生じる。だから、いや、しかし。 
 形兆は否定の言葉を期待した。
 食い入るような形兆の視線の先で、香澄はベンチに座ったままかすかに俯いた。伏せた目に影がかかり、唇は引き結ばれる。

「虹村くんは確信してるんだね」

 その言葉は空恐ろしいほどいつも通りに穏やかな声で、だと言うのに冷え切っていた。










2013/8/24:久遠晶

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