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三話 4
 ――香澄にほだされるんじゃねぇぞ。
 億泰にそう言ったのは形兆自身だ。
 それなのにこうしてほだされつつある自分がいることに嫌気が差す。
 形兆はため息を吐いた。
 香澄は背筋をのばして、まじめな顔で形兆の言葉を待っている。

 しばらく形兆は無視を続けたが、香澄はじっと形兆の返答を待っている。
 じっと視線を寄せられるのも不愉快だったので、結局形兆が折れた。

「……億泰のやつに、料理のレパートリーが少なすぎるって言われてな。朝昼夕、毎日同じローテーションが飽きるんだとよ」
「うん」
「家事全部俺に押し付けてるくせに文句言われて、それで不機嫌になってた。それだけだ」
「それだけのようには見えないけど……まあ今は聞かないよ」

 香澄はすこしだけ寂しそうな表情をしていた。
 別に形兆はウソをついているわけではない。日々鬱憤は溜まり続けているが、今日の不機嫌の理由は間違いなくそれだ。

「虹村くんが家のこと全部やってるの? ご両親はどうしてるのか、聞いてもいいかな」
「いねぇ。……親父は、まあいるけど。ろくなもんじゃねぇな」

 自然と奥歯に力がこもる。
 本当は『両親なんて居ない』と言ってやりたかったが、それは願望でしかない。どれほど憎んでも父親は生きているのだ。
 隠さなかったのは、『いつか必ず殺す』という強い憎しみと意思の表れだった。

 自然と苦虫を噛み潰した表情になる形兆の言葉を、香澄はどう解釈したのだろう。
 香澄は泣きそうな表情になった。

「ごめんなさい、なんて言えばいいのか……」
「……かまわねぇよ。俺こそヘンなこといって悪かったな」
「ごめんね」

 香澄は目を伏せて首を振った。

「……でも料理のレパートリーは増やしたほうがいいのはそうかもね。毎日決まったローテーションじゃあ、栄養も片寄るしさ」
「楽なんだよ、それが一番。なにを作ればいいのかもわかんねぇし」
「じゃあ、よかったらこれ使って。料理の参考までに」

 香澄は鞄の中から一冊のノートを取りだした。
 料理のレシピが丁寧に書かれている。重要な下ごしらえのところには赤線で引いてあり、所々に食材の解説などが成されている。

「なんでこんなん持ってんだ」
「学校でレシピ書きうつそうと思ってたから」

 ふうん、と気のない相槌を打ちながらノートをぱらぱらとめくる。
 失敗しては書き足しているらしく、レシピの欄外には注意点や好み別の味付け方などが注釈されている。見た目の理路整然さはないが、書きこみからにじみ出る几帳面さと食べる人間への心配りには好感が持てた。

 しかし香澄からなにかを借りるのはしゃくだ。
 他人に頼ることは弱さを見せることに繋がるし、なにより相手が香澄だと思うとむしょうに反発したくなる。
 香澄とは――大多数の人間に対してそう思うが――住む世界が違う。
 見ていてイライラする。
 だから形兆は、『借りる』という言葉をのみこんだ。

「要らん」
「そんなこと言わないでよ。この前保健室運んでもらったしさ。ね?」
「要らない。レシピぐらい自分で調べる」
「受け取ってよ。そうじゃないとわたしが困るの。おねがい」
「要らんと言ってる。迷惑だ」
「……そっか、ごめん」

 謝罪の言葉は鼻声だった。思わずぎくりとする。
 香澄はスカートを握りしめて、膝に視線を落としている。

「本当、へんなこと聞いちゃってごめん」
「おい……」
「言いたくないことは聞かないつもりだったんだけど。そりゃ怒られちゃうよね……」

 どうやら、形兆の拒否を『家族について聞いてしまって機嫌を損ねた』からだと思っているらしい。
 父親のことを思い出して機嫌を損ねたのは正しいが、ノートを受け取らない理由はそうではない。
 目を潤ませる香澄に形兆はうろたえた。
 香澄が泣こうが泣くまいがどうでもいいが、狭い教室のなかで自分が加害者になるのは避けたい。
 ほだされているわけではなくて、教室という空間のなかでうまくやっていくための方便。
 イライラしながら自分にそう言い聞かせて納得させる。

「……わぁーったよ、借りてやるよ。だから泣くなよ」
「泣いてないよ」
「泣いてるだろ」
「泣いてないって」

 目から雫がこぼれてはいるわけではないので、そういうことにしておくべきか。
 形兆は目をごしごしとぬぐう香澄に舌打ちをした。
 扱いづらい。無意識なのだろうが、形兆の中身を書き乱すような言動が嫌いだ。
 
「……億泰くん喜んでくれるといいね」
「喜ばれるって思うとむしろ士気が下がるな……あームカつく」
「だめだよちゃんと仲直りしなきゃ。せっかく仲のいい兄弟なんだもの」
「俺はなにも悪くねぇ」
「そうかもしれないけどさ。無理にごめんなさいは言わなくていいから、ここはこっちが大人になってあげないと」
「つまりいまの俺は子供ってことか」
「そういう風に拗ねるところは子供っぽいかなぁ」
「お前に言われちゃあおしまいだな」
「ひどいなぁー」

 悪態を吐くと、香澄はクスクス笑った。
 形兆はすこしだけほっとする。そんな自分に気付いて首を振った。
 気がつけば億泰への怒りは失せていて、まあ、新しい料理を模索してやってもいいか――という気分になっていた。
 香澄にほだされているわけではないが、少なくともレシピノートは有益だ。これぐらい利用してもいいだろう。
 怒りでこわばっていた肩から力を抜いて、形兆は窓の外を眺めた。
 いい天気だ。
 晴天を心地よく思えるぐらいには、気持ちはすこし楽になっていた。









2013/6/26:久遠晶

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