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最終話 春が死んだ日 中編2
「そうそう。もっとも、キミはスタンド使いじゃないんだろ? わからない話かもしれないけど」

 男が人差し指を上に向けてくいくいと動かす仕草をすると、父が香澄の手を掴んだまま立ち上がった。香澄も強制的に立ち上がる羽目になる。父が香澄を後ろ手に拘束すると、合わせて男も立ち上がる。
 嫌な予感がしてきた。

「香澄チャン、これ見て」

 自分の手を人差し指で示し、男は笑う。ごてごてとした趣味の悪い指輪がたくさんついた指を、男は小指から握りこんでいく。

「息吸って、吐いて、腹筋に力込めてね」

 男が脇をきゅっと締める。握りこぶしを引いて、上体をねじって香澄の腹へと突きこんだ。
 衝撃が腹を通り抜ける。吹っ飛ぼうにも、父が後ろで受け止めるせいで衝撃を軽減できない。
 順突きをまともに食らった香澄は息の塊を吐き出した。

「がひゅっ」
「ん〜、いい声。かわいい子の喉から絞り出される声っていいよね。想像通りだ」
「ぐっ! うっ、あぁ……!!」
「キミの声好きだな。ずっと聞いてたくなる」

 息を吐くような口説き文句にあるのは純粋な感嘆だ。合間合間に突きこまれ、香澄の悲鳴がもれる。
 内蔵を何度もなんども、丁寧に痛めつけられる。腹筋に力を入れて身構えようにも、爪先立ちになるように手を拘束されているから、うまく踏ん張ることができない。
 よしんばうまく踏ん張れていても、非力な少女の腹筋など簡単に壊されていただろう。
 息をするたびに腹が痛む。脂汗が額から吹き出て、膝が震える。内臓を損傷しているかもしれない。
 母が死んでからと言うもの、父からの暴力にさらされ続けてきた。腹を殴られたこともあったが、ここまで長時間いたぶられたことはない。
 痛い、痛い、痛い──。
 なんでわたしがこんな目に。どうしてわたしがこんな目に。
 そんなふうに思ってから、ストンと腑に落ちた。

 ──これは、わたしに与えられた罰なんだ。
 ──お母さんを殺したから。だから。
 ──この痛みは、正しいことなんだ。

 自分に与えられるあらゆる不幸と痛みを母殺しに直結させて、己を納得させる。
 痛みが正当なものだと理解すれば、香澄には恐怖が消えた。困惑が表情から消えて、全てを受け入れる殉教者のような瞳になる。──あるいは、全てを諦めきった、と言うべきか。
 香澄の抵抗や、非難の目がなくなったことに気づいた男が拳を止める。
 だらりと垂れ下がる髪の毛を無遠慮に掴んで、うなだれる頭を持ち上げる。

「急に受け入れちゃった目になったね。どうしたの? 反応くれなきゃ面白くないよ」
「……ごめんなさい」

 香澄は心からそう言った。母殺しもそうだが、男に喜びをあげられないことに対しての謝罪も含まれていた。
 男の暴力は理不尽なものではなく、むしろ香澄の罪をそそぐ為の罰を与えてくれる存在だ。そのように納得した香澄にとって、彼の望みを果たせないことは許されないことであった。
 男はそれからも何度か香澄を殴った。
 人体から聞こえてはいけない音が聞こえ、香澄は吐瀉した。血が混じっている。肋骨でも折れて、胃か食道にでも刺さったのかもしれない。
 ただただ、その暴力を受け止め続けた。腹部から痛みが染み出し、全身まで痛むようだった。だが同時に、香澄は確かに救われていた。

 これで、殺してもらえる。──と。

 男は気分で殴る場所を変えた。顔面をごつい指輪をはめた拳で殴りつけられ、まぶたを切って出血した。前歯が折れたが、吐き出す余裕も気力もない。

「……なんか、つまんないの」

 さんざんなぶっておきながら、自分勝手な言葉を口にする。
 やりがいがない、だの、つまらないだの。そう言った罵りの意味を理解する為の頭が働かない。
 男の傍にスタンドが発現するが、香澄はそれに意識を払わなかった。無気力なのもあったが、それ以上に。

 ──これで、殺してもらえる。
 ──もう苦しまなくて済む。

 人生の苦痛が救われる思いだった。やっと香澄は許されるのだと、そう思った。

 その瞬間だった。
 視界の端で倒れている妹が目に入る、
 地面に投げ出された指先をピクリと動かし、ぱくぱくと口を動かして、香澄に何かを訴えている。
 ハエは妹の目に止まったままだった。そのままにさせながら、妹は唇を震わせる。

「ね……に……」

 誰にも聞こえないはずの呻き声。ささやかすぎて、傍のハエにすら聞こえないだろう。
 それでも香澄には聞こえた。不明瞭で、単なる吐息とすら誤解されそうな『音』でも、そこに含まれる意思を、ピンクスパイダーは鋭敏に感じ取った。

 ──逃げて、お姉ちゃん。

 澄泉は確かにそう言った。
 八年間香澄を恨み、虐げ続けた妹は、動かない身体を必死にうごめかせて、香澄を助けようとしていた。

 ──どうして。わたしには死んで欲しいはずなのに。

 湧き上がるのは疑念だ。死んでくれと香澄を呪い続けた妹が、確かに自分の生を望んでいることへの。
 父も香澄の死を願っていた。
 香澄は、出来る限り苦しんで死ななければならないのだ。

 だから香澄はあの時屋上にあがって──。

「……あれ、なんか動いてんな、あの子。やっぱりボクのマスターオブパペットって傷をつけただけじゃダメなんだなぁ、ちゃんとスタンドの刃を食い込ませないと、ちゃんと操ってくれないみたい」

 男がぶつぶつと呟く。その言葉は、単なる情報としてしか耳に入ってこない。

「まぁいいや。うん、そろそろ、終わりにしようか。あの子はちゃんと騒いでくれるといいなぁ」

 男が懐からバタフライナイフを取り出した。一方的な蹂躙を終わらせるつもりなのだ。

「ふたりとも……わたしに死んでほしいと思ってるはずなのに……」

 香澄の疑念に答えるものはいない。
 男の凶刃が香澄に向かって振り下ろされる。
 目をぎゅっとつむった香澄は、数秒後に襲い来るであろう痛みに身を固くした。
 だが、痛みはいつまでたってもやってこなかった。
 薄く目を開ける。
 目の前で鈍色に光る刃の先、男の手首を、横から誰かが掴んでいる。
 父だ。
 香澄を後ろから押さえつけていた 手が離れ、男の手首を掴んでいるのだ。

「え……? なんで、ボクの支配から……」

 男がきょとん、と目を瞬かせた。なにが起きたかわかっていない、認識していない表情だ。
 父のもう片方の手が香澄から離れる。
 その手が握りこまれていく様子が、香澄にはとても緩やかに感じた。
 握りこまれた父の手は、まっすぐに男の顔面へと吸いこまれていく。

「私の娘に……なにをする……!!」

 無防備な顔面に、順突きが炸裂する。完全に入った。
 男は勢いよく吹っ飛び、地面に道を作るように倒れていく。



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