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24話 哀願 1
「誕生日?」
「そ〜香澄の。来月らしいんだけどよ、兄貴はなにか考えてンのかなって」

 億泰がそう言うと、ミリタリーものの雑誌を読んでいた形兆は顔をあげた。億泰は頭の後ろに手をやりながら、顔をそらして形兆の視線を無視する。
 形兆の自室は、主の性格を反映するように整理整頓され管理が行き届いている。生活感がないほど手入れされた室内の中で、壁に掛けられた弓と矢だけが物々しい存在感を放っている。

「せっかくだしなんかしてぇよなぁ〜。なぁ」
「なあ、ってオマエな、億泰」

 暗にパーティをしようとせっつく億泰に、形兆が眉をしかめた。乗り気ではない反応に億泰もむっと頬を膨らませた。
 形兆の誕生日にパーティをしたのは香澄の意向だが、億泰も乗り気になってセッティングしたものだ。虹村家が普通の家とどうしようもなく違うことは億泰も理解している。しかしパーティの準備をしていた時は普通の家族になったようで、それが嬉しかった。あれをまたやりたい。明確な言葉にすることは気恥ずかしく、億泰はそれとなくほのめかすことしかできない。
 億泰の意図を察したのかどうなのか、形兆は眉根を寄せたまま雑誌へと視線を戻す。

「お前はなにか考えてんのかよ、渡すもん」
「だからそこも含めて相談してんだって。女ってナニ喜ぶのか全然わかんねーし……」
「俺にだってわかるかよ」

 ため息まじりに形兆が返す。形兆の返答はあしらうような語感が強かったが、相談には乗ってくれるらしい。
 億泰は腕を組んでむぅとうなった。

 香澄の誕生日。喜ぶもの。プレゼント。頭を巡らしてみてもパッと思いつくものは見つからない。
 共に暮らすなかで食べ物の好みやよく見るテレビ番組は把握したが、香澄が何を欲しがっているのかなど億泰には検討もつかない。

「俺としては服とかかなぁと思うんだけどよぉー」
「服は好みが出るからダメだろ。あとお前に女物選ぶセンスあんのかよ」
「そこはほら、俺たち二人で」

 香澄にはあまり洒落っ気がない。部屋着は古着の流用だし、普段着や余所行きの服もあまり持っていないようだ。単に服に興味がないからなのか、実家の環境のせいなのか――という点に気が回るほど、億泰の頭の回転はよくなかった。
 形兆にはたしなめられたが、服のプレゼントはいい案に思える。
 どんなものでも香澄なら喜ぶだろう。形兆が選んだものなら。

「――服よりも先に」

 不意に形兆が声をあげた。雑誌をぱたりと閉じ、億泰のほうを向く。

「新しい布団」
「え?」
「いつまでもお袋の使ってたカビくせぇ布団使わせる訳にも行かねぇだろ」
「それは」

 言葉につまって億泰は目を瞬かせた。
 形兆の案は、香澄がずっとこの家に居ることを前提にしている。まさかそんな言葉が形兆からでるとは思ってもいなかった。ましてや、長らく放置していた布団を使わせていることを気にしているなどとは、誰が想像するだろう。
 目を丸くする億泰をどう思ったのか、形兆はふんと鼻を鳴らして雑誌に視線を戻す。不機嫌そうな瞳だった。

「別に、それだけで済まそうとは思ってねぇよ。他は、それぞれ個別に考えりゃいいだろ」
「……あぁ、そうだな、兄貴〜」
「なにヘラヘラ笑ってんだよ」

 笑わずにはいられない。億泰がうししと笑うと、不愉快げに顔をしかめた形兆が手を振り上げた。べしんと音がして頭をはたかれる。
 照れかくしだと気付いて億泰の笑いはもっともっと大きくなり、形兆の不機嫌は助長する。

 そこに、ホットケーキを焼いたという香澄の声が階下から響いてきた。億泰の胸倉を掴む形兆の手が止まり、そのスキに億泰は立ち上った。口のなかにさっそく唾液が分泌されてくる。
 香澄の作る菓子は好きだ。やさしさに満ちあふれている。

「今行くぜ〜!」
「おい。このこと、あいつには言うなよ」
「わかってるって!」

 立ち上がりながら釘をさす形兆に、億泰は大きくうなずく。
 階段を降りてリビングに行くと、甘く暖かい匂いが鼻をくすぐった。
 テーブルに三人分の茶器を準備していた香澄は、上機嫌の億泰に気づいて嬉しそうに微笑んだ。

「なんだか上機嫌だね。虹村くんとなにかあった?」
「香澄にはナイショ」
「ふふ。そう、兄弟の秘密だね」

 つれない億泰にも香澄はにこにこ顔だ。ホットケーキにはちみつやバターを塗りながら、目を細める。

「家族で仲良しが一番だもんね」
「だよなぁ〜。なっ! 兄貴」
「……いいから、ホットケーキ冷める前に食おうぜ」
「そうだね。いただきます」

 三人でフォークを手に、ホットケーキへ手を伸ばす。
 口に入れた瞬間、バターの濃厚な香りがぶわりと鼻を通り抜ける。じっくりと咀嚼しながら、億泰はしばし口の中に広がる甘みを楽しんだ。

「……うまい! 香澄の作るもんってうめ〜よなぁ〜!」
「ふふ、ありがとう。でもそれ以上言うと虹村くんがやきもちやいちゃうよ」
「誰が焼くか」
「人の作るごはんっておいしいよねぇ、わたしは虹村くんのごはんが好きだな」
「誰が作っても大差ねぇだろ。……あ、だがお前のメシはまずい。味薄いんだよ」
「あ、ひどい。素材の味を活かしたと言ってほしいな」

 形兆の減らず口に香澄が異議を申し立てる。
 仲のいいやりとりを見ながら、億泰は香澄の言葉をぼんやりと考えていた。

 ――兄弟だけの秘密だね。

 秘密。そう、誕生日の件は、億泰と形兆だけの秘密だ。
 億泰が形兆と共有する秘密は多い。父親のことや、あるいはスタンド使いのこと、弓と矢のこと。
 足にまとわりつくヘドロのような後ろ暗い隠し事ばかりのなかで、今回共有した秘密は唯一とても平和で、穏やかなものだ。
 億泰がいま口にしている、バターとはちみつ濡れのふわふわしたホットケーキのように、甘くて優しい、幸せの証しだ。
 香澄の淹れた紅茶はするりと喉を滑り、ホットケーキと共に億泰の腹を暖かく満たす。琥珀色の水面から浮かぶさわやかな湯気は春の陽気のように心地よく、ほのかに眠りを誘う。

「……俺、やっぱり香澄がうちんち来てくれてよかったなぁ」

 何気なく呟いた言葉は心からのものだった。
 香澄は目をぱちぱちさせて驚いて、困惑して体をもじつかせた。はにかみ笑いのまま形兆へ視線を逃がす。
 形兆も、億泰の突然の言葉に困惑している。誕生日の件がばれてしまうかも、と危惧しているのだ。

「い、いきなりそんな声だしてどうしたの。ちょっと泣いちゃいそうだよ、そんなこと言ってもらうとさ」
「ナイショ! ぜんぶぜんぶ、香澄には秘密だぁ〜っ」
「あっ私のホットケーキ! もー!」
「億泰やめろよ、行儀悪ィぞ。……おい、俺の分食っていいぞ」
「虹村くんありがと〜」

 あきれまじりの形兆の声を聞きながら、億泰は口のなかにホットケーキを何切れも詰め込んだ。喉を圧迫する甘い苦しさにちょっぴり涙が出そうになりながら。


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