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第21話 2

「ぇと……」

 伺うような香澄の視線が耐え切れず、形兆は立ち上がった。いつのまにか掛けられていた――どうせ香澄の仕業だ――毛布を手早く畳む。

「おい」
「っ、は、はい」
「これ、どっから取ってきた」
「えぇと、お借りしている部屋から……つまりわたしが使ってる、使わせていただいているお布団から……」
「持ってく」
「それならわたしが――」
「いらねぇよ。部屋……入られるんのがイヤなら、扉ん前おいとく」

 静止など聞かずに歩き出し、香澄の部屋に毛布を置いて戻ってくると、香澄は先ほどと同じ場所で所在なさげに立ち尽くしていた。
 形兆を見つめて、香澄はぱちぱちと瞬きをする。困惑と怯えが半分半分、そこに、なにかを期待するような色めきがわずかに見える。

 それを無視して、香澄の隣をすり抜けて台所へと入る。
 水道の蛇口をひねる。洗面所を億泰が使っているから、洗顔をこちらで済ませようと思ったのだ。水だけで顔を洗い、タオルで顔を脱ぐおうとすると、

「こ、こっち使いなよ。台所のタオル……ちょっと汚いから」
「……」

 すぐそばにタオルを差し出される気配がする。促されるまま、形兆はタオルを受け取った。
 濡れた顔をぬぐいながら、配膳途中でシンク横に置かれているおかずの品々を見て眉をしかめた。そんな形兆に、香澄が背後で『うっと』『えっと』などとうろたえている。
 形兆は言い訳を無視した。

「テーブルまで持ってく」
「えっ」

 おかずの皿を持ちあげてテーブルに置く。
 茶碗や味噌汁はすでにテーブルに配膳済みのようだ。箸も置かれている。香澄を見やると、香澄はやはりはらはらと形兆を見つめながら立ちすくんでいた。

「どうした。まだ運ぶものあんのか」
「えっと、いや、な、無いけども……」
「じゃあ座って待ってろ」
「……ん、んう」

 命令され、香澄は形兆の向かい側の席におずおずと座った。
 ややあって、億泰がぱたぱたとやってくる。
 億泰が隣に座ったところで、ふと思い出す。

「おやじのメシは」
「さっきあげてきたよ。結構早くにおかず作っちゃったから……」
「そうかい」

 形兆は鼻を鳴らした。
 三人で食事をするのは、これでたったの三回目だ。
 なんだか、ひどく新鮮な気がした。


 汚名返上というべきか、今回の料理はなかなかのものだった。
 彩り豊かな品々からは寝起きの胃に優しいものを、という配慮が透けて見える。普段油っぽい肉が主食の形兆と億泰にはすこし物足りなくさえあったが、素朴な味付けは心が休まるものだ。
 形兆が無言で箸を運ぶ様子を、香澄は固唾をのんで見守り続けたのだった。

「皿洗いぐらい俺がやる」

 形兆がそう申し出たとき、香澄はひどくうろたえた。恐縮する香澄を黙らせて食器を洗う間、形兆はずっと香澄の視線を感じている。
 家具の陰に隠れるようにして見つめる瞳に心がざわつく。

「……あんま見んな」
「あ、うん、ごめんね……て、テーブル拭いてるね」

 香澄はぎこちなく言って、形兆に背中を向けてぱたぱたとテーブルのほうへ行ってしまった。
 まさか何処かへ行ってしまうとは思わず、形兆はうっと息を詰まらせる。
 別に――見ていてくれてよかった。不快だったわけではなく、単なる照れ隠しだったのだから。あの眼に見つめられるのは一向に構わなくて、ずっとそうされていてもいいとすら思うのに。
 狭い台所が急に広く感じられた。水道水が冷ややかに指先を刺激する。皿洗いを終えて、形兆は居間に顔を出した。

「皿洗い終わったぜ」
「うん、ありがとう。虹村くん」
「……いや」

 きゅっと唇を持ち上げての笑み。とっさに形兆は視線を逸らしてしまう。
 昨日まで避けられていていいと、そうされて当然だと思っていた。香澄に笑みを向けられると困惑して苛立ってすらいたのに、今は安堵している。
 なんてわかりやすいんだ。形兆は現金な自分に溜息を吐いた。

「っ、あう、ご、ごめんなさい」
「あぁ? ……別にお前にイラついたわけじゃねぇよ」
「ほ、ほんとう?」
「ちょっと嫌なこと思い出しただけだ」
「それならいいんだけど……いや、虹村くん的にはよくないんだろうけどさ」
「それでいいよ」

 ぶっきらぼうに言う。
 言葉はお互いにぎこちない。昨日の夜を意識しているのだ。そ知らぬふりをする形兆の内心も、香澄のピンクスパイダーにかかればすべて感じ取れてしまうのだろう。
 厄介なことだ。そう思うのに、どうしてか今日はむやみやたらに口実を作ってでも話しかけている。
 本当に自己嫌悪が湧き上がってくる。

「虹村くん優しいね」

 唐突な言葉だった。香澄は嬉しそうに笑い、唇の前で両手を合わせた。
 形兆がきょとんとしていると、香澄は続ける。

「イライラしてるのに人を気遣えるのは優しい人だよ」
「……アホか、お前」

 気遣った覚えはなかった。誤解を訂正しただけだ。
 怯えた表情はもう、形兆は見たくなかったから。
 悪態を吐く形兆に香澄はふふっと笑った。以前のようなクスクス笑いではないものの、それと同じぐらい力が抜けている。
 自然に手が伸びた。
 気付いた香澄はじっと、自分に向かってくる形兆の指先を見ていた。近づいていくことに、頬を赤く染めて。

「うぉおーい兄貴ィ、トイレの紙もうねーぞォー……ん?」
「ストック切れたか……今日買っとく」

 億泰が二人を見て首を傾げる。とっさに、伸ばしていた手を引っ込めた形兆は何事もなかったふうを装う。
 顔を背けて、ちろりと視線だけを向ける。香澄も形兆を見ていて、あわてて形兆は背を向けたのだった。

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あきゅろす。
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