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第14話 承認不可のふたつの存在

 熱したフライパンに生卵をよっつ、続けて落とした。瞬間、ジュウッと熱い音がして焼けていく。水を入れてふたをするとガラスの鍋蓋が瞬時にくもって、蒸発する音がごぽごぽとくぐもって聞こえた。
 形兆が流れるような動作で食事の支度をしていると、ぱたぱたと足音がしてからリビングの扉が控えめに開く。

「お、おはようございます……」

 おずおずと香澄が顔を出す。
 昨日貸してやった形兆のシャツはシワシワだった。思わず舌打ちをすると、香澄はシワを伸ばすようにシャツの裾を引っ張った。
 そうすると胸のふくらみを強調するような結果になる。
 片腕に隠されているものの、その奥で香澄の乳房は控えめに存在を主張した。
 胸元に寄るシワはやわらかい。下着をつけていないことが、いやでもわかってしまう。

 目玉焼きの様子を確かめるふりをして、形兆は香澄の胸から視線を引き剥がした。

「あの、な、なにか手伝えることは……」

 おっかなびっくり、といった具合に声をかける香澄を一睨みして黙らせる。
 米や味噌汁はすでにテーブルに待機させてある。香澄に手伝わせることなどなにもない。
 形兆がリビングの椅子を指差すと、香澄はぎこちなくそこに座った。そわそわと身体を揺らして、はっと気付いたように形兆に声をかける。

「億泰くん、呼んだほうがいいかな……?」
「……」

 逡巡して形兆は頷いた。
 自分の役目をやっと確保できた香澄は、安心したように億泰の部屋へと向かう。

「ウワァッ! なんで香澄がいるんだぁ〜っ!?」
「億泰くん、おはよう」
「おはよう。あ、そっか昨日」
「とりあえず顔洗ったほうがいいんじゃないかな」
「おーっ」

 億泰の間抜けな声が台所まで響いてきた。
 何故香澄がいるのだなどと――誰のせいだと思っているんだと思って、くっついた目玉焼きを分離させる形兆の手に力が入った。
 二人が顔を洗ってリビングにやってきたときには、すでに形兆は席について食事を食べ始めていた。
 いつものことなので億泰は気にしないが、香澄はとても慌てた。
 急いで席に座ると、香澄は両手を合わせていただきますの挨拶をする。

「あれ? 三人? おじさんは……」
「ああ……おやじにはもうご飯やってるだろ、兄貴」

 形兆は無言で頷く。怪物に成り果てた父親と共に食事など考えたくもない。昔は違ったが、今は完全に別々だ。

「……そう」

 悲しげに香澄は眉をひそめた。物言いたげにしたものの、黙り込む。
 形兆は無言で、自分で作った目玉焼きを口に放り込んだ。

「乾いてっから」
「へ?」
「昨日洗濯したお前の服」
「ああ……」

 形兆が言うと、香澄はきょとんとしながら相槌を打った。やがてみるみるうちに顔を紅潮させる。

「に、じむらくんが干したの……っ!?」
「……億泰にさせたほうがよかったか」
「いや、それは、それでっ……」

 あからさまにうろたえて、香澄は視線をあちらこちらに移動させながら身体をよじった。
 本来なら香澄自身に干させるのが最善だったとは知っている。だが洗濯が終わったころにはすでに香澄は眠っていて、不眠ぎみだと知っている形兆は香澄をたたき起こすことが出来なかったのだ。
 香澄は口元を隠して、やがて恥じ入るように俯いて顔をそらした。

「気まずい思いさせちゃって、ごめんね……」
「――いや」

 謝られたところで払拭できる感覚ではない。
 大声で叫びたいような恥ずかしさがこみ上げてきて、形兆は無言で味噌汁をかっ込んだ。



「あの……もう、おいとまするから……服、洗って返すね」

 食事後、食器を洗う形兆の背中に香澄が小さな声でそう言った。形兆が振り返ると、香澄はすでに昨日着ていた私服へと着替えていた。

 一晩経って冷静になったのだろうか。
 迷惑はかけられないと思い直したのか、あるいは同学年の男たちと生活する意味と問題に気付いたのか。
 ――あるいは、形兆のそばに居たくないのか。
 全部に決まっている。そのはずだ。

 冷静にそう考えて、形兆は香澄を無視した。食器の泡を水で流して、食器立てに差し込んでいく。
 香澄は形兆から顔をそらして俯いていた。守るように胸に手をやって、形兆の腕の間合いには近づかない。
 ちらちら視線を横顔に感じる。『そうしろ』あるいは『わかった』という形兆の了承を、香澄は待っているのだ。

「……お前、今日予定あんのか」
「え? えぇと、家で制服に着替えたら学校行こうかなとは思うけど……」

 今日は水曜日で、当然ながら登校日である。恐る恐ると言った様子で香澄は答えた。
 形兆は憮然として食器の水滴をぬぐう。その拍子に、香澄に背を向ける。

「サボれ」
「う、うん――え?」
「家に服取りに行け。んで、適当に書置きでも残しとけ。そうすりゃあ、捜索願いは出されねえだろ」
「それ……は」

 香澄が戸惑ったように吐息を吐き出す。
 平静さを装いながら、形兆はこの努力もピンクスパイダーにかかれば無駄なのだろうかと思った。とはいえ、素直に感情を出すことははばかられた。
 押し殺してばかりの毎日だ。今更素直な気持ちを表に出すことなど出来ないし、出し方すら忘れつつあった。
 香澄に対しては、特に。

「面倒なんだよ。お前になにかあると億泰が騒ぐ」
「う……」
「あの家に帰りてぇーなら億泰説得すんだな」
「……虹村くんて、どうしてそう……」

 小さなうめきは、喉の上のほうを通って香澄の口から吐き出された。すこし高めの音域に震えが混じる。形兆は香澄の涙目を想像したが、背を向けているから表情はわからない。
 形兆の理性はこのまま『帰る』という言葉を願い、感情はそれとは違う反応を願った。

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