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第6話 憧憬は信頼の芽吹き

 虹村億泰は困惑のあまり頭がどうにかなりそうだった。
 というのも、兄である虹村形兆が風邪を引いたからだ。

 朝珍しく寝坊した形兆を起こそうと億泰が部屋を開けると、ベッドから上半身をずるりと出し床に腕を投げ出す形兆がいた。まるでホラー映画で悪霊が床を這っているような光景に億泰は面食らう。

「あ、兄貴! どうしたんだ?」
「億泰か……身体がだるいだけだ、お前はさっさと学校行っとけ……」

 形兆は身じろぎして身体を起こそうとした。億泰もあわてて駆け寄って、肩を支えて手伝う。衣服越しの形兆の身体は熱い。
 普段億泰がなにかを手伝おうとすれば、形兆はすかさず「余計なことすんじゃねぇッ!」と一喝する。しかしこのときばかりはされるがまま億泰に身体を預けた。
 億泰は入室の際ノックを忘れたのに、そのことを怒りもしない――そもそも気付いていないのか。
 異常事態だ。
 億泰はごくりとつばを飲む。

「兄貴ィ、大丈夫かよォ」
「いいから学校行け、こんなんねてりゃあ治る……」

 寝てれば治る? 本当だろうか。
 普段虹村兄弟はめったに病気をしない。看病をしたこともされたことも遠い昔の出来事なので、億泰にはこの手の知識が一切ない。
 だから形兆の言葉が嘘か本当か判断がつかなかった。
 通常であれば敬愛する兄に「大丈夫だ」といわれれば安心して従うことができる。しかし今の形兆はどう考えても通常の形兆ではない。
 熱に浮かされて形兆の頬は赤く、いつもキリリとした鋭い眼光を放つ瞳はとろんとしている。

 ベッドのなかに戻た形兆は、億泰を見上げて安心させるように笑った。
 こんなときでもニヤリとしたひくついた笑みになってしまうのは、彼が普段笑うような人間ではないからだろう。
 形兆に髪をぐしゃぐしゃにされながら、億泰はすがるように形兆を見た。

「おめーはバカなんだから余計なこと考えなくていいんだ、よ……」
「あっ兄貴ィーッ!!」

 形兆は力つきて目を瞑る。億泰の頭を撫でていた手がばたりと音を立てて床に落ちた
 眠りに落ちた形兆を見ながら、億泰は真剣にうろたえた。

「あっ兄貴は大丈夫だって言ってたけどよぉ〜っなんか変な病気だったら……」

 汗ばんだ形兆が見ていられないほど辛そうで、億泰は自分に出来ることはないかと必死に考え始める。

「えーっと、救急車は110番だっけか」

 億泰は家の電話から110番にコールしようとした。しかし、この家にいる変貌した父親を見れば救急隊員は腰を抜かすだろう。そうなれば救急隊員と億泰は、怒り狂った形兆に粉みじんにされてしまう。
 この際形兆が助かるのであればどんなことでもする所存だが、父親を他人の目にさらすのは避けたい。
 110番はナシだ。
 億泰は電話を置き、かくて救急隊員の命は失われずに済んだのだった。そもそも110番は救急救命の番号ではない。それを億泰は知らなかった。


 億泰はうなった。
 もともと『なにかを選択する』という行為をすべて兄任せにしてきたし、形兆も億泰の判断を仰ぐことを嫌った。自分ひとりでなんとかしなければならない状況の経験が億泰には一切ないのだ。
 どうすればいいのかまったくわからない。形兆の意見を仰ぎたいが、当の形兆に異変があるから億泰はひとりで考え込むはめになっているのだ。
 ひとり? 本当にひとりだろうか。
 かすかによぎった考えに手をのばす。

「そ……ッそうだ!!」

 掻き消えてしまう前に億泰は思考の糸を掴むことができた。
 ――兄貴を助けるにはこれしかねぇ!
 億泰は言いつけどおり学校へと走った。




「香澄ッ! 香澄いるかー!!」

 億泰は中等部ではなく高等部にある形兆の教室を勢いよく開けた。
 ちょうど朝のHR中だったらしい。生徒と教師の視線が億泰に集まる。億泰は困惑の視線などものともせず、目的の人物のもとへずんずんと近づく。
 億泰の必死の形相に香澄はうろたえて眉を下げた。

「億泰くん? ど……どうしたの?」
「兄貴が! 兄貴が死にそうなんだよ!!」
「ええ!? 虹村くんが!?」
「そうなんだよ――ゲホッ、ガホッ」
「と、とりあえず落ち着いて深呼吸して……!」

 ピンクスパイダーを発現した香澄が億泰の背中を撫でる。
 香澄としては自身の落ち着きを伝達させて、不安と焦燥で揺れ動く億泰の心を鎮めてやりたかったのだろう。だが億泰に当てられて香澄もすこし焦っているため、大した意味はなかった。
 だが優しく背中を撫でられるとすこしずつ落ち着いていく。

「あ、兄貴が熱出して倒れたみたいで……」
「うんうん」
「死にそうなんだよ」
「う、うん。体温はどれくらい?」
「わかんねぇ。ぐあーって熱かった」
「えーと体温計では何度だった?」
「なんだそれ」

 香澄は無言で頭を抱えた。
 だめだこりゃ、あるいはらちがあかない、という意味のポーズだが、億泰は事態の深刻さをわかってくれたのだと喜んだ。

「で看病してやりてぇんだけど……俺ぜんぜんわかんなくて。110番に電話しようと思ったんだけどよォ」
「うんそれは警察だからよくないね……」
「だから香澄に助けてほしくて――」

 億泰がそう懇願したところで、学校のチャイムが鳴った。授業終了ということだ。

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