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ぼくとお姉さん

※ほんのり殺人描写注意




真っ暗な道をひた走る。見付からないように。捕まらないように。存在を悟られたらおしまいだ。それも面白くはあるけど。責任取るのはぼくじゃないし。
絶え間無く吐き出される二酸化炭素と吸い込まれる酸素その他諸々は酷く不味くて足が鈍る。その都度口の中の小さな小さな飴玉を一舐めしてどうにか速度をある程度のものに保たせる。
ただ走ることは退屈で、暗いせいで景色を楽しむこともできない。夜の仕事はこれだから嫌なのだ。生きるためだからと諭されては、個人の感情を挟もうとはそれ以上思わなくなるのだけど。それでも嫌なものは嫌だ。きらい。きれいな赤を確かめられないんだもの。

今日の「お相手」は女の子だ。大企業だかの一人娘らしい。いいなあ、きっと大切に扱われているんだろうなあ。おとうさんやおかあさんとはどんな話をする子なんだろう。趣味は?好きなものは?好きな人は?恋人はいる?特技は?悩み事は?着けている髪飾りは?
ループし始める思考そのままに、彼女がよくいるという場所へ向かう。屋上。風が強くてさむいけど、確かに人の気配はする。一人。護衛はつけてないらしい、つまらないったらありゃしない。速度をつけて壁を走る。

「こんばんは〜」

髪の長いシルエットはぼくよりも背が高かった。歳上なのかもしれない。ふざけたふりをして掛けた声に返事は来ない。耳が聞こえていないんだろうか。吹く風が白いスカートを揺らしている。ゆっくり影に近付いた。

「……こんばんは。君があたしを死なせてくれるの?」

影が振り返る。少女と言うより女の人に見える。細い声の持ち主は、青白い月光に照らされて、まるで幻影みたいだと思った。

「お姉さん、死ぬのが怖くないの?」
「と言うよりも、死にたいのよね。みんなが死なせてくれないから」

変な感じ。ぼく今、標的と普通に会話してる。後でママに怒られそうだなあ。お姉さんの影が動いた。炎が揺れるみたいに、滑らかに滑るみたいにお姉さんが一歩踏み出した。突っ立ってるぼくにゆっくりゆっくり近付いてくる。

「ねえ?あたしを殺してくれるんでしょう」
「そうだよ。ぼくの仕事だもん」
「ふふ、そうね。ありがとうね」

やっぱりおかしな感じ。殺されるのにお礼を言う人なんて、ぼく初めて見たよ。変なお姉さんだね。特に時間制限も無いし、気配を見てお姉さん以外に誰もいないと分かっていたから、くるくる回りだしたお姉さんをぼんやり眺めた。スカートがふわふわ浮かんで、バックミュージックも無いけどお姉さんは踊っている。ただひたすら。最期のダンスを、たった一人で。

「ねえ、ひとつお願いがあるんだけれど」
「殺さないで以外のお願いだったら、いいよ」
「そんなこと言いやしないわよ」

拗ねたみたいにお姉さんが口を尖らせた。再確認。ぼくはおかしくなっちゃったみたい。心は静かで、ここへ来るまで感じていた高揚感をちっとも感じられなくなっている。こんなの殺し屋失格だ。ポンコツになっちゃった。ごめんねママ、ぼく悪い子だったみたい。

「あのね、君とキスをしてみたいの」
「……キス?」
「そう。お口とお口をくっ付けるのよ。それが済んだら、あたしを殺してくれていいから」
「よく分かんないけど、いいよ?」

ありがとう。そう言ってお姉さんは笑った。逆光でうまく顔を見られなかったけど、たぶん、笑っていた。お姉さんが少し屈む。キス。初めて聞く、なんだか照れ臭い名前。気が付くと、目の前にお姉さんの顔があった。まぶたを閉じて、本当に口同士がくっついている。

「お姉さん、」
「あたしこれ、ファーストキスだったのよ。君は?」
「初めて……だけど」
「そう。キスはね、好きな人としかしちゃいけないのよ。覚えておいて」

すきなひと。ママぐらいしか思い付かない。顔に出てたのか、お姉さんがお母さんとはしちゃだめよと言った。どうしてかな。ママに訊いたら教えてくれるかな。

「さあ、これで未練は無くなったわ。さよなら、小さな殺し屋さん」

お姉さんがまた笑った。両手を広げて体の力を抜いている。静かだった心がちょっとだけ痛んだ。今なら。今のこの人になら、ぼくの名前を教えてもいいかな。

「お姉さん。ぼくね、君じゃなくて、」

言い終わると、持っていたナイフでお姉さんの胸を突き刺した。急所は外しておいたから、お姉さんはまだ生きている。掠れた声がぼくの名前を呼んで、またありがとうと呟いた。やがて流れる血が一定の量を超えたとき、お姉さんは完全に動かなくなった。念の為と脈を確認すると、もう動いていない。もう動き出すことはない。なんとなく、キスの柔らかさを思い出した。どうせこれでさよならだから、ちょっとだけ。すきなひととしかしちゃいけないらしいけど、ぼくはお姉さんが好きだよって、誰に言うでもなく思いながら、冷え出したお姉さんの口に、ぼくの口をくっ付けた。

ねえママ。今日ね、帰ったら聞いてほしいことがあるんだよ。たくさんの初めてを覚えたんだ。胸がぎゅっと締め付けられるわけも、ママなら教えてくれるかな?












こうしてお気に入りの子が増えてゆく……
暗殺業に就く男と女って組み合わせが好きです

2011/1/11



あきゅろす。
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