本日も晴天なり
閑話 もしくは志鶴の矛盾、あるいは、
アナウンスが響く。
午前中最後の競技に出場する生徒の招集だった。
種目は400m走。
亮哉の出場種目である。
「りょー、がんばってね! おれすっごい応援するから!」
「ありがとう。1位取るから見てて」
「うんっ」
「いってらっしゃい」と「いってきます」の代わりに2人がハグをするのは昔からだったけれど、そこに額へのキスが加わったのはいつ頃だったろうかと、体育座りのひざにあごを乗せた志鶴は考えていた。
亮哉から千歳へのキスを初めて目撃したのは新入生歓迎会の日だったが、それが挨拶の一環に組み込まれたのはもう少し後だった気がする。
首を傾げる志鶴の視線の先には、ひとしきり儀式を終えて亮哉を見送る千歳の姿。
後姿を見つめる瞳は、思わず息を呑むほど甘く、熱い。
加えて、先ほど暑さから髪を結んだことにより露出した細く白い項に、汗が一筋伝う。
それは、日ごろ千歳がまとう穏やかでやわらかな雰囲気からは想像がつかないほど艶めいていたので、志鶴は絶対零度のまなざしで辺りを薙ぎ払ってみた。
そうすれば案の定、波が引くようにさーっとそらされる視線、視線、視線。
やらしい目で見るな! と詰ってやりたいところだが、まあ思わずくらっときてしまった気持ちは分かるので止めておく。
とはいえ、千歳がいかに可愛らしく色っぽかろうと、「興味本位」とか「なんとなく」で近寄られるのは迷惑以外の何者でもない、というか絶対に許さない。
ここできっちり牽制しておく必要があった。
「しーちゃんしーちゃん、お隣よろしいですかー」
「もちろん!」
「ふふふー、失礼しまーす」
見送りを終えて戻ってきた千歳に微笑みながら、脇にそれた思考を戻す――千歳いわくの「おでこにちゅー」が2人の挨拶になったのはいつだったか、というテーマに。
少なくとも4月初め、千歳がこの学園に来たときにはまだだった。
千歳は新しい環境に慣れようと一生懸命だったし、亮哉のほうも手の届く範囲に千歳がいるという状況に満足していたように思えた。
それがほんの少し変化したのは……体育祭が近づき、亮哉の生徒会活動が本格的に始まったころだったろうか。
確か中間試験も間近で、さびしさと不安があいまったのだろう千歳はしょんぼりしていることが多く、千歳にこんな顔をさせる定期考査などなくなってしまえと本気で思ったのはここだけの話だ。
「しーちゃんしーちゃん、りょーが走るよぉ!」
「うん、……ちぃちゃん、写真は僕が撮っておいてあげるから、ちぃちゃんは応援してあげな?」
「え、いーの? んじゃぁ、お願いしますー」
「お願いされました」
千歳の視線があまりにグラウンドに釘付けだったので、これは写真を撮り忘れて後から嘆くパターンだと察した志鶴は、受け取ったカメラで早速スタートラインに並ぶ亮哉を2,3枚撮影する。
あくまで自然体で静かに合図を待つその姿は、正直イラッとするぐらい男前で、その余裕が最早憎らしかった。
……念のため述べておくけれど、志鶴は決して亮哉が嫌いなのではない。
むしろ好きである、もちろん幼なじみとして。
ただ、いつでもどこでも何をしていても千歳を夢中にさせるのがほんのちょっぴり気に食わないのだ。
かといって志鶴は亮哉と同じ意味で千歳が好きなわけではないし――大好きなことは変わらないけども――応援する気は満々である。
うまくいって欲しいと思う。
誰にも邪魔はさせたくないと思う。
志鶴は、どこか大人びていて達観したようなところがある幼なじみが、どんなに千歳を、千歳だけを求めているか知っている。
そして、千歳も。
志鶴も侑真も、『幼なじみ』というカテゴリとして千歳にとってかなり特別な位置にいる自覚はある。
しかし、亮哉はさらにずっと特別なのだということは誰の目からも明らかだろう、心の底から欲しているのはきっと。
2人が互いを求めあっている限り、いつか必ずその日は来る。
ただ、もう少し、今のままでいたいだけで。
空砲が鳴る。
一斉に走り出す。
「……かっこいー……」
ぽろりとこぼれた言葉はそれこそ無意識なのだろう。
そこに込められている熱に、その意味に、早く気づいてあげて欲しいとも思うし、もう少し気づかないままでいて欲しいとも思う。
その、矛盾。
「――ほら、ちぃちゃん、応援してあげなきゃ」
「はっ、わわわ、ぼーっとしてたー! りょーがんばれー!!」
この幼くささやかな執着心を、人は『恋』と呼ぶのかも知れなかった。
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