屏風の虎・4



 という訳で、その後俺は女に金を支払い、頬に傷のある男の情報を手に入れた。
 女に支払った金額は決して安くはなかったが、手に入れられた情報がその値に見合うのかどうか、どうにも怪しかった。
 女は赤木と男との会話から聞き出し、あるいは推測した、頬に傷のある男についての情報をすべて俺に伝えてくれたが、名のある組の権力者が血眼になって探しても捕まえることの難しい神域の男を、そんな素性の知れぬ凡人に果たして呼び出すことができるのだろうか?

 甚だ疑問に思ったので、女に聞いた男の住処を訪ねる前に、俺はその男のこともすこし調べてみることにした。
 すると、やはり赤木と関わりのある男と言うべきか、男も只人ではなく、異様な経歴の持ち主だった。

 赤木と違い、伝説的に人口に膾炙しているわけではないようなので、その噂もほんの断片しか拾えなかったが、伊藤開司という名のその男は、命を賭した極限状態のギャンブルで一度は追い詰められども必ず起死回生、論理的思考と並外れた度胸により、ボロボロになりながらも勝利をもぎ取り、あの悪名高い『帝愛』を相手に、今まで生き延びてきたのだという。
 ただし『天才』赤木とは違い、男の闘い方は常にギリギリで泥臭く、その体にはギャンブルの代償としての傷が絶えない。
 男の頬にあるのも、ギャンブルが原因の傷。他にも、左の腕には焼き印が押され、親指を除く左の四指は負けのペナルティとして一度切り落とされている。左の耳は帝愛とのギャンブルで勝ち残るために自ら切り落としたらしい(頬に残る傷もその時のもの)。
 その胆力と土壇場での神懸かり的な粘りは他者を圧倒させ、裏社会にもその名がじわじわと浸透している。

 赤木に勝るとも劣らないエピソードの数々に、俺は期待を持った。
 ひょっとすると、それほどの男なら本当に屏風の虎ーー、赤木しげるを呼び寄せることが可能なのかもしれない。
 男の噂はーーそれが真実なら、だがーー赤木しげるがその才気を認め、ふたりの間に交流があったとしてもおかしくはないように思える。

 俺は女に渡した残りの金を持ち、伊藤開司に会いに行くことに決めた。
 赤木しげるの麻雀を見てみたいという気持ちも当然持ち続けていたが、その時は、伊藤開司というのがいったいどんな博徒なのか、ただ純粋に会ってみたいと思う気持ちの方が強かった。





 スナックで情報を仕入れてから数日後、俺はとあるアパートへと赴いた。
 二階建ての、いかにも安普請のアパートだ。
 ここの二階の一室に、伊藤開司が住んでいるのだという。
『赤木くんみたいな凄みはないけど、なかなか可愛いワンちゃんだったわよ』
 女がそう評した伊藤の容姿の特徴を思い出しながら、少し離れた物陰で待つ。

 狂気じみた勝ちへの執念と、圧倒的閃きで生き残ってきた伊藤開司とは、果たしてどんな男か。
 あれこれと妄想する男の容貌は、なぜだかどれも人間離れした怪物になってしまう。期待に胸が高鳴るのを抑えられなくて、俺は激しく貧乏揺すりしながら男を待ち続けた。


 二時間ほど待っただろうか。
 辺りが夕闇に包まれる頃、ひとりの男が姿を現した。

 きつく吊った目。黒髪の長髪。背格好も、女が話した特徴とぴったり合致している。
 そしてなにより、左の頬にある鋭く裂けたような傷跡。
 俺は確信した。この男が、伊藤開司だ。

 逸る気持ちを抑えつつ、俺は物陰から踏み出す。
「伊藤……開司さん、ですね?」
 背後から声をかけると、アパートの階段に足をかけたまま、男がこちらを振り向いた。
 訝しげな目が俺の姿を捉えた途端、軽く見開かれる。
 マズい、とでも言いたげな、なにやら焦っているような表情の変化を見て、俺は「ああ、」と声を上げた。
「ご安心ください……俺は帝愛の者ではありません。とある組の三下……単なるチンピラです」
 早口で自分の素性を明かす。伝説の博徒に会うのだからと気を張って、黒いスーツにサングラスで決めてきたのが災いした。帝愛は伊藤の宿敵なのだ、警戒心を抱かせては元も子もない。
 まったく、俺のような下っ端がヘタに兄貴の真似事などするもんじゃないと、後悔しながらサングラスを外す。
 伊藤は相変わらず胡乱げな顔で俺を見ていたが、俺が目許を露わにしたことで、すこしだけ警戒心を緩めてくれたようだった。
 俺が伊藤より遥かに年下の若造だということが、わかったからだろう。
「で……? そのチンピラが、俺になんの用……なんです……?」
 俺への態度を決めかねているのか、伊藤はぼそぼそと曖昧な日本語を喋る。
「今日は、貴方に頼みたいことがあって参りました……ここではなんですので、近くの喫茶店でお話しさせて下さいませんか?」
 敬語は苦手だが、できるだけ丁寧に、心を込めて言う。

 伊藤は真意を推し量るように俺の顔をじっと見つめていたが、やがて、重々しく頷いた。




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