屏風の虎・2



 兄貴から任された組長直々の依頼など、下っ端の俺に断れるはずがない。
 俺は渋々、重い腰を上げざるを得なかった。

 とは言え、必死に東奔西走するというわけでもない。
 時間はいくらかかっても構わないと言われているのだから、焦らずにゆっくりやろうと開き直って、半ばやけくそのような気持ちで、赤木しげるの足取りを追い始めたのだった。
 悩んで悩んで悩み尽くすと、ある時点を越えたところでぷつりとなにかが切れてしまい、もうどうにでもなれと急に強気になるのが、良くも悪くも俺の習性なのだった。

 屏風から虎を出して捕えてみせよ、なんて、一休宗純じゃあるまいし、ーーいや、一休さんだって決して虎を屏風の外へ追い出せたわけではないがーー、とにかく、俺のような凡人にできるわけがないのだ……と、諦め半分で赤木しげるについて調べていた。
 が、そんな調子じゃ当然、赤木の足取りなど掴めようはずもない。
 代わりに、赤木に纏わる数々の伝説や噂話を耳にすることになった。

 ある嵐の夜、十三歳の赤木しげるは、チキンランで断崖から海へ飛び込み、生還。その帰路で、暴風雨から逃れるため偶然立ち寄った雀荘で、偶然出会った男の代打ちとして打ち、麻雀初心者にして神懸かり的な強さでヤクザの代打ちを再起不能になるまで追い詰めた。
 その後、赤木の名を裏社会に轟かせたのは、盲目のプロ、市川との闘牌。最初は押され気味だった赤木だが、激しい死闘の末巻き返し、ここでも勝ちをもぎ取る。

 これで赤木しげるは裏の麻雀界において一躍有名になったが、この夜以降、暫く行方を眩ましてしまう。
 赤木が再びその姿を現したのは、その六年後。玩具工場で働いていた赤木を、ある組が見出し、代打ちとして雇う。
 同時期に現れた、赤木の偽者を打ち倒した男と打つ。無論、その麻雀でも、厳しい状況を覆して勝利。

 その後も喧嘩や博打において、様々な局面で伝説的な勝利を収めてきたが、その存在を神格化させたのは、なんといっても、『怪物』鷲巣巌との対決。
 透明な特殊牌を使用し、打つ者の血液を賭けるという常軌を逸した『鷲巣麻雀』での、互いに一歩も譲らぬ激闘の一夜は、神話のように語り継がれ、今では余程の潜りでない限り、誰もが一度はその伝説を耳にすると言われるくらい、『赤木しげる』の名を遍く裏社会に知らしめることになった。

 そういった噂の数々を耳にするうち、俺の気持ちに変化が生じた。
 赤木しげるという男に、俄然興味が湧いたのだ。
 こういった噂話というものは、人から人へと語り継がれる内に、尾鰭背鰭がついて話が大きくなっていくものだが、仮にそうだとしても、こんなにも荒唐無稽なレベルにまで噂を膨らませるということ事態が、本人の非凡さを裏付けているようなものだと思うのだ。

 いったい、どんな男なのだろう?
 赤木に会ってみたい。そして叶うならば、数々の伝説を作り上げたその闘牌を、実際にこの目で見てみたいと思うようになった。
 うちの組長が部下を使ってまで赤木を捕まえたいと思う気持ちが、ここへきて俺にはようやく理解できた。

 しかし同時に、危険な噂も耳に入ってきた。
 なにぶん、それだけの大物なのだ。赤木に打たせようとする者は、その狂気じみた生き様に引き摺られ、誰でも必ず一度は自らの破滅を覚悟せざるを得ないのだという。
 屏風に描かれた虎を自分の側に引き摺りだしたのだから、その虎に噛み殺される危険性があるのは当然のこと。
 つまりは、そういうことなのだろう。

 さらに又聞きだが、実際に赤木を代打ちとして雇った組の、若頭の話を聞くことができた。
「あの頃、うちの組は傘下の組とちょっとしたゴタゴタがあってな。どうしても負けられない勝負の日取りが決まったってその時に、兄貴が連れてきたのが赤木しげるだったのさ」
 そう話すのは、件の若頭が盃を下ろし、今では若頭補佐の地位についている男。
「奴の麻雀には心底震えたと、兄貴は今でも昨日のことみたいに語ってるよ。古今東西、いろんな輩が打つのを見てきたけれど、あんな打ち方する奴は他にいねえって」
 男はその様子を想像するように、目許の皺を深める。
「赤木は当然、勝負に勝った。組長は大喜びで、兄貴は伝説の男を代打ちとして据えた功績を認められ、大いに出世することになったわけだが……、この話を締めくくるときは、必ず『あんなことは二度とごめんだ』と首を横に振る。奴を見つけ出してその気にさせるまでが、あまりにも至難だったんだと。兄貴も詳しくは語らねえが、なかなかどうして、キツい目に遭わされたらしいな」
 だからお前も覚悟しとけよ、赤木しげるに関わるのなら。
 淡々とそう忠告されて、俺はしんと黙りこんでしまう。
 海千山千の若頭でさえ、そんな風に嘆かせるとは。
 いったいどんな壮絶な目に遭わされたのだと、想像するだに震えが止まらない。

 が、その話を聞いても俺は、赤木を諦めようとは微塵も思わなかった。
 どうしたことだろう。赤木を知る以前の俺ならきっと、怖じ気づいて追うのをやめていたはず。
 怯えがないわけではない。だが、それでも俺は、この臆病な心が赤木へ向かうのを止められなかった。

 おそらく俺は、取り憑かれてしまったのだ。赤木しげるという男の、危険な魅力に。

 俺は惰性で動くのをやめ、積極的に情報収集を始めた。




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