レイトショー・2



 さすがに出来て間もないだけあって、フロントの中は床も壁も、なにもかもが新しくて清潔だ。
 フロントにいる客の姿は、カイジ達を含めても、十人もいないように見えた。

 入ってすぐ、目の前に自動発券機がある。
 券を買うのはカイジに任せ、アカギは画面を傍から覗き込んでいた。
「この映画、ずっと気になってたんだよな……派手なカーチェイスとアクションが見物なんだってさ」
 そう言ってカイジが選んだのは、横文字のタイトルのアメリカ映画だった。
 旬は既に過ぎている上、レイトショーなのでいちばん狭いスクリーンでの上映だ。
「席は? 真ん中あたりでいいか?」
 カイジが訊くと、アカギは、
「後ろの方がいい」
 と答える。
「え? ……お前、遠視?」
 意外そうにそう尋ねてくるカイジに、アカギは首を横に振り、
「だって……その方がいろいろできるから」
 カイジに顔を近づけて、小声で言った。
「はぁ? ……お前、ばっかじゃねえの」
 うんざりしたようにため息をつき、カイジはさっさと真ん中あたりの席を二枚買ってしまう。
「お前はなにしに来たんだっての……ちゃんと映画観ろよ、映画」
 発行された券を渡しながら釘を刺され、わかったよ、という風にアカギはかるく肩を竦めた。


 カイジ達の観る映画の入場は既に開始しているが、上映まではまだ時間がある。
「ちょっと、トイレ……お前は?」
 カイジが尋ねると、アカギは首を横に振り、「待ってるよ」と言ってフロアのソファに腰掛けた。

 カイジはまっすぐトイレに向かおうとしたが、フードコートの前を通り過ぎるとき、わずかに歩調を鈍らせる。
 カウンターの上の液晶ディスプレイに映し出されている、大きなポップコーンの画像に視線を奪われつつも、いやいや、今は無駄金使う余裕なんてねぇ……! と自らを強く戒め、足早にトイレへと向かった。


 カイジが用を足して戻ってくると、その姿をみとめたアカギが立ちあがる。
 その手に黒いトレイが乗っているのを見て、カイジは目を瞬いた。
「お前、これ、食うの?」
 トレイに嵌まっている筒型の容器に、山盛りになっているポップコーンを凝視しながら問うと、
「いや……あんたが、食べたそうにしてたから」
 アカギがしゃらっとそう答えたので、カイジは「へ?」と間抜けな声を漏らした。
「あんたが、食いたそうだったから……買っておいた」
 もう一度、同じトーンで同じことを言われ、ようやく理解の及んだカイジは、
「ああ……サンキュー……」
 ぼそぼそとそう呟いて、トレイを受け取る。
 ポップコーンに気を取られていたのをバッチリ見抜かれていたのが、恥ずかしかった。そしてそれ以上に、アカギが自分のためにポップコーンを買ってくれたことが、嬉しかった。
 ふたつの感情のせいで頬が熱くなっていくのを感じたカイジは、俯きながらぶっきらぼうに言う。
「なんだお前、なんか……優しすぎて、ちょっと気味悪いぞ……」
「ひでえな」
 くつくつと喉を鳴らして笑うアカギの顔をなんとなく見られないまま、「行こうぜ」と早口で言って、カイジは入り口へと足を向けた。


 入り口で半券を切られ、スクリーンに入る。
 コメディ映画の予告編が流れている。ざっと中を見渡せば、客はぜんぶで五人にも満たないようだった。
 席に着き、シートに深く凭れる。
「お前も食えよ」
 カイジはアカギにポップコーンを勧めてみる。
 アカギは「いい」と答えたが、カイジはトレイをアカギの側のドリンクホルダーに嵌めた。

 それきりふたりとも黙り、見るともなしにぼんやりと宣伝を眺めていると、五分もしないうちに照明が落ち、本編が始まった。
 映画が始まる前特有の、緊張感を孕んだ静寂に、黙々とポップコーンに伸ばされていたカイジの手がぴたりと止まる。


 映画は初っ端から、敵のアジトを潜入捜査する主人公の緊迫したシーンから始まった。
 主人公が危うく敵に見つかりそうになったところで、ふと、アカギは隣のカイジを見てみる。

 正面からの白い光に照らされ、陰影の深くなった横顔は、早くも映画にのめり込んでいるようだった。
 つまんだポップコーンを口に運ぶのも忘れ、軽く口を開けたまま、主人公の動向をハラハラしながら見守っている。
 時々、軽く目を見開いたかと思えば恐々と薄目で画面を見たり、ほっとしたように息をついたりする様子を見ていると、その表情だけで画面の中で起こっていることが大体想像できてしまう。

 アカギにとっては、映画なんかよりカイジの顔を見ている方がよっぽど面白いのだった。
 しかし、このまま見続けているとどうしてもちょっかいをかけてしまいそうで、そうするとカイジが激怒するのは目に見えているので、アカギはスクリーンに向き直る。

 が、カイジとは違い、もともとこの映画にそう思い入れなどないアカギは、いい具合に薄暗いのにも手助けされ、早々に瞼が重くなってきた。
 そういえばここ最近、あまり寝てない気がする。
 せっかく誘ってくれたカイジに悪いと思いつつも、アカギは欲求に逆らわず、カイジとは逆側に頬杖をついて静かに目を閉じた。
 





 序盤の、手に汗握る大きなカーチェイスが終わり、主人公の乗り捨てた車が爆破されるシーンで、突然の大音量で響いた爆発音に、カイジはびくっと大きく肩を揺らしてしまった。
 心臓をバクバクいわせつつも、自分の反応を恥ずかしく思い、ちらりと隣の席を窺うと、なんとアカギは瞼を下ろしてすっかり寝こけていた。
(早っ!!)
 驚き半分、呆れ半分でカイジはその寝顔を食い入るように見つめる。

 あんな爆音が響いたというのに、アカギは一向に起きる気配もない。
 シートに深く沈み込んで寝入る穏やかな横顔を眺めつつ、カイジは頬を掻いた。

 疲れてんのか。
 映画なんかに誘っちまって悪かったかな、とすこしの罪悪感に胸を痛めつつ、せめてそっとしておいてやろうとカイジはふたたびスクリーンに向き直り、映画に集中し始めた。





[*前へ][次へ#]
[戻る]