そのままで・3
「……さん、カイジさん、起きて」
肩を揺すられて、ハッと目を覚ます。
薄暗い部屋。見慣れた天井を背負い、しげるがオレの顔を覗き込んでいた。
遅れて耳に飛び込んできた秒針の音を聞きながら、呆然とその双眸を見返していると、
「あんた、魘されてたぜ」
淡々とそう言われ、今まで見ていた夢の内容が、一瞬で脳裏にフラッシュバックした。
腹の底からなにかがこみ上げてきて、オレは激しく咳き込んだ。
いやに生々しかったあの夢と、現状との差異に脳の処理能力が追いつかず、体が拒否反応を起こしているみたいだ。
気がつけば全身がしっとりと汗に濡れていて、呼吸も速くなっている。
「あらら……大丈夫?」
不思議そうなしげるの声に、ようやくすこし落ち着きを取り戻す。
二度、大きく深呼吸してから、間近にあるしげるの顔を、食い入るように見つめた。
そこにいるのは、まごうことなく十三歳のしげる。
そういえば、嗅ぎ慣れぬタバコの匂いも、きれいさっぱり消えている。
ーー夢……
そう呟いたつもりだったが、声は出ず、空気の抜けるような音がしただけだった。
「……カイジさん?」
しげるはじっとオレを見つめ、緩く首を傾げる。
夢の中の男と、まったく同じ、その仕草。
オレは衝動的に体を起こすと、目の前のまだ華奢な体に、ガバリと抱きついた。
オレの突飛な行動に、しげるはちょっとびっくりしたみたいに身を硬くしたけれど、文句も言わずにされるがままになっていた。
腕の中にすっぽりと収まるような、未発達な体。
数時間前とすこしも変わらないそれに、オレは深く、安堵の息をついた。
「……お前、まだしばらくは、そのままでいろよな……」
悲しいくらい震える声で囁くと、しげるはちょっと怪訝そうな顔をする。
だが、縋るように必死なオレの様子に、クスクスと笑いを漏らし、オレの頭をぽんぽんと撫でた。
「……どうしたの。なんだか子供みたいだぜ、カイジさん」
揶揄われていることは明白だったが、今はそんなこと、どうだって良い。
あれが夢だったことに、オレは心底安心していたのだ。
夢の中の、未来のしげるの姿。
その凄絶さを思い出して、オレはゾクリと震える。
あれを単なる夢だと言い切れないのは、この少年が赤木しげるだからだ。
神か悪魔か、なにが気まぐれ起こしたのかは知らないが、あの夢は、数年後のしげるとオレを、確かに引き会わせたのだろう。
しげるを抱きしめながら、オレは思う。
今からあんな風に惑わされるなんて、ごめんだ。
あいつに会うのは、まだ当分、先でいい。
今、目の前にいる少年の、幼さの残る顔を、確かめるように見る。
数時間前と変わらず、その顔は可愛く見える。
でも『あわよくば抱いてみたい』なんて余裕は、夢のせいで、完全に雲散霧消しちまった。
きっと、あと数年のうちに、しげるはあの悪魔じみた艶をもつ、大人の男に成長してしまうのだ。
それまでになんとか、耐性を養わなければならない。
今のオレのままだと、あいつ相手じゃとても心臓がもたないだろう。
青天の霹靂とは、まさにこのこと。
ひとり、じりじりと追い詰められたような気持ちになっているオレを、しげるは好奇心いっぱいの子供のようなまなざしで、面白そうに観察している。
オレの心境の変化など露も知らず、無邪気さすら感じさせる目で見つめてくるしげるに、オレは深く深くため息をついた。
これからぐんぐん成長し、夢の中の姿に近づいていくであろう少年。
一緒に過ごす時間の中で、いやというほど振り回されることになるのは明白で、オレは早くも辟易する。
愉しそうにオレをじっと見つめる、しげるの顔。
昨日まではガキだなんだと散々からかってきたけれど、どうやらもう、それもできなさそうだ。
頼むから、できるだけゆっくり大人になってくれよ、なんて念じながら、オレは情けないほど強く、しげるの体に縋りついたのだった。
終
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