十三歳 自転車の二人乗りしてます
しげるが、
「後ろに乗せて」
と言うと、カイジは決まって、嫌そうな顔をする。
それでも、黙って退かない姿勢を見せると、諦めたようにため息をつきながら自転車のスタンドを蹴るのだ。
その様子が面白いので、しげるは飽くことなく何度でも、たとえ目的地がカイジとは真逆の方向であっても、二人乗りをせがむ。
バイト先まで、片道たった十分ほどの距離。
とはいえ、取締りの厳しくなっている昨今、二人乗りは立派な不法行為だ。
「警察に見つかったらどうすんだよ……」
サドルにまたがり、ぶつぶつと文句を言うカイジの肩に手を置いて、しげるは、
「その時は、その時でしょ」
口笛でも吹くように答えた。
ちっとも悪びれないしげるにうんざりしつつ、カイジはキャップを目深に被り直す。
「今度、チャイルドシートつけとかねえと」
憎たらしげにぼそりと、カイジがそんなことを言ったので、しげるは腕を回し、遠慮会釈なくカイジの首を絞め上げた。
「ぐ……ぐるじ……、悪かっ……、放……しげ……」
潰れた声で謝りながら、首に絡む腕を外そうとするカイジの必死さに、しげるはようやく腕を緩めた。
げほげほと盛大に噎せ返るカイジの震える大きな背中に、しげるはくっつくようにして立っていた。
どくんどくんと、カイジの体が脈打っている。
カイジの心拍はいつだって、激しく、速い。
一般的には、大人になればなるほど心拍は落ち着いてくるらしいが、カイジのそれはしげるのそれと比べても、ずいぶん速く、大きかった。
ときどき、自分の左胸にある器官と本当に同じものがこの体に埋まっているのかと疑わしくなるほどだ。
うっすらと汗ばむ太い首に絡まったままだった腕をはずし、カイジの胴に回す。
後ろから抱くようにして背中に密着すると、鼓動はしげるの体にも震えを伝えた。
しげるはときどき、こうしてカイジにくっついて心音を聞いてみる。
「生きている」という感触のようなものが、最近のしげるには乏しくなってきていた。
世の中は退屈で、興味のないことに満ちていた。水で割ったように薄く、手応えのない「生」を、死んだように生きているみたいに感じていた。
昔から「生」の実感には乏しかったけど、近頃はますますそれが希薄になっていた。
全身が心臓のように拍動するカイジに近づけば、「生きてる」ってことがなんなのか、わかるような気がした。
カイジがいつだって執着し、しがみつこうとする、生々しいその「生」に触れられる気がした。
カイジの鼓動を体中で聞きながら、しげるはそっと目を閉じる。
カイジは体温が高く、近くにいるととても暑い。
「離れろよ、暑苦しい」
ようやく息を整えたカイジが、鬱陶しそうにぼやいた。
「もう出るぞ。遅刻しちまう」
「うん」
そう返事をしたが、しげるはそのまま動こうとしなかった。
蜩が、どこか遠くでずっと鳴いている。
「……しげる?」
訝しげな声を聞き、しげるはゆっくりと目を開く。
するりと腕を解き、体を離すと、カイジが心配そうな顔で振り返った。
「どうした? どっか具合悪いのか?」
キャップの庇を上げ、いつもは見下ろされている大きな目が見上げてくる。
しげるは首を横に振った。
「なんでもない……」
「そうか? 良かった」
カイジはそう言って、ほっとしたように頬を緩めた。
その笑顔を見た瞬間、自分の心臓が今まで感じたこともないくらい、強く大きな音をたてて鳴ったので、しげるは驚いた。
鳴ったのが自分のではなく、カイジの鼓動なのではと疑うほど、激しい音だった。
あるいは、カイジの心音が、自分に移ってしまったかのようだった。
「行くぞ。ちゃんと掴まってろよ」
そう声をかけて前を向こうとしたカイジの帽子を、しげるは条件反射のように、素早く奪い取った。
「あ……? お前、なにしてんだよ……?」
間抜けな声を上げてまた振り返ったカイジは、しげるを見上げて眉を寄せる。
しげるも内心、自分の行動に驚いていた。
カイジを振り返らせたくて、無意識のうちに取った行動がこれだった。
黒い瞳に自分が映る。激しく脈打った鼓動の余韻を追いながらそれを見つめ、しげるはカイジにニヤリと笑ってみせた。
「べつに、なんとなく」
そう答えて、奪い取ったキャップを自分の頭に乗せると、カイジは目を見開いた。
「お前って……」
呟きざま、妙な風に顔を歪ませたあと、カイジは声を上げて笑い出した。
「キャップ、ぜんっぜん似合わねぇのな!」
腹を抱えて可笑しそうに笑う笑顔に、また、どくんと心臓が鳴った。
ーーやっぱり、この人といると、いつか「生きてる」って実感できるのかもしれない。
「あんたに言われたくないよ」と減らず口を返し、カイジの肩をしっかりと掴み直しながら、しげるはそう思った。
自転車はふらつきながら走り出し、夏の終わりの街を行く。
体の真ん中で灯火のように燃え、新しい音を刻み始める心臓。
十三歳。
自分の感情についてはまだまだ未熟なしげるは、その熱さと鼓動の意味など知らぬまま、頬に風を受け、流れる風景を眺めていた。
終
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