プレゼント・4



 体の大きくなったしげるはカイジの服を拝借し、逆に縮んでしまったカイジも、しげるが替えの服などほとんど持ち歩いていなかったため、仕方なくサイズの大きな自分の服を着て、家を出た。


 足早に街を歩きながら、しげるは隣のカイジを見遣る。
 急に重心が高くなったせいで、しげるは絶えず体がふらつくような感覚に辟易していたが、それはカイジも同じなようで、慣れない重心の低さにまごついては、ふらふらと車道にまろび出そうになったり、なにもないはずの場所で蹴躓いて転びかけたりする。
 そんな危なっかしいカイジを、しげるは最初車道側に立ってフォローしてやっていたが、あまりにも頻繁にヒヤリとさせられ、常にカイジの動向に目を光らせていなければならないような状態だったため、ついには面倒くさくなって、カイジの手をぐいと掴んだ。
「? なんだよ……?」
 怪訝そうな顔を無視して、握った手を強引に引いて歩き出す。
 自分で歩けるって、とカイジはしばらく喚いていたが、しげるが聞く耳を持たないとわかると黙り、足を縺れさせながらも黙って手を引かれるがままついてきた。
 カイジの手はしげるの手よりずっとずっとちいさいのに、とてもあたたかかった。






 バイト先のコンビニが近づいてくると、あんなに急いでいたくせに、カイジはわかりやすく足を鈍らせた。
 仕方なく、しげるは立ち止まって訊いてやる。
「どうしたの。遅刻しちまうぜ」
「だっ……だってよぉ……」
 カイジはうつむき、しげると繋がれたままの手を所在なさげにぷらぷらさせながら、ときどき目だけでチラリとコンビニの方を窺う。

 今になって、怖じ気づいたとでもいうのだろう。
 それはそうだ。こんな荒唐無稽な話、対面で直接話したって信じてもらえるかどうか怪しい。そんなのは、深く考えずとも、わかることである。

 ぐずぐずと煮え切らない態度を見せるカイジに焦れ、「やっぱり帰ろう」としげるが踵を返そうとした、その時。

「カイジさ〜んっ! お疲れ〜っす!!」
 馬鹿みたいに明るい声とともにぽんと肩を叩かれて、カイジは大袈裟ではなく飛び上がった。
 目を白黒させながら、カイジは声の主を振り返る。
「さ、さは、さはら、」
 しげるがカイジの目線を追うと、そこに立っていたのはいかにもチャラそうな、金髪の若い男だった。
「そーです佐原です。どうしたんすか、そんなにビビっちゃって」
 そう言って、佐原という男はニッコリと笑ってみせる。
 人好きのする笑みだが、どこか薄っぺらい。腹に一物抱えていそうな男だと、しげるは佐原を分析した。

 知っている相手が現れてほっとしたのか、カイジははーっと深くため息をついたあと、表情を引き締めて佐原に向き直る。
「佐原、よく聞いてくれ。オレは今日、バイトを休もうと思う」
 やけに真剣な様子でそんなことを言うカイジに唖然としたあと、佐原は猛烈な勢いでブーイングし始める。
「えー!!! どうしてっすかぁ〜〜!! クリぼっち同士、仲良くバイト頑張りましょって言ってたじゃないっすか! まさか……コレっすか!? 許しませんよ〜っ、裏切り者には死を!!」
『コレ』のところで握った拳の小指をぴんと立て、恨めしげに迫ってくる佐原を、「違う! 違う!」とカイジは慌てて遮る。
「そうじゃなくって……! お前、オレのこの姿見てなんもおかしいと思わねぇのかよっ……!?」
 裾の余る袖をぐいと突き出して訴えるカイジを、佐原は眉間に皺を寄せてじっと見つめていたが、やがて、かくんと首を傾げた。
「いや……おかしいって、なにがっすか? カイジさんの服のセンスがイマイチなのは、今に始まったことじゃねえし……」
 カイジは目を見開き、しげるを見る。
 しげるも意外そうな顔で、瞬きを繰り返していた。

 ぽりぽりと頬を掻く佐原には、空とぼけているような様子は見受けられない。
 いったい、なにがどうなっているのだろう?

 完全に固まってしまったカイジに、佐原は不審げな顔をする。
 ずっと繋がれたままのふたりの手と、しげるの顔を交互にジロジロと眺めたあと、佐原はカイジに向かって胡乱げに切り出した。
「……で? そのガ……、お子様は、いったい誰なんです? 弟さんっすか?」
 しげるとカイジは、思わず顔を見合わせた。








 どうやら、互いの姿が変わって見えるのは、カイジとしげる、ふたりの間だけでのことらしい。
 つまり、周りの人間には、ちゃんとカイジが大人で、しげるが子供に見えているのだ。

 佐原との会話がきっかけでそれに気がついたカイジは、こわごわとバイト先に顔を出したが、不機嫌そうな店長も、カイジの姿を見てもいつも通りの、横柄な態度を崩さなかった。


……と、いうわけで、カイジは無事、バイトに出ることができたわけだが、カイジの立ち働く様子を店内で見守るしげるの目には、その姿は当然、子供にしか見えない。

 ダボダボの制服を引き摺りながら歩き、棚の上のものを取るときは爪先立ち。
「いらっしゃいませー……」とやる気なさげに言う声は、完全に高く澄んだ少年のそれのように、しげるの耳には響くのだ。

 しかし、他の客たちのあまりにも動じない態度を見るに、異常なのはやはり自分の方なのだと認めざるをえない。
 しげるは頭を軽く振って、店から出ようとした。
 ここにいると、頭がおかしくなりそうだった。

 ドアチャイムを鳴らして店の外に出ようとすると、後ろから服の裾をぐんと引っ張られた。
 振り返ると、子供姿のカイジが、必死の形相でしげるをじっと見つめている。
「どっ……どこいくんだよっ……?」
「どこって……気晴らしに、その辺うろうろしようと思っただけだけど」
 そう答えた瞬間、カイジの顔がくしゃりと歪んだので、しげるは目を見開く。
 えぐえぐと半ベソをかきながら、カイジはしげるに縋りつくように訴えた。
「頼むからっ……ここにいてくれよっ……! オレが変なの、知ってるのお前だけなんだからっ……! お前がいねえと、オレ、心細くてっ……、」
 そこで言葉を切り、ぎゅうっと眉根を寄せて今にも溢れ出しそうな涙を堪えるカイジに、しげるは言葉を失う。

 どうやら変わったのは見た目だけではなく、中身まで子供返りしてしまっているらしい。
……が、これはいささか、幼児退行しすぎではないだろうか?
 これではまるで幼稚園児じゃないかと、目の縁を真っ赤にしてひたすら自分を見つめ続けるカイジに、しげるは目線を斜め上に投げた。
「……わかったよ。オレはどこにもいかねぇ。あんたのバイト中ずっと、ここにいてやるから」
 ご機嫌を取るような自分の口調に鳥肌をたてつつしげるが言ってやると、カイジは心の底から安堵したように、あどけない笑みを顔いっぱいに広げた。
「約束っ……約束だかんなっ……!」
 勢い込んで念押しするカイジに、このままでは『指切りしろ』などと言われかねないと、しげるはその背中を押し込むようにして、一緒に店の中へと戻った。



 それから、働いている間中、カイジはしげるの方をひっきりなしにチラチラと窺っていた。
 しげるはカイジと目が合うたび、『ここにいるから』と頷いてやる。
 すると、カイジはふにゃりと頬を緩ませたあと、こくりと力強く頷き返して、また仕事に戻るのだ。

 そういうことを、ふたりはなんどもなんども、なんども繰り返した。
 さすがのしげるも、いい加減タジタジにさせられていたが、カイジの方は一向に飽きる気配もない。
 子供ってのは、なぜこれと決めたら延々とそればっかりを繰り返したがるのかと、読みたくもない雑誌を捲りつつ、しげるはため息をつく。

 しげるにとって、さしてすることもないコンビニにずっと居続けるというのは、中々の苦行に思えたが、蓋を開けてみるとそんな調子でカイジとずっとアイコンタクトをとっていたため、思ったよりも時間は早く過ぎていった。

 クリスマスということもあり、客足は途絶える様子もない。
 有線で延々と垂れ流されるクリスマスソングが響く店内で、カイジはくるくると忙しそうに動き回っていた。







 数時間後。
「休憩入りまーす……」
 カイジの高い声が聞こえたので、しげるは雑誌から顔を上げる。
 レジの方を窺うと、スタッフルームへと引っ込もうとするカイジを佐原が引き止め、コソコソとなにやら耳打ちしていた。
 ものの数秒で佐原はカイジから離れ、レジに並ぶ客に「いらっしゃいませー!」と愛想を振りまく。
 一方のカイジは、いったいなにを言われたのやら、みるみるうちに表情を曇らせると、逃げるようにしてスタッフルームへと消えた。
 カイジの様子が気にならないではなかったが、さすがにスタッフルームに入っていくわけにはいかないし、かといって自分が佐原に問い質すのも妙な気がして、しげるは結局、その場から動けないでいた。
 すると、しばらくして、私服に着替えたカイジが店の奥から顔を出し、しげるに近づいてきた。

 熟したトマトのように真っ赤に染まったその顔を見て、しげるはすぐにピンときた。
 これは、今にも泣き出しそうなのをギリギリ堪えている顔だ。
 反射的に、しげるはぶるぶると震えるカイジの手を取る。
 こんなところで泣き喚かれてはたまらない。



 店の外へ連れ出して、訳を聞こうとしげるが口を開くより先に、カイジの涙腺が決壊した。
「うっ……うううっ……うぇ、えっ……ひぐっ……」
 しげるの手を力いっぱい握りしめたまま、ボロボロと涙を零してカイジは泣く。
 アスファルトにぽつりぽつりと、いくつもの丸い模様を描きながら、カイジは太い眉を寄せ、唇を戦慄かせていた。
 泣く子供の相手なんてしたことのないしげるは、当然、困り果てて天を仰ぐ。
 ひっくひっくとしゃくり上げるカイジを、まるで珍獣を見るかのような目つきで眺めたあと、高い背をぎこちなく屈め、カイジと目線の高さを合わせた。
「どうした。なにがあったんだ、カイジさん」
 できるだけ、やわらかい声音で話し掛けてやったが、カイジは泣きじゃくるばかりで答えようとしない。
 ひどい頭痛を感じながらも、しげるは考えた。
 どうやったら、この人を泣き止ませることができるのか。
 一頻り考えた挙げ句、しげるはある行動に出た。

 カイジの手と繋いでいない方の左手を、そうっと、腫れ物に触るような所作でカイジの頭の上に置く。
 そのまま、黒くてちいさな頭をぽんぽんと撫でてやると、カイジの泣き声がすこしだけ小さくなった。

 やはり、これが正解だったかとしげるは思う。
 これは普段、カイジがしげるにする、癖のようなものだった。
 子供扱いされるのが不満なしげるは、すぐにその手を避けてしまうが、どうやら今のカイジには効果覿面らしい。

 カイジが落ち着くのを辛抱強く待ってから、しげるは改めて問いかけた。
「なぁ……カイジさん。いい加減、なにがあったか教えてくれ」
 すると、カイジは嗚咽混じりに話し始める。
「さっ……さはら、がっ、」
 佐原。さっきの金髪の店員か。
「オレ……、しっ、しげるのこと、見過ぎ……、だって、からかって……きて……っ……!」
 喋っているうちに悲しさがぶり返してきたのか、カイジの目にぶわりと涙が膨らむ。
 その一方で、あまりのくだらなさに、しげるの体からはふにゃふにゃと力が抜けていった。
「そんなことでいちいちメソメソするな、ガキじゃあるまいし」などと言いかけて、そういえばこの人は今ガキなんだったと思い直す。

 兎も角も、せっかく泣き止んだのにこれでは元の木阿弥だと、しげるは舌打ちしたい気持ちになる。
 わかった、もう好きにしろと放り出したくなるのをなんとか堪え、しげるは再度、カイジの頭を撫でながら言ってやる。
「わかったからもう泣くな、カイジさん。そんな奴の言うことなんて、放っておけばいい。あんた今、心細いんだろ? オレはちゃんとここにいるから、安心して働いてろ」
「し…げるっ……、」
 ぐず、と鼻を啜りあげて、カイジは顔を上げる。
 涙と鼻水でびしょびしょに濡れた泣き顔を見ながら、しげるは思いついたように付け足した。
「残りの時間、バイト頑張れたら、上がったあとに旨いもの食わせてやるよ……」
 すると、あれほど大量に溢れ出ていたカイジの涙が、嘘みたいにぴたりと止まった。
「……ほ、本当に……?」
 黒く濡れた二つの目に痛いほど見上げられ、しげるがこくりと頷いてみせると、カイジはきゅっと唇を引き結び、長い袖でゴシゴシと顔を擦った。
「絶対だぞ……? 約束だかんなっ……!」
 泣き腫らした顔で念を押すカイジにほっとしたのもつかの間、細い小指をまっすぐ立ててずいっと差し出され、しげるは硬直した。

「指切り」
「……」

 仕方なく小指を絡めてやれば、カイジは嬉しそうにニッと笑い、元気な声で歌い始める。
 ゆーびきーりげーんまん、というかけ声を聞きながら、しげるはどっと背中にのしかかってくる疲労感に押し潰されそうになっていた。

 おかしい。
 八年の壁を飛び越えれば、さぞかし愉しい思いができるだろうと想像していたのに、蓋を開けてみれば、つきっきりで慣れない子守りをさせられているような状態。
 完全に、カイジに振り回されっ放しでなのである。

 せっかく願望が叶えられたというのに、これでは疲れが蓄積するばかりだと、逆恨みのように目の前の子供を睨むが、そんなしげるの視線などまったく眼中にないみたいに「ゆーびきった!」と歌い終えると、カイジは勢いよく駆け出していった。
「昼飯買おうぜーーっ! しげるも来いよーーっ!」
 さっきまでのしょぼくれた様子はどこへやら、店の前でぶんぶん手を振って呼びかけてくるカイジに、しげるは今日何度目かわからないため息を深くつくと、店に向かって歩き出した。


 


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