永遠 ゲロ甘
バイトを終えたカイジが店から出てくるのを見て、アカギは吸いかけの煙草を揉み消しながら声をかけた。
「お疲れ様。元日からバイトなんて、大変だね」
「あー……お前、来てたのかよ……」
ずっと店の外にいたアカギに、カイジは今初めて気がついたらしい。
店内との温度差にぶるりと体を震わせてから、濃く太い眉を寄せた。
「つうかお前、待つなら中にしろとあれほど……」
『お前は目立つから店の外で待つな』という、カイジの再三のいいつけに、アカギはまたも、あっさりと背いたのだ。
「いいじゃない……人、そんなに多くないし」
アカギはカイジをかるくいなす。
新しい年が明けてから、約二時間。
まだ初日の出までかなり時間があるし、アカギの言うとおり、コンビニを利用する客はそう多くない。
「そりゃあ、そうだけど……」
と、アカギの言い分を一応認めつつも、カイジはしばらく不満顔を崩さなかったが、やがてため息をつき、仕切り直すように言った。
「ま、いいや……それよりさ、これからちょっと寄り道してくから。お前も付き合えよ」
スタスタと歩き始めたカイジに並んで歩きながら、
「寄り道?」
オウム返しにアカギが問うと、カイジは寒さに赤くなった鼻をすん、と鳴らし、
「初詣」
と答えた。
十分ほど歩くと、照明に照らされて闇の中に聳え立つ赤い鳥居が見えてきた。
ちいさな神社だが、さすがに元旦の深夜なのでちらほらと参拝客の姿がある。社務所に人も居るようだ。
この神社には、去年の梅雨の頃に一度、ふたりで来たことがあった。
拝殿へ続く階段の両脇には、この神社の神さまであるらしい狐の像が、相変わらず鋭い目で見つめている。
白い体と赤い前掛けは、昼の光のもとで見たときよりも、いっそう冴え冴えと目立っていた。
アカギは敢えて、像の方を見ないようにしていた。
この狐に自分が似ていると、カイジにからかわれたことがあるからだ。
その時のことを思い出したアカギの顔つきが俄に苦虫を噛み潰したようなものに変化していくのに、まったく気がつかぬ様子でカイジはさっさと階段をのぼる。
それから、賽銭箱の前でくるりと振り返り、階段の下でぼさっと突っ立っているアカギを見て首を傾げた。
「お前、お参りしねえの?」
『お参り』という言葉がカイジの口から出たことに、アカギは妙な可笑しみを感じる。怠惰なくせに、こういうイベントを大切にする一面が、カイジにはあるのだった。
アカギが首を横に振ると、カイジはややがっかりしたような顔をしたが、「そっか」とだけ呟いて、うすい財布の中から賽銭を投げた。
鈴をガラガラと鳴らし、作法に則って淡々と参拝を済ませたカイジは、階段をおりてアカギの隣に立つ。
「用は済んだ?」
「ああ……お前もすればよかったのに。せっかくなんだし」
カイジの言葉に再度、首を振り、アカギは訊いてみた。
「やっぱり、ギャンブルのこと願掛けしたの?」
「ああ……まあな」
「御利益ないって、前ぼやいてたのに?」
「うるせー……今年こそはなにか変わるかもしれねえだろ……」
呆れ顔のアカギに反論しながら、カイジは社務所の方へと足を進める。
お守りや破魔矢が並んでいる。その近くで立ち止まって、なにかを見ているようだ。
アカギも近づいてみると、参拝者が書いた絵馬が掛けられているのだった。
どこの誰とも知れない他人の願い事など、いったいなにが面白いのかとアカギは思うのだが、カイジは好奇心いっぱいの顔でしげしげと絵馬を眺めている。
絵馬に興味など微塵もなかったから、アカギはカイジの隣に立って、熱心に他人の絵馬を眺めるカイジの横顔を眺めていた。
「けっ、リア充が……」
やがてぽつりと、苦々しげに吐き捨てられた耳慣れない言葉に、アカギは眉を寄せた。
「リア充?」
「絵馬にこういうこと書いちゃう奴等のことだよっ……!」
そう言って、カイジが指さした絵馬には、相合い傘の下に男女の名。
さらにその下に、女のものらしき癖のある可愛らしい字で『永遠に一緒にいられますように』なんて書いてある。
ハートのたくさん描かれた能天気な絵馬を見ながら、アカギは内心首を傾げる。
結局、リア充とはどういう意味なのか、カイジの説明ではまったくわからなかった。
「永遠なんて、くだらねぇ……」
ややあって、ぼそりと低く呟かれた声を聞いて、アカギはカイジの顔を見る。
さっきとはうって変わって、カイジはどこか真面目な顔つきで絵馬をじっと見つめていた。
「こういうこと書いちゃう奴らに限って、たぶん来年とかに別れたりすんだよ」
勝手なことを言いながら、件の絵馬を指で軽くつつくカイジの横顔を、アカギはじっと見つめていた。
この男に『永遠なんて』と言わせているのは、きっと自分なのだとアカギは思った。
絵馬に書いたりなどは勿論しないだろうが、元来、情の厚いカイジはきっと、自分とできるだけ長く居たいと思っているはず。
それでも、風任せに生きているようなアカギの性質上、ふたりの間にはいつか終わりが訪れるとのだと諦めざるをえなくて、その気持ちが、カイジにこんな言葉を吐かせるのだ。
こういう時にだけ見せる、どことなく憂いを含んだような横顔。
あまり、普段のカイジに似つかわしくないその表情を見ながら、アカギは言った。
「そうだね。永遠なんて、くだらない」
カイジの肩がぴくりと動く。
突き放すような言い方に、きつく吊った大きな瞳がほんのすこしだけ翳るのを見て、アカギは緩く口角を持ち上げた。
永遠なんて、くだらない。
動物。草、花、樹、人間。
たとえどんな生き物でも、自分がこの心を大きく明け渡すような存在なんて、『永遠に』現れるはずもないと、心のどこかで思い込んで、今まで生きてきた。
でもあんたを見つけちまって、オレの『永遠』は、あっさりと終わりを告げたんだ。
永遠なんてのは、それくらい呆気ないものなんだよ。カイジさん。
もし、これをまるのまま、目の前の男に伝えたなら、いったいどんな顔をしただろうか。
アカギは想像してみる。
びっくりした顔をして、照れ隠しみたいに怒って、それから、泣くだろうか。
でも、これを伝えるのはまだ早すぎる気がして、アカギは黙ったままでいた。
伝える日がいつか、来るのかどうかもわからない。
言わないまま、別れるかもしれない。
額面通りの言葉だけ受け取らされて、そこに秘められたアカギの本心を知らないでいるカイジは、悄然と肩を落としている。
大きな肩を丸めるようにしてしょんぼりしているのが可愛く見えて、アカギがそこに腕を回して抱き寄せると、カイジは大袈裟に体をびくつかせ、大慌てでアカギから離れた。
「いっ、いきなりなにしやがるっ……!!」
「なにって……なんか、へこんでるみたいだったから」
へこませたのは自分だというのに、アカギはしれっとそんなことを言う。
わずかに赤くなった顔でカイジは咳払いをして、ポケットに手を突っ込んだ。
「べつに……へこんでなんかいねえよ」
もう行こうぜ、と言ったカイジがいつもの調子に戻っているのを見て、アカギは静かに頷いた。
「破魔矢とか買わないの?」
「んー……いいや。お前がうちに入って来れなくなっちまうかもしれねえからな」
「……どういう意味?」
低く詰め寄られてカイジは笑う。
今年初めて見る恋人の笑顔に、アカギも表情を和らげた。
「あけましておめでとう、カイジさん」
「あー……そういや、まだ言ってなかったっけ」
うっかりしてた、と呟くカイジに、「今年もよろしくね」とつけ加えれば、照れくさそうで、でも嬉しそうな顔で、一言「おう」と返ってくる。
アカギもそれを微かに見て笑い、ふたりは寒空の下、家路を歩いていった。
終
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