そうだ 京都、行こう。 過去拍手お礼



「明日、京都へ行く」

 唐突にしげるがそう言ったので、カイジはビールを口に運ぶ手を止めた。
「へー……京都? 修学旅行か?」
「違うよ……代打ち。強い相手がいるんだってさ」
「ふーん……」
 遠方に足を伸ばせるというのに、物憂げな顔をしているしげるに、カイジは瞬きをする。

 こいつの年なら、もっとはしゃいでもいいんじゃねえのか?
 そりゃ、遊びに行くってわけじゃねえんだろうけどさ。

「秋の京都か。今なら紅葉が綺麗だろうな」
「……」
「お前、行ったことある? 嵐山」
「……ないけど」
「なんでもっと、愉しそうにしねえんだよ」
 カイジは呆れ、しげるの頭を軽く小突く。
 鬱陶しそうに目を細めてその手を避けたしげるは、カイジを睨んでぼそりと呟いた。
「べつに、紅葉とか興味ねえ……わざわざ、そんな遠くまで行くのも面倒だし……」
「お前は……本当に子供らしいところがひとつもねえな」
 その憂鬱そうな表情を、カイジは頬杖を突いてまじまじと眺める。
「まぁ、物見遊山じゃないにしても、強い相手と打てるんだろ? 良かったじゃねえか」
 あっけらかんと言い放つカイジの顔を睨んだまま、しげるはちいさな声で言う。

「……引き止めないんだ」
「あ? なんで?」

 酔っぱらった真っ赤な顔で、カイジは不思議そうにする。

「引き止めたってどうせ行くんだろ、お前はさ」

 出会った最初の頃は、裏社会に出入りし、危ない橋ばかり渡ろうとする十三歳の子供を、カイジも全力で引き止めていた。
 けれどそう言うことを何度も繰り返しているうち、引き止めても無駄だということを、すっかり学習してしまったのだ。
「お前は死なねえだろう? 三途の川に流されても、自力で泳いで、向こう岸でターンして戻ってくるような奴だ」
 言った傍からその様子を想像して、くくく、と笑うカイジの顔をチラリと見て、しげるは目を伏せる。
「……鈍感」
 鋭く刺すような言い方に、カイジはうっと言葉を詰まらせた。
 しげるがなにをそんなに怒っているのか、正直なところ、カイジには皆目見当がつかないのだ。

 険悪なムードになりつつある場の空気を変えるため、カイジはビールをぐっとあおり、明るい声を出す。
「それにしても、京都か……オレ、修学旅行で行ったきり」
 ご機嫌取りのようにへらへらと笑ってみせるカイジだが、相変わらず冷たいしげるの沈黙に、冷や汗をたらりと流す。
「愉しそうだな……ついて行っちまおうかな……バイト休んでさ……」
 カイジには珍しく、そんな軽口まで叩いてみたりして、しげるの反応を窺う。
 すると、しげるは白い面を僅かに上げ、下から見上げるようにしてカイジの顔をじっと見つめてきた。
 相変わらず不機嫌そうなその表情だが、そうやって眉間に皺など寄せてむくれていると、カイジの目にはなんだかとても、普通の中学生らしく見えるのだ。

 しばらく無言で見つめ合ったあと、先に口を開いたのはしげるだった。
「……寝よう。明日、早いし」
「えっ? お、おう……」
 しげるが立ち上がったので、カイジも慌てて残りのビールを飲み干し、散らかった卓袱台の上を片づけにかかった。
 











(うぅっ……頭痛ぇ……)
 昨日飲み過ぎたせいでガンガンと響く頭を押さえながら、カイジはしげると並んで早朝の街を歩いていた。


 いつもなら勝手に出て行くはずのしげるが、カイジの体を揺り起こしたのは、二十分ほど前のこと。

 いつもの学生服にしっかりと身を包んだしげるに『行くよ』と言われて、カイジはおう行ってこい、という気持ちを込めて手を振ったのだが、顔の上にバサリとなにやら布を被せられ、泡を食って飛び起きたのだ。
 瞬間、ズキンと痛んだ頭に呻きつつ被せられた布に目を落とすと、それはカイジのシャツと上着、ジーンズだった。
 カイジはなにか言おうと口を開きかけたが、しげるに顔を覗き込まれ、有無を言わさぬ口調で『行くよ』と言われたら、早々にその圧迫感に屈し、黙って着替える他なかったのである。



 冷たく清々しい朝の空気を大きく吸い込んで、カイジは生欠伸を繰り返す。
 そして涙で滲む視界で、隣のしげるを見た。

 昔ーーと言ってもそんなに前のことではないのだが、出会ったばかりの頃はこうしてよく、駅まで送ってやった。
 たとえ行き先が都内の、最寄り駅からたったの数駅先であったとしてもだ。
 それはしげるのことが心配でたまらなかったからで、慣れきってしまった今となっては、そんなことしなくなって久しい。
 だから、こうしてふたりで駅まで続く坂を下るのは、いったいいつぶりのことだろう。カイジには、思い出すことすらできなかった。






 昨日の、不機嫌そうなしげるの顔を、カイジは思い出す。

 あれは、正しく『拗ねていた』のだろう。
 いつの間にか、しげるのことを心配しなくなった、カイジに対して。
 そう考えれば、昨日の言動も、今朝起こされてこうして一緒に歩いている理由も、すんなり納得できる。

 しげるの顔を右斜め上から見下ろしながら、カイジはため息ついでにこっそり、笑った。

 子供らしいところがひとつもない、なんて昨夜は言ったけど、前言撤回だ。
 こいつも案外、かわいいとこあるじゃねえか。

「……なに」
 笑っているのを敏感に察したしげるが、カイジをじろりと見上げてくる。
「……いや、べつに?」
 そう言いながら、笑みを収めようとしないカイジを無視するように、しげるは前に向き直る。
 その仕草がますます子供じみていて、カイジは愉快な気分になるのだった。












 通勤通学の時間帯にはまだすこし早いらしく、早朝の駅は比較的空いていた。
 柱にもたれ掛かって目を閉じ、カイジは切符を買うしげるを待つ。
 中途半端な時間に起こされたせいで、立ったままでも眠れそうだ。

 ああ、家のベッドが恋しい。帰ったら速攻、寝よう……

 そんなことを考えながらカイジがうつらうつらしている間に、しげるが切符を買い終えて戻ってきた。



 しげるの後を着いていって、カイジは改札の前で立ち止まる。
「じゃあな……気をつけろよ」
 上着のポケットに手を突っ込んだまま、欠伸を噛み殺しつつカイジが言うと、しげるはすっと目を眇めた。

「……なにを言っている……?」
「は?」

 低い声に、カイジはぽかんとする。
 すると、しげるはカイジの右手が突っ込まれたポケットの中に、自身の手をするりと滑り込ませてきた。
 冷えきった手の感触に思わず声を上げそうになるカイジに構わず、しげるはカイジの右手をポケットの外に引き摺り出すと、
「はい。カイジさんの分」
 と言って、その手のひらになにかを握らせた。

「お前……まさか、これ……」
 息を飲んでカイジが手のひらを開くと、そこにはちいさな四角い切符が乗っかっていた。
 行き先は、東京。

「おいっ……ちょっと待てっ……! どういうことだよっ……!!」
 混乱するカイジに、しげるは澄ました顔で言ってのける。
「着いてくるって言ったの、あんたでしょ」
「はぁ!?」
 さも当たり前のように告げられて、カイジは必死で昨日の記憶をたぐり寄せる。

『愉しそうだな……ついて行っちまおうかな……バイト休んでさ……』

「あっ!」
「思い出した?」
 短く声を上げたカイジに、しげるはクスリと笑う。
(確かに言った……言ったけどっ……!!)
「いやいや! あれはなんつーか……冗談、つーか……お前の機嫌をとるための方便、つーか……」
 すこしの罪悪感があるためか、ぼそぼそと歯切れの悪い言い方をしていたカイジだったが、気を取り直してしげるの顔を真正面から見る。
「ていうか、本気じゃねえことくらいわかんだろ!? 常識で考えろよ、常識でっ……!!」
「クク……常識? 残念ながら、その縄じゃオレは縛れねえよ……」
「お前なに格好つけてんだよっ……! アホみたいだぞっ……!」
 カイジの暴言にも微塵も揺るがず、しげるは悪魔めいた顔で目を細める。
「阿呆で結構。オレはもう決めたからな……あんたを連れて行くって」
 そして、切符を握った方とは逆側のカイジの手をポケットから引き摺り出すと、強く握って改札へと向かう。
「ばっ、馬鹿……勝手に決めんな……うっぷ……!」
 なんとかその場に留まろうとするカイジだったが、急に二日酔いによる吐き気がこみ上げてきて、それを堪えるのに必死でろくな抵抗もできなくなる。
 ずるずると引き摺られていくカイジの真っ青な顔を振り返り、しげるは昨日の不機嫌そうな顔が嘘のように、晴れやかに笑った。


「愉しい旅路になりそうだ。よろしくね、カイジさん」






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