かいじ しげ→カイと見せかけてしげ→←カイ




「はい。これ、土産」

 ノックされたドアを開けてやると、挨拶もそこそこに、しげるが手に提げていた紙袋を、カイジに向かってぐいと突き出した。
「珍しいな……お前が土産買ってくるなんて」
 目を丸くしながら、カイジはそれを受け取る。
 赤に近いピンク色の地に、白抜きの花がたくさん散りばめられた紙袋を矯めつ眇めつするカイジに、しげるは口角をゆるく持ち上げた。
「今回は、ちょっと気が向いたから」
「ふーん……ありがとうな」
 紙袋を眺めたまま礼を言い、カイジはしげるに上がるよう促した。



 ふたりぶんのコーヒーを淹れたカイジは、しげるに断って、早速袋を開けてみる。
 取り出した箱の包装紙に印字されている文字を読み取って、カイジは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「あっ、これ旨いよな」
「そうなの? 駅にあったのを適当に選んだだけなんだけど……それなら、よかった」
 淡々と言ってコーヒーを啜るしげるの目の前で、カイジは丁寧に包装を解き、紫地に点々と白い模様の並ぶちいさな箱を開ける。
「お前も食う?」
 ビニールで包まれた菓子をひとつ、つまんで聞いてみると、しげるは首を横に振った。
「じゃあ……いただきます」
 律儀にそう言って、カイジは風呂敷のように結われたビニールの結び目を解く。

 中から現れた白いプラスチックの容器の上には、黒いちいさなボトルが乗っている。
「この、黒蜜が旨いんだよな」
 透明な菓子の蓋を開けるカイジの表情は、うきうきと弾んでいる。
 菓子ひとつでこんなにも喜ぶほど、甘いものに目がない年上の男の姿に、しげるの口許も緩んだ。


 ぎっしりと詰まった黄色いきな粉の上には、四角い窪みが出来ている。
 カイジはボトルを慎重に傾けて窪みの中に黒蜜を垂らし、楊枝で中の餅を持ち上げてそっとかき混ぜようとするが、当然、たっぷりのきな粉は零れてしまい、下に敷いたビニールの上に落ちる。
「あー……オレ、これ食うの下手なんだよな……」
 ひとりごちて、黒蜜を絡めるのもそこそこに、カイジは楊枝で突き刺したやわらかい餅を、きな粉が零れないようそろそろと口に運んでいく。
「……もっと、べつの食べ方があるんじゃないの?」
 この黒蜜がカイジのお気に入りらしいのに、このやり方では、餅と上手く絡まない。
 しげるがそう言うと、カイジは手を止め、楊枝に刺した餅を眺めて眉を寄せた。
「……確かに。でもオレこれ以外の食い方知らねえんだよな。最初にこれ食ったとき、おふくろに教えてもらったのが、これだから」
 そう言って、カイジはぼってりとした塊をぱくりと口に入れる。
「ん……ひさしぶりに食ったけど、やっぱり旨いよな〜、これ」
 口内に広がる甘さに表情をとろかせ、頬を膨らませてもぐもぐと餅を食むカイジの姿に、まぁ細かいことはいいかとしげるは思った。


「これ買ってきたってことは、お前、山梨行ってきたの?」
 これ、と言いながら残りの餅をつつくカイジに、しげるは浅く頷く。
「代打ち?」
「そう」
「お前、ほんといろんなとこ行ってんな……」
 この街すらも碌に出ないようなぐうたらな生活を送っている自分との差を感じて、カイジはひとりで落ち込む。

 しげるはコーヒーを一口飲んでから、マグカップを卓袱台にそっと置き、口を開いた。
「……山梨に向かうときね、好きな人と同じ名前の電車に乗ったよ」
「ふーん……って、え?」
 軽く聞き流しかけたカイジだったが、耳に引っかかったあるワードに、目を瞬く。
「遅刻しかけてヤーさんにどやされたけど、お陰でその電車に乗ることができたわけだし、まぁまぁ面白い勝負もできたから、結果としては良かったかな」
「ちょっ……待て、待てっ……!!」
 つらつらと話し続けるしげるを手で制し、カイジはびっくりしたような顔で問いかける。
「おっ、お前……好きな奴いんの?」
「いるけど」
 あっさりと返すしげるの顔を食い入るように見て、カイジは「へぇ〜! お前がなぁ……」などと、まだ信じられない風に呟いている。

 それから、好奇心と良心との間で葛藤するように、口をぱくぱくと開いたり閉じたりしたあと、結局好奇心に抗えずに、しげるの顔を見て当たり障りのない質問をする。
「電車と同じ名前って、のぞみ、とか、あずさ、とか?」
「違う……けどまぁ、そんな感じかな」
「ふーん……」
 本当はもっと他に聞きたいことが山ほどあるけど、良心が邪魔をしてこんなどうでもいいようなことしか訊けない。
 もどかしげな様子がただ漏れのカイジに、しげるはふっと笑い、つけ加えてやる。
「白い特急だった」
「白?」
「うん。車体の横に、ピンクとか黄色とか、緑の模様が入ってた」
「へ、へぇ〜……」
 しげるから与えられたヒントを、興味のない素振りを装いつつ、カイジは心の中にしっかりと書き留める。
 あとでネット検索しよう、などと考えながら、カイジは目の前のしげるを見た。

 そうか。こいつにもついに、春が来たのか……
 好きな子と同じ名前の電車に乗って喜ぶなんて、こいつも案外、かわいいとこあんだな……

 しみじみと感慨深くそんなことを思いながら、カイジは二個目の餅に黒蜜を絡める。
 容器に余裕ができたぶん、混ぜやすくなった。
 黒蜜ときな粉がたっぷりと絡んだ餅を、大きく開いた口の中に迎え入れるカイジを眺めながら、しげるはすっと目を細めた。

「オレの好きな人も、早くオレのこと、乗せてくれないかな……」

 ごくん。
 一口大の餅を丸のまま飲み下してしまい、カイジは目を白黒させながらつかえた胸を叩く。
「あらら……大丈夫?」
 ちっとも心配などしてないかのように、しげるの声は落ち着き払っていた。

 なんとかコーヒーを飲み下し、喉の奥に餅の塊を無理やり流し込んでから、カイジは大きく息をつき、しげるを睨むように見る。
「おっ前なぁっ……好きな子の前で、くれぐれもそんな、下品なこと言うなよっ……! 嫌われるぞっ……!!」
「そう? オレの好きな人は、そんなことくらいじゃオレのこと、嫌わないと思うけど」
 つるっとした顔でそんなことを言ってのけ、そんなことより、としげるはカイジの顔を覗き込む。
「ねぇ……そんなアドバイスくれるってことは、カイジさん、応援してくれるんだ? オレの恋」
 その瞳がナイフのように鋭く閃いたことに気づかずに、カイジは喉元を摩りながら言う。
「んん? そりゃまあ……当たり前だろ。お前は、オレのーー」

 弟みたいなもんだし、と続けようとしたカイジだったが、その言葉がなぜか喉に蟠って、出てこなくなってしまった。
 まるでその言葉を口に出すのを、自分の喉が拒否しているような、なにかがつかえているみたいな違和感。

 きな粉でも喉にはりついてるのかな、と思いながら、カイジは咳払いをして、続ける。
「……とにかく。オレはお前のこと応援してるから、頑張れよ」
 しかし、しげるは返事をせず、ただひたすらじっと、真顔でカイジの顔を見つめていた。
 圧力すら感じるほどの眼差しに、なんだか落ち着かない気分にさせられて、カイジはもぞもぞと身じろぎする。
「……なんだよ。なんかリアクションしろよ……」
 ぼそりとカイジが呟くと、しげるはようやく表情を緩め、
「ついてる」
 そう言って手を伸ばすと、カイジの口端を拭い、指についたきな粉を舌でぺろりと舐め取った。







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