報復 下品な話




 むしゃくしゃする。

 スラックスのポケットに手を突っ込み、肩で風を切るような早足でしげるは歩いていた。
 その表情は中学生ながら、目が合った者が怯えて思わず目を逸らすほど凶悪で、不気味さすら感じさせるものだった。



 欠伸が出るほどつまらない麻雀をつい先ほどまで打たされていたせいで、ひどく気が立っているのだ。
 薄闇に包まれ始めた街のネオンさえ、今はしげるの神経を逆撫でする。目に入るものすべてに、舌打ちしたいような気分だった。

 今宵の宿をどうするかすら、まだ決まっていなかったが、とかく、腹の底にどす黒く沈殿するヘドロのような苛立ちをなんとかしないと、とても寝付けそうにない。
 とりあえず、飽くまであてもなく歩き続けよう。そのうち、どこかの阿呆な連中が喧嘩でも吹っかけてくるかもしれないから、そいつら相手にこの憤懣をぶつけてやってもいい。


 そんな不穏なことを考えながらひたすら歩くしげるの背中に、声をかける者があった。

「おいっ、しげるっ……!」

 耳慣れた声。
 振り返ると、そこに立っていたのは黒い長髪の若い男ーー伊藤開司だった。

 しげるが立ち止まると、カイジは小走りでしげるに並ぶ。
「よぉ、偶然だな」
 そう言って緩く口角を持ち上げるカイジの体からは、濃いタバコのにおいがした。
 その右手指には、まだ長いタバコが挟まれている。
「ちょうど良かった。カイジさん、一本くれよ」
「なに言ってんだお前……アホかっ……!」
 呆れた顔ですぐさまそう切り返すカイジに、しげるは鋭く舌打ちする。
「むしゃくしゃしてんだよ……いいじゃねぇか、一本くらい」
 ついいつもより、口調が荒っぽくなる。
 だが、大概の人間なら怯んでしまうしげるの殺気に微塵も動じることなく、カイジは大きく顔を顰めてみせた。
「馬鹿野郎。むしゃくしゃってんならな、オレの方がよっぽど……」
 そこまで言って、カイジはふとなにかを思いついたかのような顔になり、上着のポケットをごそごそと探る。
 そして、棒付きの丸いキャンディーを一本取り出すと、包み紙を剥がし、しげるに向かって突き出した。

「……ほらよ。ガキはそれでも咥えてな」

 ニヤリと笑われてしげるは目を剥いたが、なんとか怒りを押さえ込むと、視線で射殺さんばかりにカイジを睨みつける。

 こんなものをポケットに入れているということは、きっと、パチンコ帰りなのだろう。
 先ほどの口振りから察するに、おそらく、派手に負けたのに違いない。

「……いいの? あんたの今日の、唯一の戦利品なんでしょ?」
 負けじとしげるが鼻で笑ってやると、カイジもヒクリと口許を引き攣らせたが、かろうじてその顔に笑みを貼り付ける。
「まあ、仕方ねえよな……なんか知らねえけどイラついてるクソガキと、ばったり出くわしちまったんだから……ほら、いいから、口開けろって」
 ぐいぐいと飴玉を唇に押し付けられ、体中から怒気を溢れさせながらも、しげるは口を軽く開いて飴に食いついた。
 それを見たカイジは、なぜか勝ち誇ったような顔になり、ふふんと笑って飴の棒から手を離す。

 空いた手をポケットに突っ込み、自分だけ悠々とタバコをふかしながら歩くカイジに、しげるの怒りのボルテージは最高潮に達した。











 無言のまましばらく歩き、人通りの多い通りに出る。
 平日の黄昏時。家路を急ぐ人でごった返す路上で、しげるは急に足を止めた。
 胸焼けするほど甘い塊を口内で転がしつつ、自分が立ち止まったことに気づかず歩き続けるカイジの背中を睨みながら、ゆっくりと口を開く。
「こんなもんじゃ、物足りねぇな……」
 静かな割に不思議なほど通るその声に、カイジはようやく立ち止まって振り返る。
「あ? なんだって?」
 訝しげなその目と目が合うと、しげるは顎を上げ、媚びるように言った。

「もっと太いモンが食いてぇよ、カイジさん」

 その発言に、カイジの顔色がさっと変わる。
 とてつもなく嫌な予感に揺れるカイジの表情を見ながら、しげるは軽く息を吸い、辺りに響き渡るような明朗な声で言った。

「咥えるなら、ガチガチに勃起した、あんたのアレがいいな……」

 ふたりの周囲の空気が、一瞬にして凍りつく。
 傍を通り過ぎようとしていた人々はみな我が耳を疑い、思わず足を止めた。

 ふたりを好奇の目でじろじろと見る者。
 敢えて、見ないようにして足早に通り過ぎようとする者。
 眉を顰めてヒソヒソと、なにやら耳打ちしあう者。

 さまざまな視線に晒されながら、しげるは目を細め、ゆったりと歩を進めてカイジの前に立つ。
 そして、自分の口から突き出ている細い棒をつまんで飴を出し、あまりのことに固まっているカイジの口にそれを突っ込むと、
「……咥えさせてよ」
 と、蠱惑的な笑みで囁くのだった。







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