指先 初夜 アカギが困る話


 白いまっすぐな指が、流れるように剥き出しの首筋に触れたとたん、カイジの目からぶわりと涙が膨らみ、ほどなくして、ぼろぼろと音をたてるようにしてこぼれ落ちた。
 アカギは目を見開き、思わずカイジに触れている手を止める。
「泣くほど嫌なら、やめるけど……」
 抑揚のないアカギの台詞に、カイジはぶんぶんと大きく首を横に振る。
「そ、そうじゃねえ……っ! 嫌なわけじゃねえんだよ……!」
「でも涙が」
「うるせえっ……!」
 震える声で遮り、カイジは赤くなった目を強く擦る。

 言えるわけがない。
 淀みなく牌を、運命を、勝利を引き寄せる、その指先。
 ずっと焦がれ、憧憬すら抱いていたその指が、自分に触れたとたん、感極まってしまっただなんて、そんなこっ恥ずかしいこと。

「く、そ、が……ッ」
 自棄のように吐き捨てて、ぼろぼろと零れる涙を手で拭い続けるカイジが、いったい今どんな気持ちでいるのか、さっぱり想像もつかないアカギは、珍しく困ったような顔をする。
「くそが、って……あんたな……」
 ムードもへったくれもない、軋るような呟きに、流石のアカギも文句を言おうとしたが、未だかつて見たこともないほど大量の涙を溢れさせて泣くカイジに、なんとなく気圧され、口を噤んだ。

 不安で泣いているのだというなら、なにを処女みたいなことを、と笑い飛ばすこともできたのに、どうやらそうではないらしい。
 じゃあどうすればいいのだろう、と、アカギは頭を掻きたい気持ちになる。
 まさかこんなことになるなんて、予想もしていなかったし、いつもなら顔を見ただけでピンとくるほど、単純すぎるカイジの泣いている理由が、今この時に限って、まるで見当もつかないのだ。

 ガッチリとした肩を嗚咽に震わせ、カイジは泣いている。
 なんとか泣き止もうとする努力は見られるものの、それが実る気配は一向にない。
 アカギはちいさく、ため息をつく。
 それから、手をカイジの目許へと伸ばして、慣れない仕草で、そっと涙を拭き取った。
 その指先は、運命や勝利をたぐり寄せることには長けている一方で、今まで誰かの涙を拭うということに使われたことがなかったので、赤木しげるという男の、普段の立ち振る舞いからは想像がつかないほど、その所作は子供じみていて、ぎこちなかった。

「……」
 カイジは目をまん丸にして、アカギの顔を見ている。
 指先があたたかく濡れるのを感じながら、アカギは軽く目を伏せた。
 似合わないことしてんじゃねえよ、と、笑われるだろうか。でもそれで、この不可解な涙が止まるなら、まあ、それでいい、とアカギは思っていた。

 だが、アカギの思いに反して、カイジは眉をきつく寄せるや否や、さっきよりも大きな涙の粒をその目に滲ませ、傷のある頬へと滂沱のごとく垂れ流し始めたのだ。
 その涙を見ながら、やれやれ、と、アカギは内心、首を横に振る。

 やっぱり自分が触ると涙が出るんじゃないかと、手を引っ込めようとしたら、逆に手首を掴まれた。
 指の痕が付きそうなほど強いその掴み方は、まるで縋りついているみたいで、アカギはまるでひとりごとみたいに、ぽつりと呟いた。
「……あんたいったい、オレにどうしろっていうんだよ?」
 その声は珍しく、本気で答えが知りたいと切望しているような響きを含んでいた。
 この調子で本当に最後までいけるのかと、アカギはすこしだけ、途方に暮れる。


 初めての夜は、ゆっくりと更けていく。
 泣く男も泣かない男も、ずっとずっと、やわらかい夜の空気につつまれていた。






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