花と悪漢
「お前、髪伸びたなぁ」
シャワーを浴びて居間に戻ると、開口一番カイジにそう言われ、まだ湿り気を帯びたままの前髪を、しげるは指でちょいとつまみ、
「……そうかな」
と呟いた。
「いい加減切りに行けよ。目、悪くするぞ?」
「ん……」
確かに、白い前髪は目を覆い隠すくらい伸びていたが、しげるはそれを指で弄びながら、煮え切らない返事をする。
正直、面倒くさかった。
床屋で髪を切られている、あの時間がどうにもじりじりして、しげるは苦手なのだ。
予約というものをせず、いつも思い立ったときに飛び込みで入店するから、かなり待たされる場合も多く、それも、しげるの足が床屋から遠のく要因のひとつだった。
ただ、そんな心中を素直に目の前の大人に吐露しようものなら、また「子供だ」などと笑われるのがオチなので、しげるは黙ったまま、前髪を触り続ける。
それを見咎めたカイジが、眉を寄せた。
「ほら、お前だって気になってんだろ? いつも、どこで髪切ってんだ?」
「どこって……べつに決まってないよ。適当に、目に入った店で。たまに面倒なときは、自分で切ったりも……」
そこで、しげるはふとなにかを思いついたような顔をして、カイジを見た。
「そうだ……カイジさん。あんたが切ってくれよ」
「えっ?」
驚いたような声を上げ、カイジは嫌そうに顔を歪める。
「嫌だよ……面倒くせえ。それに、失敗したらどうすんだ」
「その時は、腕一本で」
「お前なぁ……」
「ふふ、冗談だよ。べつに、多少おかしくても、気にしない」
だから、ね?
しげるはすっかりその気になったように、カイジの顔をじっと見上げてくる。
カイジはため息をつき、頭をボリボリと掻く。
「えー……って、言われてもなぁ……」
カイジはぶつくさと言っていたが、急になにかを思い出したような顔になり、
「あ……そういえば……」
と言って、棚の中をなにやらゴソゴソと漁り始めた。
「あ、……あった」
しばらくして、カイジはなにか、ちいさなものを手にして戻ってきた。
しげるの目の前に立ち、なにをするつもりなのかと注視するしげるの前髪を、武骨な手でそっと、斜めに避けるように梳く。
そして、右耳の上あたりで、手に持っていたものを使い、ぱちんと音をたてて髪をとめた。
すこし離れ、まじまじとしげるの顔を眺めていたカイジの口から、ふへへ、と力の抜けた笑いが漏れる。
「ちょっと……なにしたの」
ニヤニヤ笑われてむっとしながら、しげるが自分の手で右耳の上を触ると、どうやらそこに付いているのは髪留めのピンらしかった。
しかも、なにか装飾がついている。感触から想像するに、花を模したものらしい。
「……あんたなんで、こんなもの持ってるわけ?」
普通は女性が使うようなものを、当たり前のように取り出してきたカイジを、多少薄気味悪く思いながらしげるが聞くと、しげるの心中を悟ったのか、カイジは慌てて取り繕うように言う。
「姉貴だよ、姉貴。引っ越しの時、間違って荷物に紛れ込んでたんだ。実家に帰るたびに返そう、返そうと思ってるんだけど、つい忘れちまうんだよな」
やたら、早口になるカイジを冷めた目で見て、しげるは「ふうん」と呟いた。
笑われたのは気に食わなかったが、すっきりと開けた視界がきもちいい。
案外、満更でもなさそうな様子のしげるから、カイジは目を離せずにいた。
オレンジとピンクのちいさな花を、右耳の上にちょこんと咲かせた、悪漢。
シュールな光景のはずなのに、なぜか不思議と、乙女チックなそのピンはしげるに似合っていて違和感がなく、そこがまた、カイジの笑いのツボを擽る。
笑ってはいけないと、口許をむずむずさせながら耐えるカイジに、しげるが言った。
「じゃあ、飯食いに行こうか」
「行こうか……って、え?」
耐えていた笑いを一瞬で引っ込め、カイジはぽかんとする。
「まさかお前、そのまま行くつもりなのかよ!?」
「当たり前じゃない」
しれっとそんな返事をして、しげるはニヤリと笑い、髪留めを人差し指で示す。
「あんたが髪切ってくれるまで、これは担保として預かっておくよ」
「おいちょっと待てっ……! だからオレはやらねえって……!」
慌てるカイジを置いて、しげるはさっさと玄関に向かう。
「腹減った。早くしないと置いてくよ?」
まさかの展開にカイジはうううと唸っていたが、しぶしぶしげるの後を追う。
白い髪に、カラフルな花はよく映える。
堂々と歩くしげるは当然、街を行く者たちの好奇の目を引いた。
すれ違う人々のほとんどは、妙なものを見るような顔つきでしげるを見ていたが、一部、女子高生や若いOLなんかは、きゃーカワイイ、と黄色い声を上げてしげるを目で追いかけていた。
ずっとその隣を歩き、タジタジにさせられたカイジは、結局しげるの思惑通り、髪を切ってやるしかなくなってしまったのだった。
終
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