恋とは アカギ視点 短文


 堕落しきった生活を続けているくせに。
 キスだけで体の力がぜんぶ抜けきってしまうくせに。
 落ちていくことがいかに甘美かを知りつくしているくせに、なぜ抗おうとするのだろう。

「やめろよ……こういうの」
 濡った睫毛を伏せながら唇を乱暴に拭う、その言葉尻が震えているのがよくわかる。
 怒りではなく、動揺で。
 それがわかっているから、うっすら笑って問いかけてやる。
「『こういうの』って……どういうの?」
「……、言わなくても、わかんだろ……っ」
 唇を手の甲で隠したまま、カイジさんはオレを憎々しげに睨んだ。

 カイジさんとキスしたのは、これが初めてだった。
 ただし体の関係はあって、偶に会うときはどちらともなく誘って必ず寝ていた。
 爛れている。今さら、落ちるもなにもとうに堕落した関係じゃないかと、なにも知らない人間が見たらそう映るかも知れない。

 だけど、そうじゃない。
 キスなんかでひどく動揺して、捨て犬のように頼りない表情を晒すカイジさんが怖がっていること。それは確かに『落ちる』ことなのだ。

 カイジさんに教えられた。それは正しく『落ちる』ものなのだということ。言葉ではなく、実感としてそういうものなのだということを、教えられた。
 それは黒い口をぽっかりと開け、静かに自分を待っていた。まったく気がつかずに、気がついたら落ちていた。そこはとても深く、甘だるい空気が体に纏わって、身動きが取りにくい場所だった。忌々しくて煩わしくて、あたたかい場所だった。

 こんな場所に落とされたからには、相手も引きずり込んでやらなければ。だからキスなんてした。
 カイジさんは大層困っているみたいだけど、精々困ればいいと思う。困るなんて暇もなく、気がつけば這い上がれないほど深くまで落ちてしまった身としては。


 カイジさんは肩を戦慄かせて、じっと堪えている。必死にしがみついて、落ちてしまうまいと奮闘している。その姿をオレは、底から見上げている。
 落ちてくときがいちばんきもちいいってこと、嫌というほど知っているくせに、こういう時だけ妙に理性的なのだ、この人は。

「カイジさん」

 唇を執拗に覆い隠す手の、自分の方に向けられた掌の上に、ゆっくりと顔を近づける。

 先に落ちたのは自分だった。だから、相手が同じ場所へ落ちてくるのを、手ぐすね引いて待っている。

 するものではなく、落ちるもの。
 地獄にも似たこの場所の、底の底でもう一度、出会うことができたらそれが始まりだ。

 だったら、早く始めようじゃない。ねぇ、カイジさん?

 知らず知らずのうちに、己の唇が弧を描いているのがわかる。
 恐れをちらつかせるふたつの黒い瞳を見ながら、掌に阻まれた唇に再度、口づけた。







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