目の毒 カイジさんが変態
毒だ。
それも猛毒。
凄まじいほどの。
「半袖」
オレのちいさな呟きを耳聡く拾って、しげるが自分の袖口に目を落とす。
「ああ、うん。最近、あったかいから」
そう言って、しげるは汗をかいたグラスを手に取り、コーヒーを一口、啜った。
半袖から覗く白い二の腕から、なんとなく目を逸らしながら口を開く。
「衣替えには、まだ早くないか?」
「そうかもね。よく、わからないけど」
しげるは曖昧に答える。ロクに学校など行っていないのだろう、こんな時期に夏服を着ていても、咎める者などいやしないのだ。
テーブルの上に置いた自分の手に、目を落とす。
平日の昼間の喫茶店は、静かだ。
客はオレたち以外に数人、離れた席に座っているだけ。
店内に流れるゆったりとしたテンポの音楽と、しげるが持ち上げるグラスの中の氷がぶつかり合う音、それ以外の音はほとんど聞こえない。
「コーヒー」
急にしげるがそう呟いたので、驚いて心臓が跳ねた。
顔を上げると、しげるが頬杖を突いてオレの顔をじっと見つめていた。
「飲まないの?」
猫のような瞳と目が合って、責められているわけでもないのに慌てて自分のグラスを手に取る。
ブラックのままストローで飲み下し、苦さに思わず顔を顰めつつ、冷たい液体が喉を滑り落ちていく感触で、ひどく渇いていたことを知った。
昼の光が白く射し込む窓辺。こんな席、選ぶんじゃなかった。
やたらと喉が渇くのは、暑いせいじゃない。
瞼の裏、残像のようにくっきりと焼きついて離れない、白い膚の色。
それは、毒。
目の毒なのだ。
凄まじいほどの。
マトモじゃない。つき合ってるとはいえ、まだ少年と呼ぶべき歳の相手の、半袖から覗く膚に、こんな真っ昼間から、欲情しちまうだなんて。
中てられた、としか言いようがなかった。
眩しいほど白い、その毒に。
しかも欲望は男の本能に忠実に沸々と沸いてくるのに、その実、オレの意思は白い膚を暴くことではなく、その逆、眩く白い腕に暴かれること、それだけを望んでいるのだ。
倒錯しきっている。自分のどうしようもなさに、唇を噛んだ。
舌の上にいつまでも残る、苦い味。まるで毒のよう。
ブラックのままでなんて、普段は絶対にしない飲み方をしたせいだ。
音をたてないように、密かに唾を飲み下した。
手許に目を落としながら、ガムシロップとミルクを入れる。とろりとしたミルクの白が、真っ黒な液体に溶け合ってマーブル模様を描いていく。ともすればしげるの方へと向かってしまう意識を集中させ、じっとその様子を眺めていた。
カラン、と氷の音がする。
しげるはどんな顔をしているのか、オレの動揺に気がついているのか。顔を上げられないから、それすらわからなかった。
しばらくふたり、黙ったままコーヒーを啜って、オレのグラスが空になった頃、しげるが腰を上げた。
「出ようか」
伝票を掴んで席を立つしげるに、「ああ」と返事をして、オレも立ち上がる。
学生服の後ろ姿を見ながら、正直、すこしだけほっとした。
オレが欲情していたこと、気づかれていなさそうだ。これ以上、白い光の射し込む窓辺の席でしげると向かい合っているのは、堪えられそうになかった。
店の外に出ると、明暗の差で目が痛んだ。
眩しくてうまく開かない目を、凝らそうと眉をきつく寄せる。
すると、いきなり腕を強く掴まれ、驚く暇もなく引っぱられた。
突然すぎて、抗議や抵抗もできないまま、店のすぐ側、薄暗く狭い路地に連れ込まれる。
明るい場所から薄暗い場所へ、瞳孔の動きが追いつかずにチカチカする目を瞬きつつ、目の前にいるしげるを睨んだ。
「なにすんだよ、いきなりっ……!」
突飛な行動を非難すると、しげるはオレの腕を掴んだまま、スッと目を細めた。
「鏡があればよかったのに。あんた、自分がどんな顔してたか、気がついてなかったでしょ」
噛んで含めるようにゆっくりと言われ、なんのことだかわからなくて言葉を飲み込む。
しげるは喉を鳴らして低く笑い、オレに顔を近づけてきた。
距離が近い。日の当たらない場所でもなお、白い膚。
「ものすごい顔してたよ。欲しくて、欲しくて、たまらないって顔……必死に隠そうとしてたみたいだけど、だだ漏れだったね」
ヒヤリとした。
体が竦み上がり、心音がドクドクと煩くなる。
「飢えきってるみたいな、あんな表情見せつけられたら、あんたの望む通りにしてあげるしかないじゃない……」
囁くような声で、鼓膜が震える。
意図的に目を背けていた、二本の白い腕がすぐ近くにあり、オレの腕を掴んでいて、視線はそこに釘付けになった。
頬がカッと熱くなる。発熱したみたいに。それが羞恥によるものなのか、そうじゃないのかすらわからない。
暑くて、頭がくらくらする。
しげるはオレの顔を覗き込み、微苦笑した。
「すっかり、中てられちまったよ。あんたに」
中てられた?
なにを言ってるんだ、中てられてるのはオレの方じゃねえか。
お前の真っ白い毒に。
干上がった喉でなんとかそれを伝えると、しげるは軽く目を見開く。
「……すごいこと言うね、カイジさん」
「……は?」
「自覚ないんだ、まぁいいけど」
しげるが軽くため息をつく、その理由が気にならないでもなかったが、いまはそれどころじゃない。
体が熱く、息が上がって苦しい。まるで、体中に毒が回ってるみたいに。
なんとかして欲しい。もうこうなったら、しげるにしか鎮めることができないってことがわかっているから、オレは浅く喘ぐように呼吸しながら、しげるの顔をじっと見る。
きっとしげるの言っていたとおり、物欲しげな、犬みたいに浅ましい顔をしているのだろう、だけどそんなこと気にする余裕なんてなかった。
しげるは肩を揺らして笑い、オレの体を壁際にゆっくりと追い詰める。
やわらかい動作とは裏腹に、しげるの表情は獰猛で、瞳は薄暗がりでもわかるくらい、はっきりと欲望を宿していた。
また熱が上がる。しげるも、オレに中てられた、と言っていた。
もしここに鏡があったら、その中に映る自分は、今のしげるみたいな顔をしているのだろうか?
「一滴残らず、皿まで喰らうから」
葉擦れのような声のあと、唇が重なってくる。
毒のように苦い舌を受け入れ、あっという間に全身の末端まで痺れていくのを感じながら、オレは震える瞼をきつく閉じた。
終
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