悪い奴ほどよく眠る?



 なんだか寝付くことができなくて、カイジは静かにベッドを降りた。
 音をたてないよう気をつけながら窓を開けると、ぶわりとカーテンが膨らんだ。生ぬるい、春の夜風だ。
 やたら丸くて明るい月を眺めながら、タバコを咥え、火を点ける。
 しばらく窓枠に凭れ掛かったまま、惰性のように吸う。
 赤く燃える先から上がる煙は、風でみんな後ろへと流されていき、それを追うようにしてカイジは薄暗い室内へと目を向けた。

 男がひとり、カイジのベッドに沈み込むようにして眠っているのだった。
 闇に慣れた目に、白い髪と膚がぼんやり光っているように見える。

 足音を忍ばせてベッドに近づき、くっきりと浮かび上がるような、白い寝顔を見下ろした。
 野生の動物のように敏い奴なのに、男ーー赤木しげるは、起きる気配もない。
 悪漢とよばれるような男なのに、寝顔はどこまでも健やかで、なんだかちぐはぐな印象をカイジは受けた。

 つい数時間前、はじめて体を繋げたときに見せた意地の悪い表情や、足の間に押し入ってきたときの強引さが、きれいさっぱり洗い流されたような、言うなれば、まるで別人のようにきれいな寝顔だった。

 合意の上だったとはいえ、受け入れる側だったカイジの方は、強烈な衝撃がまだ尾を引いて、事が済んでから数時間前経っても未だまんじりともすることができないというのに、そうさせた当の本人は白河夜船であるという現実は、眠れないことへの苛立ちと相俟って、カイジに理不尽な腹立たしさを覚えさせた。

 人の気も知らないで、暢気な顔してグースカ寝やがって。
 腹癒せに、その鼻先へと煙をふーっと細く吹きかけてやる。が、やはり男は目を覚ますどころか、眉ひとつ動かさない。

 獣のような嗅覚を持っているくせに、ここまでされても起きないとは、意外だった。
 カイジはやや呆れ、それからはっとする。
 もしかすると、これはコイツの弱点発見かもしれない。
 あの赤木しげるが、こんなにも寝汚いだなんて信じられないけれど……ひょっとすると今なら、寝首を掻くことも容易なのではないか。
 
 無論、そんなことをするつもりなど更々ないが、カイジはふってわいたように浮かんできたその仮説を、試してみたくなった。
 いったいこいつは、どこまでやれば起きるのか。そのギリギリのラインを、見定めてみたくなった。
 どうせ眠れなくてヒマだし、その原因を作った張本人で遊んでやれ。
 そんな下衆なことを考えながら、カイジはヘッドボードの灰皿にタバコを押し付けた。

 まず、手を恐る恐る男の方へと伸ばし、つるりとした輪郭を、おっかなびっくり撫でてみる。
 男は起きない。
 手を離し、白い面の真ん中にある鼻を軽く抓んでみる。
 すると、男がすこしだけ眉を眉を顰めた。
 カイジはドキリとする。
 無意識に全身を緊張させ、息を詰めて男の様子を見守る。
 が、男は閉じていた唇をうすく開くと、何事もなかったかのように穏やかな寝息を立て始めた。
 安堵にほーっと息を吐き出し、カイジは背中を丸めた。
 寝ている相手に悪戯するっていうのは、なんだか無駄にスリルがある。相手がアカギだから、余計に。

 一時期流行った、ワニの虫歯を抜くオモチャをカイジは思い出していた。
 いつ噛まれるか、とヒヤヒヤしながらゲームを進める、その感覚がとても似ているのだ。

 カイジはごくりと唾を飲み、アカギの寝顔を見下ろす。
 暇つぶしで始めた遊びだったが、馬鹿馬鹿しくもカイジはほんのりと楽しさを見出し始めているのだった。


 つい先刻結ばれたばかりの恋人によって、オモチャのワニなんぞに例えられていることなど露知らず、アカギは相変わらず安らかな寝顔を晒している。

 カイジはアカギの鼻から手を離し、一瞬迷ってから、その指で半開きの唇にそっと触れた。
 白い瞼は開かれない。
 アカギの反応を窺いながら、そろそろとなぞってみたりしたカイジだったが、そうするうちに、吸われたり咥えられたりしたことなんかを脳が露骨に思い出してしまって、思わず手を止めた。

 わずかに、頬が熱くなる。
 なんだか、余計に眠れなくなりそうだった。
 馬鹿馬鹿しい、もうやめようと頭を軽く振り、カイジが手を退けようとした、その時。

「あっ」
 いきなり指先に噛みつかれて、驚きにカイジは声を上げる。
 肝を冷やして竦み上がるカイジを嘲うように低く喉を鳴らし、アカギが両の瞼をゆっくりと持ち上げた。
 
 青白い白目の中の、闇よりなお黒い双眸に絡め取られ、カイジは噛まれたままの指さえも、ぴくりとも動かせなくなってしまう。

「お前、寝てたんじゃ……?」
 無理やり唾を飲み下した喉から発した声は、ひどく掠れていた。
「寝てたよ。……でも起きちまった」
 くぐもった声でそう言って、アカギは静かに笑う。
 アカギが笑い声を立てると、カイジの指先に鈍い震えが伝わってきた。

「あんなにやらしい手つきで触られたら、嫌でも起きちまう」
「なっ、」
 眦を吊り上げるカイジを挑発するように、アカギはカイジの指に舌を這わす。
 ぬるりとぬめる感触に、思わず身を引こうとするカイジの腕を引き寄せ、アカギは寝起きとは思えないような俊敏さで起き上がると、その体を押さえ込むようにして抱きしめた。
 

「いっ……いきなり、」
 なにすんだよっ……! と吠えつこうとしたカイジだったが、腰の後ろ辺りに当たる奇妙な感触に、その舌を凍りつかせた。
「……こっちも。起きちまったから、責任取って鎮めてよ」
 寝間着のやわらかい布越しに、グリグリと腰を押しあてながらアカギは笑う。
 絶句し、口をパクパクさせていたカイジだったが、どうにかこうにか冷静さを取り戻すと、アカギを睨みつけて吐き棄てた。
「……前々から思ってたけど、お前、頭おかしいな。こんなんで勃つなんて」
 貶されているというのに、アカギはなぜか愉しそうに笑う。
「そう? ……じゃあ、寝てる相手に欲情するような、変態のあんたとお似合いだね」
「欲情なんかしてねぇ、ッ……!?」
 首筋を緩く噛まれて、カイジは息を飲んだ。
 
「カイジさん」
 名前を呼ばれ、服を脱がされる。
 必死の抵抗などものともせずに、軽々とアカギはカイジの体を組み敷き、徐々に掛け金を外すように愛撫を加えていく。

 コイツ、いったいいつから起きてたんだろうか?
 息を弾ませてアカギを見上げながら、カイジは考えた。
 唇をなぞったときに初めて目を開いたけど、本当はそのずっと前から起きていたのではないか?
 よくよく考えてもみれば、悪漢と呼ばれるこの男が、容易く寝首を掻かせるような隙を見せるはずがないのである。

「っくそ、っ、お前、さては最初っから起きて……っ、」
 鎖骨の上を吸われて、みっともないほど跳ねる体に歯噛みするカイジに、アカギは目を細める。
「……さぁね。 そんなことより、もっとコッチに集中しなよ。あんたのせいで起きちまったんだから、つきあって貰うぜ? ……ちゃんとぐっすり、眠れるようになるまでね」
 酷薄につり上がった唇に、すぐさま自身の唇を貪られながら、カイジはげっそりしながら、今夜眠るのを本格的に諦めざるを得ないのだった。







[*前へ][次へ#]
[戻る]