風の強い日・3
熱いうどんを啜りながら、対面に座る少年を見る。
「奢らせてくれ」と言ったら黙って頷いたくせに、少年は券売機の前で立ち止まったまま、動かなかった。
仕方なしにふたりぶんのかけうどんを注文したが、少年はうどんが運ばれてきても箸をつけず、ただじっとオレの顔を見ているだけだ。
「……食わねぇのか?」
少年は返事をしない。腹が減ってないならそう言ってくれればよかったのにと、麺が伸びきってかさが増している器の中をのぞき込んでため息を零す。
あてつけのつもりで、わざと大きな音をたててずるずると麺を啜ると、少年は猫のような目でオレを見ながら、
「旨い?」
と訊いてきた。
うまいわけがない。このうどん屋は、安さだけが取り柄の店なのだ。
口いっぱいに頬張ったゴムみたいに弾力のある麺を噛み締めつつ、
「うまくない」
と答える。
『旨くないのに食うのか? 変なヤツだな』
ふっ、と耳許に蘇る声。
そういえば、赤木さんともこの店に入ったことがあった。
記憶の中の赤木さんは、少年が今しているようにオレの対面に座り、オレの顔を面白そうに覗き込んでいた。
ーー外食はうまいかうまくないかじゃなくて、値段で選んでるんです、オレは。
むすっとしてそう返すと、
『俺がどんなものでも食わせてやるのに』
と言われた。
ーーう、嬉しいですけど……、そういうのは、あんまり良くないっていうか……麻痺、しちまうだろうから……
『麻痺?』
ーー博打に勝とう、勝って金を得ようって気持ちが、薄まっちまうかもしれねえ……
そう言うと、赤木さんは大きく破顔して、そうか、と言った。
今思えば、せっかくの厚意に対してずいぶん失礼なことを言ったのに、赤木さんはなんだか嬉しそうで、その顔を直視できなくてオレは、うつむいてうどんに専念するふりをしたのだ。
「……ねえってば」
はっ、と気がつくと、少年が眉をすこし寄せてこちらを見ていた。
「どうしたの、ぼうっとして」
表情と口振りからするに、なんども話しかけられていたのに聞こえていなかったようだ。
「悪い……ちょっとな……」
独り言のように呟きながら、目を閉じてため息をつく。
よく似ている少年に出会ったせいだろうか、思い出される赤木さんの記憶がいつにも増して色濃い。
まるで本人がいまの今までそこにいたかのような、奇妙な感覚にくらりとした。
まだ半分以上残っているうどんに目を落とす。
なんだか急に食欲が消え失せて、水を一口飲んでから「食わねえなら、もう出るぞ」と少年に声をかける。
「あんたこそ、もう食べないの?」という声に答えず、伝票を掴んで立ち上がった。
外に出ると、相変わらず風が強かった。
「ごちそうさま」
一口も食っていないくせに、少年はすました顔でオレに礼を言う。
それが可笑しくて笑おうとしたが、長いこと笑っていないせいか、頬が奇妙に引きつっただけだった。
これからどうするんだ、と訊こうとして、口を開いたまま固まってしまった。
少年の向こう側。遠くの方に、白髪の男の後ろ姿があった。
思わず目で追ってしまう。黒いスーツを着ていたし、背丈や髪型も赤木さんとはあまり似てないのに。
赤木さんが亡くなってからの、癖のようなものだった。
街中で白髪の後ろ姿を見ると、どうしても目が勝手に吸い寄せられてしまうのだ。
赤木さんであるわけがない、とわかっているのに。
果たして、振り返った男の顔は赤木さんとは似ても似つかない別人だった。
心にちいさな穴があいて、空気が抜けていくような感覚に陥る。
すっと目線を男から逸らすと、少年と目が合った。
なんだか距離が近い。いつの間に近づいたのだろう、薄い瞼の縁から伸びる、簾のような睫の一本一本まで見て取れるような至近距離。
思わず体を退けると、少年はふっと笑った。
「ねえ。行きたいところ、あるんだけど」
「い、行きたい、とこ……?」
それ以上なにも言わないままくるりとオレに背を向け、少年は歩き始める。
まるで、当然オレがついてくると思っているかのように、振り返りもせず。
一瞬ためらってから、オレは仕方なくその後ろ姿を追った。
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